の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

三峯社

2010年04月14日 23時31分29秒 | 関東(埼玉、東京、神奈川)
■拜殿と本殿■
(16th May 2009)
 


★三峯神社★ 埼玉県秩父市三峯298-1
  
・舊社格は縣社。

・祭は伊奘諾尊、伊弉册尊。造化三と天照大を配祀。

・標高千百メートルの山上を社地とし、大洞川の対岸の白石山(2036メートル)の山頂方面に面して鎭座。

・当社縁起によれば、景行天皇の御世、日本武尊が東國平定の軍旅の折、甲斐國酒折宮から武蔵國に進むため、國境雁坂峠を越えてきたところ、道に迷ったところ、山犬が現れて尊の一行を当地に導き、その後、尊は武蔵國に無事に入り、伊奘諾尊、伊弉册尊を祀る仮宮を建てたことに始まるという。

・日本武尊の後、父に当たる景行天皇が東國巡察の際、当地にいたり、特に秀でた妙法、白岩、雲取の三山を愛で、三峯山と命名、仮宮を本社と改め、三峯宮としたという。

・伊豆國に流された役小角が飛来、雲取山上で護摩修法を行って三峯を修験道場とした。

・聖武天皇の御世、奉幣使葛城連好久なる者が登山、当社に大明の称号を與え、皇后から託された觀音像を安置したという。

・天長年間(824-834)、空海が登山して伊奘諾、伊弉册二の本地佛十一面觀音像を刻んで安置したと伝えられる。

・建久六年(1195)、秩父庄司畠山重忠が当社十里四方を守護不入の地として寄進したと傳えられる。

・鎌倉時代以後、衰退。戦國期、文亀二年(1502)、月觀道満なる修行者が登山し、当社再興を発願、諸國を勧進行脚すること二十七年間、天文 (1533)に、ついに堂社を再建したといい、中興の祖としている。

・狛犬を見てわかるが、お犬様といい、三峯社の眷属といい、実態は山犬、もしくは狼とされるが不明である。

・社名の「三峯」は当社が奥秩父連山の雲取、白岩、妙法三山の遥拜の地として出発したことに由来すると考えられているが、元々、三山という概念は紀伊熊野三山から産まれたものと考えられている。

・修験道との關係については、甲州修験勢力が進出していたことが推測されており、實際、当社が対面する白石山は山梨県側からの命名である、という事実も存在する。実際、村内の民俗習慣は甲州系の影響を強く受けている。
・民俗学者野本寛一氏は「三峯神社が山犬信仰の中核をなし・・・」と述べている。


■三つ鳥居■
(16th May 2009)
 


■隨門■
(16th May 2009)
 


■樂殿■
(16th May 2009)
 


■燈籠■
(16th May 2009)
 


■拜殿■
(16th May 2009)

 


■本殿■
(16th May 2009)
 


■祖靈社■
(16th May 2009)
 


■境内社國常立社■
(16th May 2009)
 


■境内社日本武社■
(16th May 2009)
 
 


■境内社伊勢宮■
(16th May 2009)
 


■境内社東照宮■
(16th May 2009)
 


■境内社大山祇社■
(16th May 2009)
 


■奥宮遥拜殿■
(16th May 2009)

 


■奥宮遠景■
(16th May 2009)



((コメント))

2009年5月16日

 駐車場はかなり廣く、有料。というか、參拜者が多かったことが意外であった。本社のみ行ったのだが、個人的には、イマイチという感じであったが、非常に奥宮に興味があり行ってみたいと思う。そこに何かがあるような氣がする。


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