の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

舩越鉈切社 / 舩越鉈切神社

2014年07月11日 12時07分37秒 | 関東(栃木、茨城、千葉、群馬)
■木■
(13th June 2008)



★舩越鉈切社★ 千葉県館山市浜田376

・舊社格は村社。

・祭は海である豐玉姬命。

・縣道の北側海岸寄りにあるのが海南刀切社、南側山中にあるのが舩越鉈切社で、かってはひとつの社として信仰され、濱田の舩越鉈切社を上ノ宮、見物の海南刀切社を下ノ宮と呼んでいた。

・『房總志料』によれば、海南刀切社の祭手斧鑿明が勝地を求めるために使を遣わしたところ、刀切の靈地を愛したこの使は岩窟に隱れて復命せず、舩越鉈切社の祭になったという。また『安房志』は「古昔この、上國より船に乘じてこの海濱に來たり、手斧を以て巨岩を鑿開して道を通ず。ゆえに一にして舩越、海南の二名ありといふ」と記す。實のところ、二社の祭を別とする說、同一とする說があり、その關係は必ずしも判然としていない。

・本殿のある鉈切洞穴からは繩文式土器、原始漁勞具等が出土している。その後、古墳時代には墓として使われた形蹟があり、後に海を祀る社になったとのこと。


■社號標■
(13th June 2008)



■一の鳥居■
(13th June 2008)



■二の鳥居■
(13th June 2008)



■參道■
(13th June 2008)



■拜殿■
(13th June 2008)




■本殿(鉈切洞穴)■
(13th June 2008)


 千葉縣指定文化財

・自然の營みでつくられた海食洞穴。
・地殻運動によって起し、現在は、館山灣に面した標約二十五メートルの海岸段丘上にある。
・昭和三十一年(1956)の發掘調査では、繩文時代後期初頭の稱名寺II式土器とともに、魚を捕るための鹿角製釣針や銛などのほか、マダイやマグロなど魚骨四十七種、アワビやサザエなどの貝類六十八種が出土。これらの出土遺物は、當時の漁民が海岸部での魚介類の採集にとどまらず、かなり遠方まで積極的に漁をしにいったことを物語る。
・海鳥や、シカ、イノシシ、タヌキ、サルなどの骨も出土しており、同時に山の猟も行ったことがわかる。
・出土した繩文式土器には、對岸の奈川縣の土器の影響が強くみられ、繩文時代後期、東京灣岸地域には、海と山からのめぐみにより、數多くの集落が存在していたと想像される。


■磐上の末社■
(13th June 2008)



((コメント))

2008年6月13日

 實は、この社の存在は知らなかった。洲崎社に行く途中に通りすがったのがきっかけで、偶然、その十字路で赤信號に遭遇したときに發見。いい意味でとれば、この社に呼ばれた、ということ。

 流石に、繩文より人が住んでいただけあり、繩文遺蹟特有のドンヨリさが傳わってくる。まあ、文化の違いなどもあるのだが血なまぐささが腦を直擊してくる。いい感じではあるが、夜中に步け、といわれたらイモをひきそうなところではある。つまり、不氣味というか、おどろおどろしい氣が漂うのである。御社宮司關係もそうであるが、繩文時代物には共通している感じがする。

 本殿のある洞穴の中はひんやりして、さらに、一瞬、ぞわっとするような繩文獨特のうねる氣が充滿していた。


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