■鳥居■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/7f/58b833ed4a0ed7c3beded698c1ad9e93.jpg)
★熊野本宮大社★ 和歌山県田辺市本宮町本宮
世界遺產
・延喜式内社、紀伊國牟婁郡、熊野坐社、名大社。
・舊社格は官幣大社。
・第一殿は西御前といい、熊野牟須美大、事解之男(千手觀音)を祀る。
・第二殿は中御前といい、速玉之男(藥師如來)を祀る。
・第三殿は證誠殿といい、家美御子大(阿彌陀如來)を祀る。主祭。鎌倉時代に一遍上人が參籠し、託を受け、時宗を開いたという。
・第四殿は若宮といい、 天照大(十一面觀音)を祀る。
・中四社、下四社は舊社地鎭座時代、明治二十二年(1889)の大洪水で流出し、現在は舊社地大齋原の石祠にて祀られている。
・『熊野權現金剛藏王寶殿造功日記』により、少なくとも治四年(1090)には舊社地大齋原に社殿が存在したことが確認できる。
・現在は畦道を歩いて大齋原に行けるが、元元、熊野川の中洲にあたり、島に通じる橋は一切なく、上皇や貴族をはじめ、武士、庶民にいたるまで參詣者はすべて熊野川と音無川の流を徒渉して社地に入ることが原則であり、「ぬれわらじの入堂」と言われた。
・創建年代は不詳であるが、古書はすべて崇天皇の御代としている。
・『熊野畧記』によると、熊野權現は武天皇戌午十二月晦の夜半、インドの摩伽陀國より飛んで鎭西の彥山にとどまり、やがて四國の石鎚山に、次いで淡路の遊鶴峰に、さらに紀伊の無漏の切目に移り、續いて熊野の倉に、最後に阿須賀社の北の石淵に降臨、そこに鎭祭された。その後、家美御子大のみが熊野川上流の音無川、岩田川の合流點の櫟木に天下り、崇天皇の御代に社殿が創建されたという。傳說の域は出ない。
・熊野川の水への信仰と見るほうが妥當。
・出雲國一之宮熊野大社よりの勸請と言う說が定說化しているが根據が全くない。
・熊野に傳わる口傳には「崇天皇の夢見により、產田にお祭りされていた樣を熊野川、音無川、岩田川の合流點にある中洲に遷したのが、熊野本宮大社の始まり」といい、實際に、江戶時代までは產田社と熊野本宮大社では、同じ巫女舞が傳承されていた。現在も熊野本宮大社の例大祭の巫女舞において「有馬の」の下りがあるという。
・早くから佛習合形態(兩部道)をとり、吉野修驗と熊野修驗が結びついて以降、その地理的位置から修驗者の根據地として熊野三山の中で最も重視されるようになったが、江戶中期の明和年に唯一道(佛分離形態)に改めた。
・唯一道への轉換の際、社僧の大半は官に轉向したが、以後も彼らを特に「長床山伏」と稱した。
■鳥居■
(14th September 2008)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d8/1a284a7e9526f5bbb8811e2076d8bf4f.jpg)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/74/059ee59eedf80f16582a393447fafc50.jpg)
■參道■
(13th March 2009)
(1st January 2012)
■功靈社■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/4b/696b99343f7fe74869d2f7136a64d5f2.jpg)
(13th March 2009)
・戰爭で命を落とされた我我の先輩たちを祀る。
■末社祓戶社■
(13th March 2009)
■手水舍■
(6th October 2007)
■門■
(6th October 2007)
(13th March 2009)
■奉納額■
(6th October 2007)
■上四社本殿(第一殿、第二殿相殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c0/a16787296116a40f317d62d822c65095.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/53/b9ca79bb5d293fb850e8357acebd313c.jpg)
(14th September 2008)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/b0/d0f8e4764eddea081c7e5619a14901c0.jpg)
■上四社本殿(向かって左から第三殿、第四殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/e1/eb18823e3eafe9471c14a4f03c936067.jpg)
(14th September 2008)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/25/66544649374bb55f0ee0ff4ef15c4534.jpg)
(1st January 2012)
■上四社本殿(第三殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/dc/333581d5b60cec31c0c6728b37f1f7fc.jpg)
(13th March 2009)
(1st January 2012)
■上四社本殿(第四殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b7/6624c0487f1dabf48f8872af2e4f5568.jpg)
(13th March 2009)
(1st January 2012)
國重要文化財(上四社本殿三棟)
・洪水のため、舊社地の社殿が流された折に生き殘り、遷座となったもの。
■滿山社■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3a/d9b9df6331c55f255b8b0ce7719f4c22.jpg)
(13th March 2009)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/22/e97982cf3138e230598639b25061b71d.jpg)
・八百萬のを祀る。
■官幣大社熊野本宮大社社號標■
(6th October 2007)
■祈禱殿■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3b/f10b04b561b839b0dada01382761519a.jpg)
((コメント))
2007年10月6日
本宮の感想は、なんか、樣のいない抜け殻のような社で何も感じないし、やっていることがエゴイスティックで淺慮なので、氣分が惡くなるような大社。建物だけの話になれば、屋根といい、形は好みではある。でも、社はそれだけだと駄目だからね。しさがまったくない社。
2008年9月14日
十一時ごろに熊野本宮大社に到著。個人的には、先祖との色色な歷史的な經緯もあり、非常に嫌いなところであるが、世界遺產であるし、兩親が行ったことないといっていたので、コースに入れた。
ま、相變わらず、境内に入ると、その社側の醜い姿勢が顯著で吐き氣がする。熊野の中でももっとも、欲でどろどろとしているところだ。氣もほとんどなく、殘り香程度であるし、いずれは、野心だけの社になりそうだ。
2009年3月13日
ポーランドの友人の歸國前の案内も兼ねていたので、個人的には好きではないが世界遺產ということで立ち寄ることにした。雨が少しきつくなってきていたこともあり、參拜客は少なかった。雨で社殿が濡れており、檜皮葺の屋根が美しく見えていた。
2012年1月1日
大齋原のあと、熊野本宮大社の現社地へも行ってみる。相變わらず卑しい氣が漂う。正月の初詣に際し、アルバイトを雇っているのはわかるが、若者に著させる衣裝にも氣を使うべきであろう。白い服を上にまとえばなんでもいいというわけではない。そのようなものを通して、お守りにしろ、破魔矢にしろ買う者に對して失礼極まりないといえる。さらにいけていないことに、上四社本殿第一殿第二殿合殿の屋根を修復中ということで、隱されていたのが頂けない。
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/7f/58b833ed4a0ed7c3beded698c1ad9e93.jpg)
★熊野本宮大社★ 和歌山県田辺市本宮町本宮
世界遺產
・延喜式内社、紀伊國牟婁郡、熊野坐社、名大社。
・舊社格は官幣大社。
・第一殿は西御前といい、熊野牟須美大、事解之男(千手觀音)を祀る。
・第二殿は中御前といい、速玉之男(藥師如來)を祀る。
・第三殿は證誠殿といい、家美御子大(阿彌陀如來)を祀る。主祭。鎌倉時代に一遍上人が參籠し、託を受け、時宗を開いたという。
・第四殿は若宮といい、 天照大(十一面觀音)を祀る。
・中四社、下四社は舊社地鎭座時代、明治二十二年(1889)の大洪水で流出し、現在は舊社地大齋原の石祠にて祀られている。
・『熊野權現金剛藏王寶殿造功日記』により、少なくとも治四年(1090)には舊社地大齋原に社殿が存在したことが確認できる。
・現在は畦道を歩いて大齋原に行けるが、元元、熊野川の中洲にあたり、島に通じる橋は一切なく、上皇や貴族をはじめ、武士、庶民にいたるまで參詣者はすべて熊野川と音無川の流を徒渉して社地に入ることが原則であり、「ぬれわらじの入堂」と言われた。
・創建年代は不詳であるが、古書はすべて崇天皇の御代としている。
・『熊野畧記』によると、熊野權現は武天皇戌午十二月晦の夜半、インドの摩伽陀國より飛んで鎭西の彥山にとどまり、やがて四國の石鎚山に、次いで淡路の遊鶴峰に、さらに紀伊の無漏の切目に移り、續いて熊野の倉に、最後に阿須賀社の北の石淵に降臨、そこに鎭祭された。その後、家美御子大のみが熊野川上流の音無川、岩田川の合流點の櫟木に天下り、崇天皇の御代に社殿が創建されたという。傳說の域は出ない。
・熊野川の水への信仰と見るほうが妥當。
・出雲國一之宮熊野大社よりの勸請と言う說が定說化しているが根據が全くない。
・熊野に傳わる口傳には「崇天皇の夢見により、產田にお祭りされていた樣を熊野川、音無川、岩田川の合流點にある中洲に遷したのが、熊野本宮大社の始まり」といい、實際に、江戶時代までは產田社と熊野本宮大社では、同じ巫女舞が傳承されていた。現在も熊野本宮大社の例大祭の巫女舞において「有馬の」の下りがあるという。
・早くから佛習合形態(兩部道)をとり、吉野修驗と熊野修驗が結びついて以降、その地理的位置から修驗者の根據地として熊野三山の中で最も重視されるようになったが、江戶中期の明和年に唯一道(佛分離形態)に改めた。
・唯一道への轉換の際、社僧の大半は官に轉向したが、以後も彼らを特に「長床山伏」と稱した。
■鳥居■
(14th September 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/e9/be1ff06dda935b748987474c2f2789ec.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d8/1a284a7e9526f5bbb8811e2076d8bf4f.jpg)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/74/059ee59eedf80f16582a393447fafc50.jpg)
■參道■
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c0/b4b84703e07d6510cae5a9d6908f225b.jpg)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d6/3321f8f57f29223b0dbd2499473005f8.jpg)
■功靈社■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/4b/696b99343f7fe74869d2f7136a64d5f2.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/6e/1aa26e58a36676c20b0570a6f32053f8.jpg)
・戰爭で命を落とされた我我の先輩たちを祀る。
■末社祓戶社■
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/7e/9d6f614cb4f3d6418d2384778e16c49c.jpg)
■手水舍■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/26/9eec31c5f69e952f2afdba96ed6b42c6.jpg)
■門■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d7/b85cfe1a576628d58c87393dcf604898.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/95/751bff109f95685359622ca9121cb1dc.jpg)
■奉納額■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e7/fca13fee8f2a6e0458fdbc620963d2a7.jpg)
■上四社本殿(第一殿、第二殿相殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c0/a16787296116a40f317d62d822c65095.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/53/b9ca79bb5d293fb850e8357acebd313c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/323905a3a7583419ac90f8da1be479f8.jpg)
(14th September 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/7f/863f48ef0e5ce53dea8054ad16fcfe62.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/b0/d0f8e4764eddea081c7e5619a14901c0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/be/dea276232317dd9e4ae901740f585826.jpg)
■上四社本殿(向かって左から第三殿、第四殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/e1/eb18823e3eafe9471c14a4f03c936067.jpg)
(14th September 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/bc/a0f198d6f795d0e038735e027b3fbd0a.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/25/66544649374bb55f0ee0ff4ef15c4534.jpg)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/7d/23e168639023096858f260124757b138.jpg)
■上四社本殿(第三殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/dc/333581d5b60cec31c0c6728b37f1f7fc.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/6e/2a56e10079007e62efeccf2eb7d7f641.jpg)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/2c/3815f521e60bee8a884064d785be96e5.jpg)
■上四社本殿(第四殿)■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b7/6624c0487f1dabf48f8872af2e4f5568.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/6f/5b6dd7e8dd6f0c210583a2af874db577.jpg)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/c7/b3f755b6378ca9a528c170b74effc1d4.jpg)
國重要文化財(上四社本殿三棟)
・洪水のため、舊社地の社殿が流された折に生き殘り、遷座となったもの。
■滿山社■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3a/d9b9df6331c55f255b8b0ce7719f4c22.jpg)
(13th March 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7c/cff229449c05a8e3802d6872fa127d82.jpg)
(1st January 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/22/e97982cf3138e230598639b25061b71d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/0b/f1be5c54cfef87ae22fbbe20b5793a90.jpg)
・八百萬のを祀る。
■官幣大社熊野本宮大社社號標■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/58/a91f659ffaa4bd0e04e1d1b8ea1b456f.jpg)
■祈禱殿■
(6th October 2007)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3b/f10b04b561b839b0dada01382761519a.jpg)
((コメント))
2007年10月6日
本宮の感想は、なんか、樣のいない抜け殻のような社で何も感じないし、やっていることがエゴイスティックで淺慮なので、氣分が惡くなるような大社。建物だけの話になれば、屋根といい、形は好みではある。でも、社はそれだけだと駄目だからね。しさがまったくない社。
2008年9月14日
十一時ごろに熊野本宮大社に到著。個人的には、先祖との色色な歷史的な經緯もあり、非常に嫌いなところであるが、世界遺產であるし、兩親が行ったことないといっていたので、コースに入れた。
ま、相變わらず、境内に入ると、その社側の醜い姿勢が顯著で吐き氣がする。熊野の中でももっとも、欲でどろどろとしているところだ。氣もほとんどなく、殘り香程度であるし、いずれは、野心だけの社になりそうだ。
2009年3月13日
ポーランドの友人の歸國前の案内も兼ねていたので、個人的には好きではないが世界遺產ということで立ち寄ることにした。雨が少しきつくなってきていたこともあり、參拜客は少なかった。雨で社殿が濡れており、檜皮葺の屋根が美しく見えていた。
2012年1月1日
大齋原のあと、熊野本宮大社の現社地へも行ってみる。相變わらず卑しい氣が漂う。正月の初詣に際し、アルバイトを雇っているのはわかるが、若者に著させる衣裝にも氣を使うべきであろう。白い服を上にまとえばなんでもいいというわけではない。そのようなものを通して、お守りにしろ、破魔矢にしろ買う者に對して失礼極まりないといえる。さらにいけていないことに、上四社本殿第一殿第二殿合殿の屋根を修復中ということで、隱されていたのが頂けない。
色々検索しておりまして、
手水舎で検索していたらここにたどり着きました。
とても興味深い記事を書かれていますね。
私の知り合いに、このような活動をされておられる方がおられるので、是非遊びに来てくださいね。
↓
http://hakuchu.blog58.fc2.com/
コメントどうもありがとうございます。矢加部さんのことは存じておりますよ。私の相方がmixiなるSNSでマイミクだそうですしね。古神道が云々とやらですね。
私は、理系的な視点と先祖より生まれついて与えられた力というのか、感性というのか、それに基づいてやっていっているので、彼の好みには合わないか、とは思いますけどね。