■門■
(7th May 2008)
★矢田坐久志玉比古社★ 奈良県大和郡山市矢田町965
・延喜式内社、大和國添下郡、矢田坐久志比古社二座、竝大、月次新嘗。
・祭は櫛玉饒速日、御炊屋姫。
・通稱矢落大明、矢田の大宮さん。
・矢田村の總鎭守。
・裔は矢田部。饒速日命の後裔とし、物部氏族とされる。
・創建年代は不祥であるが六世紀前半期の頃までは畿内隨一の名社として榮えたと傳えられる。
・傳承によると、饒速日命が天磐船に乗って降臨してきたときに、三本の矢を射て落ちたところを住居と定めたがその一の矢が落ちたところが當社で、ニの矢が落ちたところが境内の二之矢塚という。三之矢塚も近隣にあるという。別の一説では、「饒速日尊降臨に先立って三本の矢を射て、落ちた所を住居と定めたと傳わる。その内の二の矢が落ちた所が本殿、祓い石という。社は矢落大明とも呼ばれた。 三の矢の落ちたとされるのは東明寺、一の矢の落ちた所は南一キロメートル付近で現在は民家の物置と聞く」とある。
・「天磐船に乗りて大空を翔行り」の古事に基づき航空祖とし、明治以降信仰を集めている。
・江戸時代までは矢田村の東明寺と金剛山寺の僧侶が事を司っていたという。
・氏子の中に宮座が殘っており、饒速日尊、降臨の際に防衞として天降り供え奉った三十二の供奉衆の子孫であるとの強い傳承が殘っているようで、社境内に「舟人」と稱する天磐船の石とされる場所があり、宮座の人々は毎年この磐に繩を巻き付けて互いの出自を確かめ合うと傳わる。
■鳥居、社號標■
(7th May 2008)
■樓門■
(7th May 2008)
■拜殿■
(7th May 2008)
■本殿■
(7th May 2008)
國重要文化財
・室町時代の建築という。
・春日造り。
■攝社八幡社■
(7th May 2008)
國重要文化財
・舊社格は村社。
・祭は八幡大。
・本殿は鎌倉末様式といわれる。
■二の矢塚傳承地■
(7th May 2008)
((コメント))
2008年5月7日
鳥居の前には勧請繩があり、これは饒速日尊の蛇性を示すものという。ここも、物部系であり、宮司の家族曰く、石上宮の奥社に等しい、と。信濃の守屋山にある物部守屋社も蛇を感じるし、物部は、蛇、つまり、水を祀るのか。これは、物部氏族が水運を司っていたことも示唆することであろう。
ところで、天磐船の三本の矢の話はなんであろうか。おそらくは、物部氏が入植する前の先住民との戰争の傳承が矢の話に置き換えられたのであろう。
鳥居をくぐると、正面にプロペラ付の樓門が立つ。舊陸軍中島飛行機九一戰闘機のプロペラと同型らしい。そう、この社は航空祖を祀っていることになっている。天磐船傳説によるのであるが。