■本殿■
(12th June 2010)
★須佐社★ 島根県出雲市佐田町須佐730
・延喜式内社、出雲國飯石郡、湏佐社。
・舊社格は國幣小社。
・祭は須佐之男命。櫛名田比賣命、手名椎命、足名椎命を配祀。
・『出雲國風土記』によると、須佐能袁命がみことのりして、「この國は小さい國だが住むによい土地である。だから私の名は木や石につけるべきではない」と仰せになり、自らの御魂を鎭め置かれた、とし、須佐の地名の由來とする。當社はその地の中央部を横切る須佐川のほとりに鎭座する。
・この地は古くは飯石郡に属し、中世から近世まで変わらず、郡の總社であった。
・中世には、「十三所御社」「十三所大明」、近世には「須佐大宮」と稱していたことが棟札より明らかである。
・當社は日御碕社、美保社、内社などとともに、杵築國造、佐陀主に属しない「一社一令社」であった。
・舊社地は北の宮尾山にあったと傳えられ、大きな磐境が現在も殘っていると言う。遷座の年代は不詳。
■鳥居、社號標■
(12th June 2010)
■隨門■
(12th June 2010)
■拜殿■
(12th June 2010)
■本殿■
(12th June 2010)
■手水舎■
(12th June 2010)
■石龜■
(12th June 2010)
■末社三穗社■
(12th June 2010)
・祭は三穗津比賣命。
■末社稻荷社■
(12th June 2010)
■參道脇の東末社、西末社■
(12th June 2010)
・祭は八御子(五男三女)。
■塩井■
(12th June 2010)
■末社天照社■
(12th June 2010)
・祭は天照大。
・中世文書には伊勢宮と記される。
・近世、須佐神社が「下ノ宮」と稱されるのに對し、「上ノ宮」と呼ばれた。
((コメント))
2010年6月12日
舊社地に行ってないので、本來のこの社についてはわかりにくいが、現社地に關しては、人づてに耳にする、しさや荘厳さは、全くといっていいほど感じることがなく、やはり、小社は小社ということである。建速須佐之男命を祀るべくは紀伊の名大社須佐社ということを再認識することになった。
(12th June 2010)
★須佐社★ 島根県出雲市佐田町須佐730
・延喜式内社、出雲國飯石郡、湏佐社。
・舊社格は國幣小社。
・祭は須佐之男命。櫛名田比賣命、手名椎命、足名椎命を配祀。
・『出雲國風土記』によると、須佐能袁命がみことのりして、「この國は小さい國だが住むによい土地である。だから私の名は木や石につけるべきではない」と仰せになり、自らの御魂を鎭め置かれた、とし、須佐の地名の由來とする。當社はその地の中央部を横切る須佐川のほとりに鎭座する。
・この地は古くは飯石郡に属し、中世から近世まで変わらず、郡の總社であった。
・中世には、「十三所御社」「十三所大明」、近世には「須佐大宮」と稱していたことが棟札より明らかである。
・當社は日御碕社、美保社、内社などとともに、杵築國造、佐陀主に属しない「一社一令社」であった。
・舊社地は北の宮尾山にあったと傳えられ、大きな磐境が現在も殘っていると言う。遷座の年代は不詳。
■鳥居、社號標■
(12th June 2010)
■隨門■
(12th June 2010)
■拜殿■
(12th June 2010)
■本殿■
(12th June 2010)
■手水舎■
(12th June 2010)
■石龜■
(12th June 2010)
■末社三穗社■
(12th June 2010)
・祭は三穗津比賣命。
■末社稻荷社■
(12th June 2010)
■參道脇の東末社、西末社■
(12th June 2010)
・祭は八御子(五男三女)。
■塩井■
(12th June 2010)
■末社天照社■
(12th June 2010)
・祭は天照大。
・中世文書には伊勢宮と記される。
・近世、須佐神社が「下ノ宮」と稱されるのに對し、「上ノ宮」と呼ばれた。
((コメント))
2010年6月12日
舊社地に行ってないので、本來のこの社についてはわかりにくいが、現社地に關しては、人づてに耳にする、しさや荘厳さは、全くといっていいほど感じることがなく、やはり、小社は小社ということである。建速須佐之男命を祀るべくは紀伊の名大社須佐社ということを再認識することになった。