■鳥居、社號標■
(10th July 2010)
★丹生川上社★ 奈良県吉野郡東吉野村大字小968
・延喜式内社、大和國吉野郡、丹生川上社、名大、月次新嘗。
・二十二社下八社の一。
・舊社格は官幣大社。
・本來の祭は、丹生川上(『六國史』)。古來、朝野の祈止雨祈願がしばしば行われ、雨を司る水であったので、これを記紀話に見える罔象女や龗に充てるようになった。平安時代初め頃から「雨師」とも稱されるようになった。
・現在は、本殿に罔象女。伊邪奈岐命、伊邪奈美命を配祀。東殿に大日孁貴命、八意思兼命、誉田別命。西殿に開化天皇、上筒男、大國主命、事代主命、綿津見、菅原道眞を祀る。大正十一年(1922)までは大穴貴、表筒男命、伊邪奈伎命を祭としていた。
・社傳に因れば、鎭座地は武天皇が天の教示によって天地祇を祀り、戰勝を占った地とされ、白鳳四年(675)に罔象女を御手濯川(見川)南岸の現攝社丹生社の地に奉齋し、その後、現在地に遷座したという。實際のところは、この地は宇陀市榛原区雨師鎭座の式内丹生神社の地に比定されている。
・寛平七年(895)の太政官符(『類聚三代格』所収)には、當時の丹生川上社の祝や禰宜の解を引き、『名本紀』という書に「『人声の聞こえない深山で我を祀れば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めよう』との託により創祀した」との傳えがあることを記す。
・慶安三年(1650)の造営の上梁文には、當初の鎭座地に丹生社を新造するとともに、本社を金剛峯寺の鎭守に倣って「蟻通明」と改稱した旨が記されている。
・中世以來、安土桃山時代まで小川氏が主職を襲い、また別當寺院として金剛峯寺末寺の摩尼山大乗院が奉仕した。
((丹生川上社))
上社 吉野郡川上村字宮の平
中社 吉野郡東吉野村小
下社 吉野郡下市町長谷
・延喜式内社、大和國吉野郡、丹生川上社、名大の論社が三社あり、明治政府により、色々な経緯があり上、中、下社とされた。
・延喜式名帳によると、雨師社と号されたとある。
・卜部兼倶撰といわれる『二十二社注式』に、人皇第四十代天武天皇白鳳四年(675)に創建とある。
・仁安二年(1167)、大倭歳繁が國衙の命で注進した『大倭社注進状』によると、丹生川上のに奉幣のとき、大和社の主が勅使に隨行すると『延喜式』に定められているのは、大和社の別宮であるから、とされており、實際、吉田兼倶撰といわれる『二十二社注式』には、天武天皇の白鳳乙亥(四)年 (675)に垂迹し、大和社の別宮になったと記される。
・大和社末社雨師明(現高龗社)のタカクラオカミを移した社と傳承も殘る。
・丹生川上社下社の社前を流れる丹生川は芳野水分峯に源を発し、その水域には古代寺院の堂原寺跡や丹生川上の雨師を祀る大日川の丹生社、宇智の式内社丹生川社などの諸社が点在している。これが、下社を式内社丹生川上社とする有力な根拠の一つとなる。
・丹生川上社の所在について、林羅山は『本朝社考』にて、所在不明としているが、白井宗因が『社啓蒙』『社便覧』において「下市之傍山中丹生村」にあるとして以來、『大和志』、度會延經の『名帳考證』などの諸書すべてが現在の下社に比定し、これにより明治四年(1871)、式内社として官幣大社に列した。
・『類聚三代格』寛平七年(895)の太政官符が大和國丹生川上雨師社界地の禁制の事として、社地の「東限を塩匂、西限は板波瀧、南限は大山峯、北限は猪鼻瀧」としていることから、明治七年(1874)、現下社の少宮司江藤正澄は同社がこの四至に合致しないと稱し、北限の猪鼻瀧は小川郷内萩原村の瀧であると説き、川上村迫所在の社を式内社に比定、下社を口の宮、後者を奥の宮とした。明治二十九年(1896)、内務大臣告示にて口の宮が下社、奥の宮を上社とし、上社も官幣大社に列した。
・大正四年(1915)、森口奈良吉は『丹生川上社考』を著し、太政官符の四至の東限塩匂が大豆生の塩和田、西限板波瀧が小川村と國栖村との境界付近のイトサミの転訛、南限大山峯は小川村と川上村境界にある南方の峯、北限猪鼻瀧は小川村萩原下と考證し、新たに小川村の蟻通社を式内社に比定した。さらに傍証とし、同社の祭木像が藤原期初期のものである事、丹生社銘を持つ弘長三年(1263)の石燈籠があること、『春日大社文書』の宇陀郡田地帳に「雨師庄、田五町、吉野郡小河雨師明領」とあること、前出の太政官符にいう、供御にことよせてたびたび地を汚し崇りを受けた「國栖戸百姓竝浪人」の住地に近接していることを挙げ、内務省考證官の實地調査を求め、その結果、認められた。
・大正十一年(1922)、蟻通社が内務省告示により丹生川上社中社とし、官幣大社に列され、同時に祭増加の形で上、中、下三社を合一、中社を中心的社と定め、社務所を置いた。
・丹生川上社への祈雨、止雨の奉幣遣使の記録は室町期以後、衰退し、ついに社地の所在不明とまでなった。
■拜殿■
(10th July 2010)
■本殿、西殿■
(10th July 2010)
國重要文化財
・本殿は三間社流造で南面し、その左右に配祀神を祀る東殿と西殿が鎭座する。
・文政十二年(1829)の建築。
■攝社丹生社■
(10th July 2010)
國重要文化財
・彌都波能賣命を祀る。
・御手洗川対岸の舊社地に鎭座するため、「本宮」とも稱される。
・大正四年(1915)の「社祭変更竝に社名変更許可書」に、當社の「御靈代ヲ本社ニ奉遷シ、丹生社ニハ適當ノ御靈代ヲ奉安スルコト」とある。
((コメント))
2010年7月10日
久しぶりに行ってきた。いつになく、いい氣を感じたが、理由はわからない。なんとなく歓迎されていたように思う。雨の後だったので、龍がいたのかもしれない。