2021年8月1日(日)・・2024年1月17日に前記事を訂正しています。
「矢野さん、斑鳩寺って奈良ではなく太子町にあるんですかぁ」と私。
9月4日のツアーの行程の中に、『斑鳩寺』と書いてあって、私の頭は・・???で、矢野さんに聞いたほどでした。
斑鳩(いかるが)って聞いたら、奈良の斑鳩を思い浮かべませんか。
それで早速、兵庫県揖保郡太子町にある斑鳩寺の三重塔にポイントを打って、私の頭の中に浮かんだのは、奈良斑鳩にある法隆寺の今は無き若草伽藍にポイントを打ちました。
そして、若草伽藍は丹後半島にある秦始皇帝の地下神殿に向けて造営されていましたから、その場所にポイントを打ちました。
そして三点の位置関係を見ると・・、斑鳩寺から若草伽藍までと、秦始皇帝の地下神殿までとは109~111㎞と凡そ同距離で二等辺三角形を描いています。
ここまで隠されたものが浮き上がると、西の比叡山延暦寺と言われる書写山円教寺摩尼殿と秦始皇帝の地下神殿までと、秦始皇帝の地下神殿に向けて若草伽藍を造営した蘇我入鹿の墓(松尾寺補陀落山)との関係を見ることにしました。
そうすると・・思いは的中しました。
書写山円教寺摩尼殿から徐福達が造った秦始皇帝の地下神殿までと、蘇我入鹿の墓である松尾寺の補陀落山までの距離は、共に102.2㎞と見事に同距離です。素晴らしい二等辺三角形です。
ここまでくれば、隠されていた日本の歴史が一気に表に吹き出しそうです。