かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

法隆寺の謎 その1 若草伽藍と秦始皇帝の地下神殿

2024-03-01 01:01:01 | かごめかごめの真実とは

2024年3月1日(金)

上森三郎古代史シリーズ・・またまた矢野さんがうまく纏めてくれました。

素晴らしい作品です。周回遅れの人達から見れば、「何を根拠にアホな!」ともう声は聞こえますが、一緒に古代史を探求して先頭を行ってる人達からすれば、「うまく纏めましたね」と・・。

昔も今も、建物を作る時は、意味ある場所に、意味ある方角に向かって出来るだけ耐久性を持たせた設計をするのが建築家なのです。そして建物が朽ちても、基壇(基礎)や地中に遺構は残っていて、そこからその意味を探ることができるのです。 なんと素晴らしいことでしょう!当時の人達と理念も時間も共有できるのです。周回遅れの人達は、いつまでたっても真実にふれることもないのです。


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徐福たちが造った秦始皇帝の墓は太鼓山から東南東464m地点の地下深くに巨大な地下神殿が造られています

2022-05-24 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年5月24日(火)

新井崎神社から西8.91㎞の地点に徐福の墓(地下神殿) 秦始皇帝の墓は在ります。

浦嶋神社から新井崎神社までと徐福の墓 秦始皇帝の地下神殿までとの距離は共に、5.59㎞と全く同距離に在ります。

徐福の 秦始皇帝の地下神殿の真上には現在、『風のがっこう京都』が建っています。

その建物の地下深くに巨大空間の存在がコアロッドで反応を示します。

地元の方々の手で、早く入口の扉を開けてほしいと私は願います。

徐福の墓 秦始皇帝の地下神殿若草伽藍入炭山は、3:4:5の大矩である直角三角形を描いています。

今は幻となった法隆寺の若草伽藍は、徐福の 秦始皇帝の墓に手を合わせるような建物の配置になっていました。(2022年10月18日加筆)


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天界は非常に焦っているような気配である

2021-11-30 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年11月30日(火)

毎週土曜、日曜及び祝日は、金探査に明け暮れている。

先日の土曜、日曜日は前週に続いて丹後半島へと行って、今回は物理探査を行った。

そして、昨日は、朝から電車を乗り継いで、六甲道~尼崎~豊岡~峰山へと行った。

六甲道から快速で尼崎まで行って、福知山線を特急こうのとり3号で豊岡へ。

福知山から山陰本線に入って、和田山駅近くまでは、卑弥呼が住む宮までの陸路1ヶ月のルートですから、車窓からの眺めも山々や川や田畑を見て1800年ほど前の情景を思い浮かべるのも楽しい路線である。

豊岡から京都丹後鉄道に乗り換えて、降りた駅は峰山。

初めての京都丹後鉄道の旅は、単線でトンネルも狭く、線路の音も車内に響き、なだらかなカーブを滑るよう走る列車はアドベンチャー的で、次々かわる山の形や情景はロマンチックだった。

峰山駅も初めて降り立つ駅だった。

そこから先ずは、タクシーで市役所へ。

そこから歩いて、京都地方法務局 京丹後支局へ。

そこからタクシーで京都府丹後広域振興局へと行って、大急ぎで峰山駅へと急いで、ギリギリ帰りの電車、特急はしだて5号にセーフ。

はしだて5号は豊岡止まりで、豊岡駅から特急こうのとり22号で尼崎で降りて、新快速電車で芦屋で普通電車に乗り換えて六甲道駅で一日の電車の旅は終了。

朝8:48JR六甲道駅を出発して、六甲道に帰ってきたのは18:40だった。

京丹後で2時間もあればなんとか謄本を上げられるかと思ったが、上げるまでに至らなかった。

でも・・、その一歩手前まではやれたような結果で終わった。

もう少しで辿り着けそうである。

どうも天界は非常に焦っているような気配である。

この調査は、幻の法隆寺若草伽藍でお祈りする先であり、12月18日のツアーで行く摩尼寺善光寺如来堂で手を合わせる同じポイントである徐福の墓に関するものである。

18日のツアーの空きは、あと数名です!

                  


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斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町)の三重塔の存在は重大なことを教えています

2021-08-01 04:36:31 | かごめかごめの真実とは

2021年8月1日(日)・・2024年1月17日に前記事を訂正しています。

「矢野さん、斑鳩寺って奈良ではなく太子町にあるんですかぁ」と私。

9月4日のツアーの行程の中に、『斑鳩寺』と書いてあって、私の頭は・・???で、矢野さんに聞いたほどでした。

斑鳩(いかるが)って聞いたら、奈良の斑鳩を思い浮かべませんか。

それで早速、兵庫県揖保郡太子町にある斑鳩寺の三重塔にポイントを打って、私の頭の中に浮かんだのは、奈良斑鳩にある法隆寺の今は無き若草伽藍にポイントを打ちました。

そして、若草伽藍は丹後半島にある秦始皇帝の地下神殿に向けて造営されていましたから、その場所にポイントを打ちました。

そして三点の位置関係を見ると・・、斑鳩寺から若草伽藍までと、秦始皇帝の地下神殿までとは109~111㎞と凡そ同距離で二等辺三角形を描いています。

ここまで隠されたものが浮き上がると、西の比叡山延暦寺と言われる書写山円教寺摩尼殿と秦始皇帝の地下神殿までと、秦始皇帝の地下神殿に向けて若草伽藍を造営した蘇我入鹿の墓(松尾寺補陀落山)との関係を見ることにしました。

そうすると・・思いは的中しました。

書写山円教寺摩尼殿から徐福達が造った秦始皇帝の地下神殿までと、蘇我入鹿の墓である松尾寺の補陀落山までの距離は、共に102.2㎞と見事に同距離です。素晴らしい二等辺三角形です。

ここまでくれば、隠されていた日本の歴史が一気に表に吹き出しそうです。


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無念で無念で仕方ない邪馬壹国の女王卑弥呼と蘇我入鹿の無念の御霊を開放しなければこの国の、そしてこの世の平安は遠のくばかりである

2021-05-25 05:32:03 | かごめかごめの真実とは

2021年5月25日(火)

二年前に、法隆寺若草伽藍の向きを調べたことがありましたが、もう一度確かめてみることにしました。

すると・・何故か、以前の角度には違いがありました。

正確には338度のようです。

すると、下記のような図形が浮かび上がりました。

 

今はなき法隆寺若草伽藍の配置は、丹後半島にある徐福の墓秦始皇帝の地下神殿に向けて造営されています。

その反対は、鬼の俎・鬼の雪隠がある場所です。

若草伽藍と徐福の墓 秦始皇帝の地下神殿と応神天皇の墓の三点は、ケプラー三角形を描きます。

又、若草伽藍と徐福の墓 秦始皇帝の地下神殿と淡路国分寺塔跡の三点は、正五角形の一部をなす直角三角形を描きます。

このことから、乙巳の変の真相と蘇我入鹿の無念の御霊を開放できるのではないかと私は思います。

今のこの世の不条理な現象を解こうとすれば、やはり蘇我入鹿の無念の御霊に手を合わせ入鹿の汚名を晴らさなければ絶対に解決しないと常々思っています。

蘇我入鹿は、卑弥呼の流れも受け継いでいます。

日本の歴史の中で、無念で無念で仕方ない邪馬壹国の女王卑弥呼と蘇我入鹿の無念の御霊を開放しなければこの国の、そしてこの世の平安は遠のくばかりです。

一刻の猶予もないようです。 (2024年2月9日加筆訂正)

卑弥呼 世界に行くわよ!

 


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法隆寺若草伽藍から四天王寺を結んだラインのその先にはマリアの墓が存在している

2019-03-13 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年3月13日(水)

法隆寺若草伽藍と四天王寺の伽藍配置は同じと言うことですが、この二寺を結んだラインの先にはピタリとマリアの墓が位置しています。

そして、マリアの墓からイエスの陵墓を引き通したラインと法隆寺と直角に交わる場所には、磐座があって、そこには事代主を祀る蛭子神社があるようです。

不思議なことに地理院地図には、直角の交点と思われる何もない平坦地の189.2m地点に、三角点とアンテナと電波を表す電子基準点が表示されています。

私が描く図形のラインには考えられないところに標高点が打ってある不思議さに遭遇することが多々あります。

国交省もこれらの情報を持っているとしか思えません。

現に私のこれらのデータは、毎回、国交省とグーグル社のコンピューターに保存される仕組みになっています。

もうデータは2000を超えていると思われます。

国土交通省とグーグル社は、各個々人のデータをファイルしていますね。

これらのデータから、邪馬台国の女王卑弥呼が居てた場所もアークの在処も察知していることでしょう。

世界を統治しようとして大事なアークを探し求めていた人達は、の心臓部に的を絞っていることでしょう。

この場所こそ、唯一絞られたオスプレイの飛行訓練コースであるブラウンルートの重要な場所なのです。


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四天王寺は、神野山と長老ヶ岳を見据えた造営配置である

2019-03-12 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年3月12日(火)

10日(日)PM1:00、四天王寺の鳥居前が待ち合わせ場所でした。

待っていたのは武部さん

前日にツアーで法隆寺へと皆さんで行きましたが、若草伽藍の謎解きも武部さんの四天王寺について書かれていた記事が大いヒントになりました。

武部さんも書かれていましたが、八角堂の奥殿を意識した東西ラインの東は、間違いなく神野山の天照大神(テラ)の墓です。

そして南北ラインの北は、長者ヶ岳です。私のコンパスグラスでの現地での計測は4度でした。

長者ヶ岳と四天王寺と神野山のテラの墓は、2:1:√3の綺麗な直角三角形で、大事な基本形の三角形になっています。

平安時代には密教寺院が百余ある霊山であったという長者ヶ岳に向けて伽藍配置がなされていることは間違いありません。

神野山のテラ(天照大神)の墓と、丹後半島にあるモーセ(素戔嗚尊)の墓と、アブラハムの墓の三点は、夜空に輝く夏の大三角形を地上に下した配置に造られていました。

そして、テラの墓とモーセの墓とを結んだライン上に長老ヶ岳はあります

いかにも、テラとモーセを我が国の長老と崇めているようです。

四天王寺には、もっともっと大事な意味を持たせた伽藍配置がなされています。

武部さんが実に愉快な発見をしていま~~す。 

この巧妙な仕掛けをした人達は、「わかってもらえる日が来るかな~~?」と思って居られたことでしょうねぇ。 ・・謎解きはつづきます!

鳥居の扁額の文字、読めませんねぇ。

内に向かって右の柱と左の柱は作成年が異なっているのであろうか。

右手の柱の下には、獅子を装飾してあったような痕跡がありますが、片方にはありません。

武部さんが会うなり、教えてくれました。

現地の案内板は、南を上にして描いているので、北が上になるように反転しました。

 

上の図は、事前に地理院地図から割り出していた情報です。


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法隆寺の建築計画には驚きを隠せません

2019-02-26 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年2月26(火)

 法隆寺の基本計画と建物の配置には唖然とさせられます。

山口にある空海様のお墓望海山)、アブラハムの父、テラ(日本名、天照大神)の墓神野山)を東西の基本ラインとして、そのラインから北方向に、

西円堂蘇我入鹿(=聖徳太子)の墓松尾寺の補陀落山)

金堂は第五十代桓武天皇の墓(京都高雄山428.4m)

夢殿藤原鎌足のお墓鎌足公古廟から移し替えられた交野山の北方向にある場所)

建物の方角には1度の狂いもありません。 見事です!

そして、モーセの墓、モーセの御霊を移し替えた場所イエス・キリストの墓卑弥呼の墓マリアの墓・・

それに、聖徳太子を祀る広隆寺へも手を合わせるようになっています。

上御堂は広隆寺に手を合わす設計になっていて、上御堂と広隆寺とマリアの墓は見ごとに直角三角形を描きます。

どれを取っても見事です。

又、この法隆寺の位置決めは、ここから磁北方向にある京都府の675m地点を基準ポイントとして位置出ししていることも分かりました。

それと・・創建当初の若草伽藍の位置と方角が教えるものも又、イエス・キリストの墓を三角法でズバリ教えていました。

我が国の礎を築かれた偉大な現人神のお墓を全て、現在の形になる法隆寺を設計建築した人達は知っていたということです。

空海様も間違いなく知っていた人物の一人だったということです。

法隆寺が教えている情報は、尊いものであります。

どの場所でどこを向いて祈ると誰に手を合わすようになっているかを知ることで、必ず心が豊かになることでしょう。

もう意図的に隠すために論争させ続ける邪馬台国論争も意味をなしません。

政治政体が奈良巻向で、国事国体は播磨国風土記に記された「埴丘の里、現在の兵庫県神崎郡神河町でした。

卑弥呼はイエスの直系であるがゆえに7.80年続いた戦乱を終息させるために共立された女王でした。

女王とは名ばかりで、イエスや王家の方々の墓守が務めでした。

このような全ての事実を第五十代桓武天皇達は知っていたわけですし、二葉葵を紋章とする人たちも、三つ葉葵の徳川家の方々もハートの形の意味を知っています。

幕末までは、間違いなく先祖供養はされています。

このまま知って知らぬふりをし続ける怖さを関係者は理解しているのかどうなのか・・。

神の世界にも限度があるようです。


3月9日、歴史の真実が分かるように残してくれた行基さんのお墓へと手を合わせに行ってから、法隆寺です。

そして、蘇我入鹿さんに手を合わせに行きます。

残りの空席は5名となりました

 

   

真魚の山(空海様のお墓)は、どこを向いてるのかなぁ~と思っていましたが、ピッタリと法隆寺を向いていましたねぇ。

それにしても・・、可愛いですねぇ。 どうやって造るんでしょうかねぇ。


 


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