2024年8月11日(日)
私のことが書かれているので、皆さんにも読んでいただきたいと思います。
百畑キクリの古代史を探る
一位ヶ岳・湯の華観音(山口県一の俣)の研究
古代史をゼロから考えて行きます
他の史家説と繋がる一位ヶ岳(湯の華観音)レイライン
そのレイラインは阿川八幡・『一位ヶ岳』・へび様
2024年8月11日(日)
私のことが書かれているので、皆さんにも読んでいただきたいと思います。
そのレイラインは阿川八幡・『一位ヶ岳』・へび様
2024年4月2日(火)
昨年の9月4日に私は、湯村温泉の「井づつや」さんで、最澄さまの掛け軸の姿を前にして講演をしました。
それから不思議なことが連続的に起き、導かれて円仁さまの墓を教えられ、そして又、最澄さまのお墓をフェニックスコードで教えられました。
円仁と最澄と吉備真備の墓は直角二等辺三角形を画いています。その三ヶ所ともコアロッドで石室を捉えました。
彼らが行ったことが今、この時代に表にでるのではという予感がする私です。
2024年1月8日(月)
湯村温泉の元旦は、一日中小雨模様の一日だったので、ホテルの窓から正面向こうに見える八幡神社を時折眺めていました。
2日は晴れて、午前10時過ぎに八幡神社へと行った。そこでは改めに、五輪の石塔を見つめた。
五輪の石塔は、遥か向こうに見える山の中央頂上に眠る円仁の墓を指示していました。
2024年1月7日(日)
早いもので、今年ももう一週間が過ぎました。
一週間前、私は三宮から特急はまかぜに乗って、鳥取県浜坂駅で下車してそこからバスで湯村温泉へと行きました。
昨年9月4日の出来事からいろいろあって、大晦日から正月には円仁さんと過ごそうと決めていたからでした。
泊まった宿は、朝野家でした。
2024年1月3日(水)
フェニックスコードで円仁の墓を教えられましたが、空海との関係も読み解けるようになっていました。
円仁は、空海の妹の娘を嫁にしていました。
そして、私のルーツをたどっていくと、円仁、空海と同根であるとフェニックスコードは教えているので・・。
それで・・除夜の鐘を聞きながら円仁さまと語らいに湯村温泉へと行った次第でした。
2024年1月2日(火)
湯村温泉へと皆さんでツアーに行きましたが、ブログを見るたびに「夢の世界」を思い出します。
「あの日の夢の世界が湯村温泉にはあった」・・見るたび、思い出します。・・夢のひと時だったんだと・・。
円仁と夢の世界へと行けたら・・と。
円仁の墓
2024年1月1日(月)
今年もよろしくお願いします。
私は、昨日から新温泉町に来ています。
昨年の9月4日、湯村温泉での出来事は、私にとって、「円仁」との出会いの「場」だったと感じています。
桓武天皇の命を受けた最澄、空海の想いを引き継いだ円仁に、「ゆっくり話しませんか」と招待されたようです。
円仁の墓が湯村温泉の山頂にありますから、時間の許す限りお墓に向かってボ~~ッと、そして一人でブツブツ 仏仏です。
「円仁さまのお墓の立証をさせていただきたい」と・・湯村で手を合わす元旦です。
2023年12月3日(日)
私が51年前、田舎から出て勤めた会社の寮が阪急中山寺近くだった。
私の社会人としてのスタート地点がそこだった。その中山寺奥之院が飛び出して私は正直ビックリしている。全てが台本にしたがって動かされているように、この度も思った次第である。
中山寺奥之院からコヤネ(天児屋根命)の墓までと、孝安天皇陵までは54㎞であり、また、中山寺奥の院からコヤネの墓までと横川中堂多宝塔までの距離も54㎞と同距離で二等辺三角形を描く。
偶然でしょうか・・。そして、弟橘媛の墓からコヤネの墓までと、孝安天皇陵までの距離も51~52 ㎞と同距離であり、日本武尊と弟橘媛との間に生まれた子供の墓からコヤネの墓までと円仁創建の横川中堂多宝塔までの距離も51㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
これって偶然でしょうか・・。あまりにもシンメトリー的図形で美しいのです。
これらはもう、計画的配置なのです。 円仁がそれを証明しています。
コヤネの墓に初めて行かされたのは、2012年5月6日(日)に行かされていますね。実はその前日に初めて卑弥呼の墓に行っているようです。
ここに来て・・、私が社会に出てから、動いて行った場所に大きな意味があったことが全て今、教えられているようです。
2023年11月29日(水)
昨日の朝までに、欠史八代の謎+天児屋根命の系譜も解明。
各々のお墓の場所も全て特定できました。
それで・・、来年1月13日(土)大阪でセミナーを開催します。
時間は、午後1時から4時までで、その後はいつもの場所で新年会を計画しました。
いよいよ日本古代史最終章を急がねばならないようです。
天児屋根命とその息子は、「弟橘媛と綏靖天皇の嫡男の血を引いた孝安天皇の系譜です」と語っていて、そのことを円仁も証明していました。
2023年11月16日(木)
そしてその遺骨は、白毫寺(青星)へ安置された。そしてそして、なんと!綏靖天皇の嫡子の墓もあった!!(赤星)
このことは、空海と円仁も知っていた! いえいえ、知っていたどころか、吉備真備も空海も「私のルーツだ!」と言っているのです。
これで、18日のツアーに行くことができる。
新たなフェニックスコードが浮かび上がりました。
2023年10月14日(土)
9月16日(土)、新温泉町の山上にある円仁の墓の探索と巖山寺と、巖山寺の住職さまの案内で巖山神社へも行くことが出来たので、次の17日は、朝からゆっくりと養父市の中瀬鉱山町へとカーナビにセットしてドライブを楽しんだ。
・・でも鉱山町へと行ったものの、金山跡地がわからないので探していると・・、「山田風太郎記念館」という案内表示が目に入ったので、そこで聞けば教えてもらえるのではと思ってその記念館へ行ってみました。そこで私の目的とその場所を聞くと、丁寧に中瀬鉱山関所広場交流館への場所を教えてくれました。そのおじさんは、「私は金山会の会員もしていまして・・」と。
そのようなことで、迷うことなく中瀬鉱山関所広場交流館へとたどり着くとができました。すると・・、風太郎記念館のおじさんからの連絡を受けたというおじさんが、今か今かと待ってくれていた。
田舎の連絡網は凄い!と思いました。
そして詳しく詳しく、金山関所展示物での話は私をワクワクさせる話ばかりでした。
そして私はタイミングを見て、「石に金の反応を示すか調べてもよいでしょうか」と了解を得た上で、コアロッドを取り出して落ち着いて調べました。おじさんは、初めて見る私のコアロッドをしげしげと見ていました。そして、「反応しますかぁ・・」と言いながらも、不思議そうに眺めていました。
それから私は、ことの始まりの砂金が出たという大日寺付近の沢でコアロッドが反応するかどうかを楽しみました。
すると・・、反応する石を見つけることができました。それにしてもその日の真夏並みの異常な暑さだったことが今は懐かしく思い出されます。
2023年10月3日(火)
下の二つのフェニックスコードが教えるものの意味は、どこに繋がって行くのか・・。
それは、白毫寺なのですが・・、白毫寺から円仁、良源に関係する場所までも二等辺三角形を描くのです。
偶然などでなく、全て計画的配置なのです。そしてそこからが・・ビックリ!なのです。
白毫寺から広渡廃寺跡とを結んで・・、そのラインの先をどんどん行くと! なんと星ノ岩屋の先にある空海の生誕地に繋がります。
こんなことが・・あるのでしょうか。
7日(土)久々の大阪でのセミナーですが、このことを詳しく話さねばならないと思っています。
1200年前に、最澄・空海を擁して桓武天皇は何を行ったのかを・・。あまりにも壮大すぎるドラマなのです。
2023年9月20日(水)
照来川(てらぎがわ)は「しょうらいがわ」でしょう。
私には、蘇民将来(そみんしょうらい)・・の「しょうらい」を想起させるのです。
元三大師 良源は、モーセの過越の祭をヒントに「蘇民将来」という言葉と共に災厄避けの神としての信仰と護符の頒布などを積極的に行ったように響いてきます。
モーセには角が生えていたと一説に言われていますが、元三大師が「角大師」などと呼ばれていたことなどからも、良源が旧約聖書をより積極的に研究していた気配を感じます。
桓武天皇の命を受けて、最澄、空海が行ったことは、『密教』なのですから当然至極なのです。
お護摩を焚く型にも密教とは何か!が組み込まれているようですが、その本質を皆が知る必要に迫られている世界情勢です。
天は、最澄、空海、そして円仁、良源らからその流れを組む者たちへ「今」目覚めを促しているのですが・・。
2023年9月18日(月)
湯村温泉は、空海、円仁、良源らが集う夢の世界のように思える私です。
大好きな夢の街、湯村温泉に16、17、18と三日間、彼らと静かに今、語らっています。
ああ~~あの夢の世界に行けたらな~~、また皆でツアーに行きたいなぁ~~!・・と思い出している私ですぅ。
イエスの墓を遠くから見つめて・・、湯村温泉に泊まって・・、そこからモーセの墓に向かって皆で「ヤ~~~~ッ ホーー~~~~~~」と叫んだら、「ヤ~~~~ッ ホーー~~~~~~」と、こだまが返ってきたりして感動の夢の世界にみんなといてましてねぇ・・と、夢の街湯村で思い出しています。