2022年12月14日(水)
高雄山(428.4m)の桓武天皇の墓の石室の向きから奇麗なシンメトリーの図形が浮かび上がりました。
石室の向きは、鎌足公古廟と京都御所に向けて造営されていましたが、シンメトリーを描くブルーの星の地点には、私の目にはお墓の存在を教えています。
桓武天皇が愛した女性なのか・・「どうしてるか、行ってみたいものじゃのぅ・・」と言って居られますかねぇ。
母上様(高野新笠)のお墓はちゃんとありますからねぇ・・。
北から ★京都府京都市北区雲ケ畑出谷町
2022年12月13日(火)
11日(日)京都駅から個人タクシーで神護寺入口横まで連れて行ってもらって、降りたのはPM1:00過ぎだった。運転手さんが「1時間なら待っても・・」と言われるので、「最低でも1時間半は必要ですが、もっとかかるかもしれません」という会話の上で了解していただいたのでお願いすることにした。以前、山頂には2回ほど登ったことがあったので、山頂までのタイムも往復1時間として、調査時間には、先ずは空海が唐から帰って最初に居た高雄山寺跡だと思う342m方角を道の途中から計測することにした。342m地点の方角には反応することなく、やはり428.4m地点の方角にのみ強くコアロッドは反応した。それでコアロッドを仕舞いこんで、急いでスマホのジオグラフィカを見ながら山頂を目指した。山頂に着く頃に急に雲行きが怪しくなってきた。
久々のなつかしい山頂に辿り着き、「嬉し涙は分かりますが、私の仕事ができません。よろしくお計らいを・・」とお願いして、コアロッドを取り出して計測すると即座に金の反応です。木々の間を縫って、計測し、黄金の次は石室(空間)の計測です。山頂に着いた時だけパラパラと嬉し涙で湿らしてくれたという情景の中で、無事計測を終えることができました。一人で・・。同行者は道に迷ってしまってさぁ大変の状態でした。山頂でのスマホのアンテナは0か1という具合で連絡もうまくつながらない状態でした。山頂直下の分枝点に下りたところでやっと出会ってホッとするなり、時計をみると約束の1時間半前なので「今から山を下りますから、30分ほどかかります・・」と告げて急いで山を下りました。タクシーに乗り込んだ時には、そのあたりだけ日が差して鮮やかな紅葉の情景を見せてくれましたが、すぐ下まで降りるともうその綺麗な情景は一切みることがありませんでした。紅葉の鮮やかな時間から一瞬にして灰色の情景へと変わりました。
桓武天皇の墓は、高雄山(428.4m)に存在しています。 黄金の量は1000t ! 桓武天皇が、「増税を課さなくても私の黄金を防衛費に充てよ!」と言って居られますよ。「足らなかったらあちこちにいっぱいあるから・・」とも言っておられますが・・。
2021年3月12日(金)
天神様を祀る地下神殿は、兵庫県朝来市生野町の絶峯御林の地中に存在しています。
ここの絶峯御林から岡山県にある天神山と、神護寺(京都)の上に位置する高雄山(428,4m)に葬られた第五十代桓武天皇の墓までは共に80㎞と同距離です。
綺麗な二等辺三角形を描きます。
絶峯の地下にある天神を祀る地下神殿の関係を教えています。
2020年6月1日(月)
天智天皇の墓・藤原不比等の墓と嵯峨天皇陵と愛宕神社
天智天皇の墓・藤原不比等の墓と淳和天皇陵と広隆寺
天智天皇の墓・藤原不比等の墓と仁明天皇陵と貴船山
天智天皇の墓・藤原不比等の墓と文徳天皇陵と丹波国分寺跡附八幡神社跡
天智天皇の墓・藤原不比等の墓と清和天皇陵と神山と高雄山寺跡
2020年4月10日(金)
特に空海は、藤原不比等の遺言及び、藤原直系である桓武天皇の命を受けて、忠実にその任務を遂行した。
又、嵯峨天皇も空海と共に藤原プロジェクトを遂行したのである。
弘法大師廟では、手を合わせて祈る先は京都府南丹市山中にある藤原不比等の墓であるが、
卑弥呼の墓と藤原不比等の墓と、高野山弘法大師廟は、ケプラー三角形を描く配置である。
桓武天皇の亡骸も、タレスの定理のポイントに埋葬された。
空海は、長安から帰国し、嵯峨天皇の命を受けて真っ先に京に入って務めた寺は高雄山寺であった。
その高雄山寺のすぐ目の前が、桓武天皇が眠る高雄山(428.4m)だった。
桓武天皇から生前、特命を受けた空海は、桓武天皇陵造営の任務に携わっていた。
若き空海の空白年間の最大の任務遂行ポイントは神戸である。
2020年1月
若き日、空海様は、久米寺に縁を持っている。
空海様の空白年間を解き明かすには、最低、空海様がどこのお寺に縁を持ったから解き明かさなくてはなりません。
空海は急ぎ大和国久米寺を訪れ、そこで、密教の核心を説いている「大日経」を発見したと伝えられているようですが、大日如来こそイエス・キリストのことである。
それで、久米寺とイエス・キリストの墓とを繋いで、意味ある山や神社や寺院が三角法で浮き上がるかを調べると・・!
二等辺三角形を描くポイントに、淡路島の油谷山。
そして、重要なポイントには必ず行基が関わっていますが、その行基の開基という東光寺(猪名川町)。
そしてそして、法道仙人も必ず重要なところには登場しますが、孝徳天皇勅願で法道仙人開基と伝えられる摩耶山天上寺(神戸市)が浮かび上がりました。
若き空海様は、久米寺で間違いなくイエス・キリストの真実を聞いてしまったことでしょう。
空海は大学を中退してから、空白年間が10年ほどあって・・、その内、和泉国の槇尾山寺で剃髪して・・、そして久米寺。
突然、30歳で東大寺に姿を現し、遣唐使船に乗り込み長安(現、西安)へ。
2年ほどで帰国し、太宰府庁に隣接した観世音寺に留められる。
そして又、槇尾山寺。それから高雄山寺~乙訓寺を行き来している。
実は、遣唐使船に乗る前と帰国後に、神戸の再度山大龍寺に身を寄せている。
私の不思議物語ももう10年が経とうとしている。
どうも・・空海様の空白年間と同じように動き回っていたようです。
空海様の空白年間と任務は全て教えられたようです。
2019年11月22日(金)
荒神社の社殿は、コンパスグラスで18度に向けて建っていました。
私の予測では、0度か17度でしたから、この角度には大きな意味を感じ調べて見ると・・。
醍醐寺金堂のご本尊様は、荒神社を見つめていましたし、荒神社と醍醐寺五重塔とイエス・キリストの墓は直角三角形を描いていましたから、荒神社のご本尊様も醍醐寺を見つめているかと思っていましたが、なんと、上醍醐の開山堂を見つめて居られました。
それで、荒神社と上醍醐の開山堂ともう一点で直角三角形をなす点を探すと・・、なんとイエスの墓からちょっと西北西へと行った場所でした。
そこは、書写山円教寺の摩尼殿から手を合わす先にある、モーセの御霊を移し祀った場所でした。
空海様が高野山を開いてから月に一度は登って祈ったその場所から真北に位置する場所にこそ、桓武天皇が眠る高雄山(428.4m)があり、イエス・キリストの墓や卑弥呼の墓やモーセの御霊など七福神様たちに祈る遥拝の山である大嶽山とで40度50度90度の綺麗な直角三角形を描き、又、その先に十字架の山もありました。
皆さんと一緒に高野山弘法大師廟に行って手を合わせてから、荒神社へと行きましたが、感慨深いものがありました。
今回、どうしても空海様の思いを知っていただきたくて、行程上無理は承知の上で皆さまをお連れした次第でした。
ツアーに参加されました皆様には、本当に感謝しています。 ありがとうございました。
五社神社は、金剛山、二上山を見つめ見守っていました。 見つめる角度は10度方向でした。
2019年8月14日(水)
東京セミナーを終えた翌日、愛知で暮らす姉の家へと行って初盆のお参りを済ませ、そこから乗った電車で知立へと行きました。
初めて行く 知立 弘法山 遍照院 でした。
正面上に「見返大師」と掲げられていました。
皆さんはコンパスグラスで100度方向の御本尊様に手を合わせますが、
ご本尊様は280度方向を見つめ見守って居られます。
見つめて居られる先には、京都神護寺の上の高雄山(428.4m)に眠る桓武天皇の墓であり、高野山の弘法大師廟と遍照院の三点は、3:4:5の見事な直角三角形である大矩を描いています。
又、ご本尊様が見つめ見守って居られる桓武天皇の墓の先には、神河町南小田山頂に眠るイエス・キリストの墓があります。
イエス・キリストの墓と桓武天皇の墓と弘法大師廟の三点も直角三角形を描いています。
見事です!
「見返大師に来られた皆様方、どうぞ見返った先にこそ手を合わせてくださいませ」
「門からお出になる時は、もう振り返らなくて良いですから、どうぞその先の方々に手を合わせてください」・・と、空海様。
56歳と7ヶ月目の2010年8月11日は、宗像大社で大変な経験をした私でしたから、65歳と7ヶ月目の日の8月11日は、私はどこに行くのだろうと思っていましたが、知立 弘法山 遍照院 でしたねぇ。
それにしても、暑い暑い一日でしたぁ。
2019年2月26(火)
法隆寺の基本計画と建物の配置には唖然とさせられます。
山口にある空海様のお墓(望海山)、アブラハムの父、テラ(日本名、天照大神)の墓(神野山)を東西の基本ラインとして、そのラインから北方向に、
西円堂が蘇我入鹿(=聖徳太子)の墓(松尾寺の補陀落山)
金堂は第五十代桓武天皇の墓(京都高雄山428.4m)
夢殿は藤原鎌足のお墓(鎌足公古廟から移し替えられた交野山の北方向にある場所)
建物の方角には1度の狂いもありません。 見事です!
そして、モーセの墓、モーセの御霊を移し替えた場所、イエス・キリストの墓、卑弥呼の墓、マリアの墓・・
それに、聖徳太子を祀る広隆寺へも手を合わせるようになっています。
上御堂は広隆寺に手を合わす設計になっていて、上御堂と広隆寺とマリアの墓は見ごとに直角三角形を描きます。
どれを取っても見事です。
又、この法隆寺の位置決めは、ここから磁北方向にある京都府の675m地点を基準ポイントとして位置出ししていることも分かりました。
それと・・創建当初の若草伽藍の位置と方角が教えるものも又、イエス・キリストの墓を三角法でズバリ教えていました。
我が国の礎を築かれた偉大な現人神のお墓を全て、現在の形になる法隆寺を設計建築した人達は知っていたということです。
空海様も間違いなく知っていた人物の一人だったということです。
法隆寺が教えている情報は、尊いものであります。
どの場所でどこを向いて祈ると誰に手を合わすようになっているかを知ることで、必ず心が豊かになることでしょう。
もう意図的に隠すために論争させ続ける邪馬台国論争も意味をなしません。
政治政体が奈良巻向で、国事国体は播磨国風土記に記された「埴丘の里」、現在の兵庫県神崎郡神河町の栗でした。
卑弥呼はイエスの直系であるがゆえに7.80年続いた戦乱を終息させるために共立された女王でした。
このような全ての事実を第五十代桓武天皇達は知っていたわけですし、二葉葵を紋章とする人たちも、三つ葉葵の徳川家の方々もハートの形の意味を知っています。
幕末までは、間違いなく先祖供養はされています。
このまま知って知らぬふりをし続ける怖さを関係者は理解しているのかどうなのか・・。
神の世界にも限度があるようです。
3月9日、歴史の真実が分かるように残してくれた行基さんのお墓へと手を合わせに行ってから、法隆寺です。
そして、蘇我入鹿さんに手を合わせに行きます。
真魚の山(空海様のお墓)は、どこを向いてるのかなぁ~と思っていましたが、ピッタリと法隆寺を向いていましたねぇ。
それにしても・・、可愛いですねぇ。 どうやって造るんでしょうかねぇ。
2019年2月10日(日)
法隆寺金堂と桓武天皇の墓と、惟喬親王(これたかしんのう、承和11年(844年) を祀る大皇器地祖神社の三点は、基本形である3:4:5の大矩を描きます。
この配置の意味することは重要です。
他にも日光寺との関係や、これらのことは、役行者も知っていたと聞こえてきますね。
行者山から桓武天皇の墓までと法隆寺金堂までの距離は共に同距離です。
二等辺三角形を描きます。
3月9日(土) 新大阪駅からバスで日帰り巡礼ツアーを行います
もちろん行く先は、法隆寺ですが、行基さんの墓に手を合わせてから法隆寺へ。
西円堂で手を合わせて、そこから蘇我入鹿さんの墓がある松尾寺へと御参りです。
お申し込みは、T.T.Cまで。 数日後には詳細はUPしますが、もう受付は開始します。