2022年5月31日(火)
皆さんがお参りに行かれて、役行者さんは大変お喜びのご様子でしたが、私には大変ご立腹の様子でしたねぇ。
「動けない身体にしたるぞ~~!」と・・。
役行者さんは、徹底的に天皇達の埋め墓の位置を特定するようにと、私にそれも急いでやるようにと言っているようです。私はもう大方は特定できたのでここいらで良いのではと思っていましたから・・ご立腹なのでしょう。
神武天皇から平安時代初期までの天皇達の埋め墓を特定しないといけないようです。
それで、天武系最後の天皇と言われる46代孝謙天皇、重祚して46代称徳天皇の埋め墓を早急に特定することに昨日は時間を優先しました。
結果、天武天皇の墓から光明皇后の地下神殿までと同距離にあり、母子3代、橘三千代の墓と光明皇后の地下神殿と直角三角形となる場所に孝謙天皇・称徳天皇の墓は造営されたと推測しました。
その一点は、岐阜県揖斐川町開田にある上谷山(1083m)でした。 等高線や女性特有の袋のコンターラインと、祈りの丘もあり人口的なラインからもそう言えます。
役行者だけでなく空海さまも怒って居られるのでしょう。
でも・・、そのお陰か、間違いなく孝謙天皇・称徳天皇の墓発見です!
武部さん、「何時来てくれるのかえ」と光明皇后の娘さんは言って居られますが・・。
「お祖母さんのところも、母のところも行かれたと聞いておりまする」とも言って居られる御様子にて。
役行者が生まれた吉祥草寺で記念撮影しましたが、皆さんが見ている方向の祠の下に黄金の反応がありましたね。