2017年5月17日(水)
世界の聖地である兵庫県神河町の「王家の丘」は、こと座が描かれていました。
弁財天は卑弥呼だと、空海さまと七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」では書きましたが、日本での弁財天は、琵琶を抱いています。
こと座は、楽器のたて琴の形を表した星座ですから、琵琶は、こと座のことを教えていましたね。
祈りの場であった八幡山と織姫星(ベガ)、卑弥呼と一緒に同行した100人が埋められたポイントで小さなVの字のように並んだ三つ星で、「落ちる鷲」という意味がベガ(Vega)という意味のアラビア語が語源なのだとか。
ベガは織姫星とも呼ばれて、夏の大三角を形成しているということですから、はくちょう坐のデネブは、当然として「あづきちゃん(卑弥呼の幼少の名)」の生まれ故郷である庵月山(兵庫県香住)となります。
二点が決まれば、もう1点のアルタイルの場所は容易に探し出すことができます。
その、わし座のアルタイルの場所を地理院地図で求めると、そこに一発で現れた文字は、「糘山」。
私が初めて目にする文字でした。 「すくもやま」と読むようです。
場所は、岡山県津山市久米川南・・と、地理院地図には表示されています。
そして、この「糘山」から、それはそれは大変なことが浮かび上がってきました。
なんとここには、糘山遺跡というのがあって、日本最古級の製鉄遺跡や96本の鉄穴流し遺構などなど、それはそれは古代このあたりは鉄など鉱工業生産拠点だったようです。
すくも・・とは、藍の葉を原料として作られる「藍玉」とのことですから、織物も盛んなところで、この一帯は日本で最大の工業生産地だったようです。
大国主命=イエス・キリストが、岡山を拠点として国造りをし活躍し、だから母マリアもキルギスから呼び寄せそこで共に暮らし、だから・・、イエス王家の陵墓が岡山にあり、イエス最期の地も備前であったことは、当然至極です。
岡山と、女王卑弥呼が暮らした、王家の丘である、播磨国風土記に記された「埴岡の里」、現在の兵庫県生野、神河町との関連性が浮かび上がってきました。
峰山高原の、「峰」とはヘブライ語でお墓のことですから、お墓が沢山ある高原ということを先人はその地に残してくれています。
女王卑弥呼が暮らした場所は、山城でした。 ですから、神河町の山々は、古代王家の人々や、王家の人達を支えた人達のお墓が沢山、山頂にあります。
現代人の目先の金の欲望で、山という山を破壊してスキー場を造ったり、安易に森林を伐採して太陽光パネルを設置したりして、どんどん王家の人達の陵墓が破壊されていきます。
生野、神河町は、他の場所とは全く異なる世界の聖地であり、王家の丘なのです。
天皇家はこのことを重く受け止めなければならない。
そして、天皇を支える総理大臣は、このことの重大な責めを先人達と未来の子供達から受けなければならない。
まだ今なら、その責めから免れる。
「私が何を成したかを世界中の人達に伝えてください!」と、伝言して消えた女王卑弥呼が、今でも王家の丘で琴を奏でたり機織りをしているようです。