2020年1月7日(火)
この国の先人先輩は実に素晴らしい人達でした。
四国八十八ケ所巡りの一番霊山寺は、どうしてその場所が一番なのか?
八十八番大窪寺は、どうしてその場所なのか?
最後八十八番大窪寺は、備前穂波のイエス・キリスト終焉の地に手を合わすように設計されていました。
その八十八番大窪寺と高野山弘法大師廟と藤原不比等の墓は直角三角形を描き、弘法大師廟と藤原不比等の墓とイエス・キリストの墓も直角三角形を描きます。
そして、金剛峯寺金堂から藤原不比等の墓までと一番霊山寺までは、同距離で二等辺三角形を描きます。
一番霊山寺と東大寺大仏殿と藤原不比等の墓は、直角三角形を描きます。
また、書写山円教寺摩尼殿から八十八番大窪寺までと藤原不比等の墓までは、ほぼ同距離です。
これらはすべて偶然の配置でしょうか。 偶然ではあり得ませんよ。
全て計画的に配置されています。
ここに示す図形は、ほんの一部にすぎません。
まだまだ沢山の図形と位置情報が一番霊山寺と八十八番大窪寺に重なります。
高野山を開くにあたり、また、四国八十八ケ所の中で、一番霊山寺と十番切幡寺と八十八番大窪寺には特別の意味を持たせていました。
空海さまが高野山を開いた(藤原不比等の遺言)意味も、巡礼四国八十八ケ所の寺院の配置の謎も、東大寺大仏殿が造られた意味も、全て、イエス・キリストの墓や藤原不比等の墓や桓武天皇の墓や陵墓の位置が分かるように配置されたものでした。
この国に生を受けた現人神たちは、実に素晴らしい頭脳と忍耐と技と、それをやりきる行動力を持っていました。
この日本は実に素晴らしい国です!