2016年5月30日(月)
立派な鶴の彫り物がありました。 そしてその鶴に人が乗っていました。
鶴の上の人物こそ、我が国の初代大王イエス・キリスト=大国主命を表現しています。
金剛城寺 ・・ このお寺は普通のお寺ではありませんよ。
2016年5月30日(月)
立派な鶴の彫り物がありました。 そしてその鶴に人が乗っていました。
鶴の上の人物こそ、我が国の初代大王イエス・キリスト=大国主命を表現しています。
金剛城寺 ・・ このお寺は普通のお寺ではありませんよ。
2016年5月29日(日)
土曜日のセミナーには遠方より沢山の方々に来ていただきました。
本当にありがとうございました。
いつもと違うセミナーだったことは、毎回来ていただいている方は分かられたと思います。
本当に自分でも「いつもと違うなぁ~」と思いつつも、「もうステージが変わりつつあるなぁ~」と冷静にどこからか眺めている自分を感じたほどでした。
間違いなく大きく現実的な動きと、そのスピードも増すことでしょう。
毎回来ている NさんSさんFさんKさんや、Hさん、Tさん、Mさん、Iさん、Mさん、いよいよ本格的な動きに入りますよ~~!!
私の動きを見ていてくださいよ~~。 歴史の承認者になってくださいよ~~!!
「最初の頃の上森さんってねぇ~~、何を言ってるのか言っていないのかもう話も下手でねぇ・・・」と、証言してくださいよ。
「それがねぇ・・、いつの頃からか、人が変わったようになってねぇ・・」と、皆さんだったら思ったように話してもらっても私は、「そうでしたねぇ・・」と一切反論しませんからね。
本当にそうでしたからねぇ。 これからも見守っていてくださいね。 お願いいたしますぅ。
さぁ~さて、今日、大発見しました!
これで4冊目の本をまとめられそうです。
これはもう凄い発見をしました。 まちがいなく今日は導かれたと思います。
行った所は、兵庫県神崎郡福崎町でした。
そこからお賽銭を入れて手を合わせると・・、と、なんとぉ~~ マリア様のお墓に手を合わせるようになっていました。
ああ・・ああ、これだけでは終わりません。 もうなんとぉ・・ああ ああ~、 んん~~凄すぎ!です。
ああ ああ~~~・・今日はここまで!! 明日に続きま~~す。
2016年5月27日(金)
神河町にあるイエス・キリストの墓を中心にした綺麗なシンメトリーの五角形が描けるベンチマークの山が存在しています。
何が描けるのでしょうか・・。 綺麗な蝶々?
生野、神河町へと播但有料道路を北へ走る時、市川町付近で見える綺麗な特徴ある山が迎えてくれますが、その山がいろいろなことを教えてくれるようです。
G7 の賢島の会議場からいろいろなことを教えられます。
2016年5月26日(木)
生野、神河町へと行き出してからもう数ヶ月でまるまる6年が経とうとしています。
最初から不思議で印象的な三角錐に見える山が、播但有料道路の市川ランプあたりで突然出現します。
でもそれも数分もかからずに見失ってしまいます。
近くに住む人達に聞いても、山の名前も場所も教えてくれる人はいませんでした。
でも・・、今日、やっとその謎の山を特定できました。 標高616.1mの山でした。
市川町役場からも綺麗に見えて、そこからのコンパスグラスでの角度は290°でした。
又その山は甘地駅からも山頂部が顔を出していました。
イエス・キリストの墓(836m)から笠形山(939.2m)までの距離と、イエス・キリストの墓から616.1mの謎の綺麗な山までの距離は全く同じ距離でした。
その山は、イエス・キリストの墓を教える大事な大事な山でした。
サミット会場のイエスの霊ラインが笠形山を通りますが、このことから綺麗な謎の山が特定されました。
2016年5月25日(水)
G7 サミットが伊勢の賢島で行われます。
そのサミットの555㎡の会場を、大王崎からベテルギウスのイエス・キリストの遺体が埋められた神河町にある陵墓とを結んだイエスの霊ラインが通っています。
見事です!
又、そのラインに奈良の春日大社も位置しています。
春日大社は誰を祀っていますか。
このサミット会場を計画したのも意図的ですね。
そろそろ意図的に仕組んだ首謀者は、姿を表にださないといけない時期にきたと私は思っています。
悪い言い方をすれば、蔭で人を動かし操る。 良い言い方を少しでもするならば、裏方に徹する。
・・でも、それでは責任逃れのずる賢い生き方ですね。
・・んん!? 賢い?? と言えば、サミット会場は賢島??
ずる賢いではダメで、 いつまでもいつまでも影に隠れたずる賢い生き方から、いよいよ表に登場して責任持った賢者になってもらいたいものです、藤原君は!!
2016年5月24日(火)
毎月第四土曜日はTTCセミナールームでのセミナーですが、1ヶ月は早いもので、28日土曜日は、もうヒミナーの日となりました。
出来ましたら事前にお申し込みいただけますと助かります。
そして来月6月は、最澄様の御命日(26日)に比叡山延暦寺へ行って、そこから神河町にある卑弥呼さんやイエス・キリスト様の陵墓に向かって手を合わせるツアーがありますので、25日(土)のセミナーはありません。
6月は比叡山延暦寺への野外セミナーとなりま~す。
比叡山延暦寺根本中堂の秘密がどんどんと表に出てきそうです。
第10代崇神天皇陵と、根本中堂と神河町の大事な遥拝の山である大嶽山の3点を結ぶと、2:1:√3のピタゴラスの三角形を描きます。
そして、崇神天皇陵が向いている方角は、大嶽山であり、そのラインの先には鳥取県の馬の山古墳があります。偶然でしょうか。
間違いなく空海様同様、最澄様も全てをご存じでしたねぇ。 もちろん崇神天皇も全てをご存じでしたよ。
ちなみに・・、崇神天皇の思い出の地は鳥取県の東郷湖畔だと崇神天皇は申されています。
「最澄さまは全てを知っていた」日帰りツアーの空席もだんだんと少なくなってきた模様です! お申込みはお早めに!!
2016年5月23日(月)
21日(土)岩座神(いさりがみ)の五霊神社へと行きましたが、神社本殿の屋根に神紋を見つけました。
橘の紋のようですが、これは明らかに七枝のメノラーですね。
イスラエルの国章も七枝のメノラーを中心にデザインされていますが、神河町にこれらのメノラーのデザインの基本となる1.5㎞もの巨大な一対のメノラの地上絵があることと無縁ではないでしょう。
又、神河町の長谷という地区に栗というところがありますが、この栗の地名こそイスラエルと日本の関係を教えてくれています。
イエス・キリストの遺体が埋められたオリオン座のベテルギウスにあたる神河町南小田の墓守をしていたのが卑弥呼でした。
卑弥呼は、イエス・キリストの直系であるがゆえにイエスが死んで80年弱続いた倭国大乱を終息、再起するために、イエス・キリストが亡くなって100年後に女王の座に就きました
女王卑弥呼が居住していたところが、神河町の栗でした。 当然として卑弥呼は神河町の阿月山に陵墓を築き、、イエスの命日の日、AD248年11月17日に自ら入定し、5日後22日に息を引き取りました。享年71歳でした。
女王卑弥呼の古墳がある神河町の八幡山連峰の西麓に「 栗 」とういう集落があります。
ここ栗に今から3000年前に、カルクーと呼ばれた古代イスラエルの都サマリアの関係者でもあった私達の先祖が帰ってきたと私は考えます。
この方々は、カリア人、クリ人と呼ばれ、高句麗にも都を築いたようです。 高句麗のクリも栗も発音は同じです。
そして高句麗があった、現在の中国遼寧省鞍山市にある道教の聖地である千山と、ここ神河町の栗との関わりに重大な秘密があります。
そのことを生命の樹(カバラ)という目には見えない設計図や巨大地上絵などで現代の私達に先人たちは古代の秘密を解けるようにしてくれていました。
そして、徳島の粗谷地方に残る謎の神楽歌こそ、生野、神河町の秘密を教えてくれていると私は推測します。
この歌が歌われた時代、1里を0,5㎞で計算すると、丁度現在の生野、神河町の境界あたりから丁度4.5㎞で栗に行きつきます。
九里きて栗に行って九里もどるとは、邪馬壹国の女王が住む都の地理的条件(栗から南は投馬国である)を教えていると考えています。
生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、栗行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の禰に照らす。
朝日も夕日も照らす山頂に陵墓があることを教え、ない椿の禰とは、71歳で亡くなった卑弥呼の御霊のことを教えています。
生野の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。
生野の空から、御竜車が三つ下る。
サマリアの旧名はクリである。
・・・下記はウィキペディアより抜粋・・・
サマリア(Samaria) は、パレスチナのヨルダン川西岸地区の北部を意味する。
ヘブライ語ではショムロン(שֹׁמְרוֹן,Shomron)、アラビア語ではアッサマラー(السامرة,as-Sāmarah)。
サマリアは元来は、パレスチナ(イスラエル領を含む)北部に位置した北イスラエル王国の首都の名であった。現在はアラブ人居住者が大半を占めるため、アラビア語でサバスティーヤ(Sabastīya) と言うことが多い。紀元前772年の北イスラエル王国滅亡(アッシリア捕囚)後は、その旧領土一体にアッシリアによりサマリア県が置かれた。サマリア県はアッシリアに続くバビロニア時代にも存続し、紀元前586年の南ユダ王国滅亡(バビロン捕囚)後は、その旧領土、すなわちエルサレム周辺も、一時的にサマリア県に併合された。
西岸地区北部をサマリアと呼ぶことはシオニストに好まれ、彼らはヨルダン川西岸地区をユダヤ・サマリアと呼ぶ。
「パレスチナ」というのはペリシテ人の土地、という意味であり、ローマがこの地からユダヤ性を奪うために改名した名前である。また「ヨルダン川西岸」というのは、ヨルダンが西岸地区を占領していた時代に、ヨルダン川に跨る国家であることを示すために付けた名前である。この地域の名称がもし「ユダヤ・サマリア」と呼ばれ続けたならば、シオニズム運動は別の展開を見せていた可能性がある。
2016年5月22日(日)
「今日何時に家を出られたんですかぁ」と私。
「6:30に出て飛行機できました」と千葉県から来られたKさん。
東京から新幹線で来られたHさん。
又、山口県からも新幹線で来られたKさん。
広島からも・・Kさん、 愛知県からもKさん。
遠くから沢山の方々が21日(土)神河町寺前駅に集合されました。
皆さん、思い出に残る楽しい一時をありがとうございました。
本当に感謝しています。
西のメノラーをバックに記念撮影
779mの山頂にある女王卑弥呼の陵墓をバックに七宝寺さんで記念撮影しました。
山頂にあるドーム状の山が陵墓です。 誰が見ても人工の造形物です。
近い将来、岩戸が開かれたその瞬間から、神河町へと人々が押し寄せることでしょう。
2016年5月20日(金)
「酪農家の方が乳質検査で体細胞数を落とすことができずに困っているというのですが、改善する方法をご存じでしょうか・・」という電話がありました。
この相談は、
「アトピーで困っています。誰か改善方法をご存じないでしょうか」という深刻な相談と全く同じことです。
私はシックハウス(化学物質過敏症)の研究から、水こそがその答えを知っていることを、酪農の現場での長年の体細胞数のデータ取りから確信を得ました。
ですから・・、私はその因果を知っていますし、その改善方法も知っています。
一級建築士が乳牛を追っかけて教えられたことは、それはそれはこの世の大変なメカニズムでした。
2人に1人が癌で亡くなるメカニズムを覗いてしまいました。
そのようなこともあって、真剣にネオガイア、テラファイトを開発しました。
そしてまた、悩んでいる人を一人でも救うためにスタップサロン鍼灸院も開設して、テラファイトの研究も続けています。
私はスタップサロンでいろいろな相談も受けたりしますが、実際、アトピーで困って居られた女性の方が、綺麗な素肌になって感謝されたことも多々あります。
医師、獣医師にかかりながら人も乳牛さんも、綺麗な健康な身体に自然に蘇えります。
私のアドバイス料や商品の購入なども一切申しません。
生きるか死ぬかの悩みの渕に居られる方には龍神様が助けてくれることでしょう。
「私を信じるか!」と龍神様。
自然も私達の身体も全く同じメカニズムのようですよ。
でも・・、「私を信じるか!」と言われてもほとんどの人は、龍神様より他を信じます。
それでは仕方ありませんねぇ。
でもね、昔から今でも神社やお寺に行けば、「龍神さま~~!!」ですよぉ。
2016年5月19日(木)
18日(水)午後から神戸にあるT.T.Cセミナールームで、高尾征治博士と私が、トータルヘルスデザインの創業者である近藤洋一さんからの取材を受けました。
高尾先生は、ゼロ場理論を提唱しておられて、私のネオガイア、テラファイトが正にその理論を具現化していると言われる研究者で九州から来られ、そのことをもっと世に広めるためにと近藤さんは京都から神戸に来られました。
実は、9月17日(土)大阪で・・、9月25日(日)東京で、高尾先生と私のジョイントセミナーをトータルヘルスデザインさま主催で企画されました。
その前月8月末頃、東京で、某社が高尾先生と私のジョイントセミナーを企画されました。
これらの動きを見ていると、世の中が大きく大きく変わろうとしている気がしてなりません。
マイナスイオンのブームからテラヘルツへと移行し、またまたソマチッドの復活の兆しがあったりと、世の中が本物を表に出そうとしているような気がします。
今まで解明されそうで難解なゼロ場理論にスポットライトが当てられそうな気配を感じます。
私が作らされたネオガイア、テラファイトは、完全ゼロ磁場を形成し、そのゼロ磁場分裂によって生まれるゼロ点エネルギーがシューマン共鳴を起こす、分子間振動、分子内振動であるテラヘルツ波を増幅させているようです。
実はこの波動が、目に見えない世界とのコンタクトを司っているようです。
ゼロ磁場とは何かが分かれば、あなたは希望に満ち輝きだします!
8月・9月の高尾先生と私の講演会を、私も今から楽しみです。 今、どのようなことがネオガイア、テラファイトで起きているかを聞かれたら皆さんビックリされることでしょう!
神河町新田の奥山の清水にテラファイト卑弥呼を浸けて、もっともっと、龍神様や精霊たちや、あらゆる生命体が生き生き元気になるようにとお願いしてきました。
そしてその水を私はお腹いっぱいになるほど飲んできました。 私の身体の中も、大地も共にテラファイトで浄化をして回っていま~~す。
平成28年5月18日
神河町作畑にある大歳神社は、岡山県備前にある王家の陵墓である天神山に祈るように方角を合わせてあります。
その証拠は、作畑の大切な宝物マップにも書かれている重箱岩のすぐ右手の草むらに埋もれていた方位石です。
この方位石は武部さんが発見しました。
神社は65度に向けて建ててあり、人々は245度方向に向かって祈るようになっていました。
この方角は、方位石が教えている方向と全く同じでした。
巨大で目立つ重箱石のすぐ横に立派な方位石ですから、神社が建つ以前から方位石が教える方向に手を合わせて祈ったことでしょう。
方位石に合わせて神社の向きが決められていると言うことは、方位石の意味をよ~~く知った方々が居られたという証しでもあると言えそうです。
作畑の大切な宝物マップにぜひともこのことを書いていただきたいものです。
そしてここから北へと少し行って新田ふるさと村がありますが、ここから東へ1.6㎞入った奥山に、八幡山連峰にある山々と陵墓を割り出すベンチマークポイントである重大な山が存在していました。
神河町は「かごめかごめの故郷」であり、これからまちがいなく「卑弥呼の陵墓がある神河町」「イエス・キリストの墓がある神河町」・・から、「世界の聖地 神河町」と呼ばれていくことでしょう。
× の場所が方位石の場所です。
鶴を彫ってありましたねぇ! 先人達はイエス・キリストを鶴で表現しました。
見事な重箱石の右手には、見事な方位石がありました!
2016年5月17日(火)
来る21日(土)神河町への巡礼ツアーを行います。
今回は、寺前駅から寺前駅に帰ってくる、岩座神と八幡山連峰一周のコースです。
講師は私と、地元古代史研究家の市川慎さんです。
熊本生まれの私が、どうして生野、神河町へと頻繁に行くようになったかと言えば、八幡山の存在を知ったことでした。
それまでは、生野の口銀谷(くちがなや)へと行っては、ただひたすらもくもくと神様から言われた場所を穴掘るだけで、神河町へは全く関心はありませんでした。
それが市川慎さんとの出会いから頻繁に神河町へと行くようになりました。 そしてそれまで以上に今、神河町の山山に行かされ続けています。
「どうして市川さんは、八幡山がピラミッドだと・・、誰から教えられたんですか!?」と、私もバスの中で聞いてみたいと思っています。
「どうして市川さんは、古代史の研究を始めるようになったんですか!?」と、誰よりも神河町の歴史を一番知っている市川さんから直接聞いてみたいと思います。
間違いなく世界の人達が、世界の聖地であることを聞きつけて一気に動き出す瞬間がやって来ることでしょう。
その時、彼の姿はこの世に存在するのかしないのか・・。
今、私は市川さんと共に多くの方々と神河町を巡るバスツアーに同行できることを大変誇りに思っています。
そしてその中に私が居てることは、それはもう最高に幸せな瞬間だと思っています。
奥向こうの山並みが八幡山連峰です。 右手が八幡山で、左手の丸いところが卑弥呼の陵墓です。
上の丸い山が卑弥呼の陵墓です。
神河町新田ふるさと村の東1.5㎞あたりの山頂からの風景です。 平成28年5月14日(土)撮影
今回のコースは、寺前駅から西のメノラーがよく見える最明寺さんからスタートです。
そこで豊楽さんが作ってくれる美味しいお弁当を食べてから、埋田神社へ行きます。
それから岩座神(いさりがみ)へと行って五霊神社、神光寺へと行って帰ってきて七宝寺から卑弥呼さんの陵墓へ手を合わせます。
それから、生野の井筒屋さん行って絶峯御林を眺めま~す。 ここでコーヒータイムです。
それから渕集落へと行って絶景の八幡山ピラミッドを観ま~~す。
何年か先、何十年か先には情景は変わってしまうことでしょうから、変わりゆく前の生野、神河町を記憶に留めてもらいたいと思います。
私達のご先祖様である王家の人達とその方達を支えられた御霊さん達が待って居られることでしょう。
「遠方よりよく来ていただきました!」 と大変喜ばれることでしょう。
2016年5月16日(月)
14日(土)は、神河町の新田ふるさと村の東1.6㎞に位置する奥山へと行って、それから福知山市にある重要な霊山へと行きました。
そして昨日は愛媛県伊予西条市へと行きました。
徳島市在住の知人から、脳梗塞で倒れて西条市の病院に入院していてので来てほしいとのことでしたから新幹線と特急列車で行くことにしました。
病院へと着くと、「Mさんは夕方の7:00まで外出中です」との事でした。
それで・・、私は考えました。
どうして前日、強行的に二つの山に行ったのか?
どうして今日、伊予西条市へと来たのか?
どうして私を呼んだ知人は、徳島市に住んでいるのに伊予西条に入院したのか?
そしてその本人はどうして病院に不在なのか?
どうして昨日、今日と性急な動きなのか?
このようなことを考えると、即、答えは閃きました。
間違いなく見えない方々に動かされていることに気づきます。
それで伊予西条駅まえから、帰りの特急の時刻を確かめてタクシーに乗ることにしました。
「空海様に関係するお寺か神社に連れて行ってください」と言うことで、連れて行ってもらったところが、四国八十八か所の第64番霊場 前神寺でした。
前神寺では大師堂で手を合わせ、その建物の向きがどちらなのかをおおまかでも知らなくてはなりません。
この日は山へは行かないと勝手に決めつけていましたから、コンパスグラスもカメラも持ってきていませんでしたが、太陽の位置で大まかに確認しました。
今日国土地理院地図とグーグルアースで推測するには、奈良県にある玉置神社に向かって祈るように大師堂は配置されていました。
それと、車窓から見えた山でやはり印象的だったのが、讃岐富士と呼ばれる飯野山でしたから、
これらの山山が何を教えるのか地理院地図にポイントを落としてラインを引くと、素晴らしいことを教えてくれました。
それは見事な2:1:√3のピタゴラスの三角形は王家の陵墓や、それらを教える重要な霊山などを知らしめていて、一番札所の位置決めも教えていました。
やはり・・、伊予西条市へと行くようにと、目に見えない方々のお導きでした。
そして、前神寺の近くの墓地にあった墓石に彫られていた家紋のほとんどが、違い鷹の羽でしたが、これの意味も大事なことを教えてくれているようでした。
伊予西条市と言えば、やはり石鎚山ですが、麓の石鎚神社へも行ってきました。
行かされて教えられる霊山や神社やお寺の作りから確実に教えられることは、間違いなく生野、神河町にある王家の人々の陵墓や祈りの地下神殿です。
役行者や行基、和気清麻呂や最澄様、そして空海さま達は、間違いなくこの国の礎を築かれた方々の陵墓や遺構や、現代の私達に伝えたかった事もみなご存じでした。
さぁ、いつまでこのことを知らんふりしてやり過ごそうとするのか・・。
邪馬壹国(邪馬台国)の謎も完全に解けたと私は思っています。
2016年5月15日(日)
護王神社と北野天満宮と神護寺を結んで、そのラインを延長したポイントに大事な霊山があると教えられ、即「その山へ行きなさい」と言われたようで、昨日、武部さんと行きました。
山の麓には、荒木神社がありました。
私が確かめたかったことは、その神社が70°前後の方角に向けて建っているかの確認でした。
ようするに、人々が250°方向に向かって手を合わせるようになっているかを楽しみにして行きました。
コンパスグラスの角度は、251°を示しました。 思い通りの数値に嬉しくなった私でした。
この方角には何があるかと言いますと、この神社から249°が卑弥呼で、252°がイエス・キリストの墓ですから・・もう間違いがありません。
神河町にある王家の丘に向けて祈る礼拝する裏山こそが霊山でした。
夕方5時過ぎから一気にその山頂を目指して登りました。 そこには間違いなく立派な祭祀場あとの痕跡がありました。
私が地図上に大きな折鶴を描かされましたが、その山は鶴の肩にあたる場所でした。
何も知らずに描かされたポイントがやはり重要な山であることを教えていました。
やはり、和気清麻呂氏も空海さまも菅原道真も重要な霊山であることを知っていましたね。
神河町にあるイエス・キリストの墓も卑弥呼さんの陵墓も「間違いありませんよ!」ってね。
そうそう、山頂上の上空には月が出ていましたが、そこに蝶々が写っていました。
この偶然も偶然ではなくて、月の世界へ自ら帰って行った卑弥呼さまが微笑んでくれているようでした。