2024年6月10日(月)
神様のちゃぶ台返しが近づきつつあるようです。私には準備を急げ!急げ!と響いてくるのです。
ですから、いつでも会社機能がマヒすることがないように、そして私を応援してくれる人達がその時困らないようにと、日本で一番安心安全地帯に活動拠点を求めました。
その場所から卑弥呼の墓が見えますし、そこは東のメノラーの入口にあたる場所です。間違いなく卑弥呼から与えられた場所だと思います。ここを拠点にしてスタートです。尾上さん、今日契約します。
2024年1月23日(火)
私は昨日、noteには初めて徐福の墓が新宮市の蓬莱山であることを書いた。
そして、徐福たちが丹後半島の太鼓山の麓に、秦始皇帝を祀る巨大な地下神殿を造っていることも書き記した。
その根拠の一つに、卑弥呼の墓から出雲大社までと新宮市の蓬莱山までの距離が同距離で二等辺三角形を描いていることである。
厳密に言えば、出雲は弥山(506m)であるが・・。
そして、仁徳天皇の国見の歌の場所である丹後半島の太鼓山の麓にある秦始皇帝を祀る巨大な地下神殿の場所からも、229.6㎞と同距離で二等辺三角形を描いている。
このフェニックスコードが持つ意味は重大である。
出雲は、徐福たちが造った国であることを教えているのである。
このことは、邪馬台国創建の国土設計の重要な要素でもあると私は思っている。
2024年1月22日(月)
土木・建築現場で基礎工事をするとき、必ず10㎝~15㎝の石を敷きならべますが、これを栗石(ぐりいし)と言います。建築科を出た私は、この言い方が不思議で仕方ありませんでした。どうもその語源は、卑弥呼が暮らした兵庫県神崎郡神河町長谷にある「栗」という地域名に由来するのではと私は思っています。その栗の779m地点にある前方後円墳或いは、ホタテ型古墳と思われるものの表土を取り除くと、全体がその大量の栗石で覆われています。この地点は、神河町大山との境にまたがっています。
栗石の語源は、この「栗」で卑弥呼の墓が大規模に造営されたことに由来するのではないかと私は推測します。
卑弥呼の墓は兵庫県神崎郡神河町大山
2023年12月3日(日)
私が51年前、田舎から出て勤めた会社の寮が阪急中山寺近くだった。
私の社会人としてのスタート地点がそこだった。その中山寺奥之院が飛び出して私は正直ビックリしている。全てが台本にしたがって動かされているように、この度も思った次第である。
中山寺奥之院からコヤネ(天児屋根命)の墓までと、孝安天皇陵までは54㎞であり、また、中山寺奥の院からコヤネの墓までと横川中堂多宝塔までの距離も54㎞と同距離で二等辺三角形を描く。
偶然でしょうか・・。そして、弟橘媛の墓からコヤネの墓までと、孝安天皇陵までの距離も51~52 ㎞と同距離であり、日本武尊と弟橘媛との間に生まれた子供の墓からコヤネの墓までと円仁創建の横川中堂多宝塔までの距離も51㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
これって偶然でしょうか・・。あまりにもシンメトリー的図形で美しいのです。
これらはもう、計画的配置なのです。 円仁がそれを証明しています。
コヤネの墓に初めて行かされたのは、2012年5月6日(日)に行かされていますね。実はその前日に初めて卑弥呼の墓に行っているようです。
ここに来て・・、私が社会に出てから、動いて行った場所に大きな意味があったことが全て今、教えられているようです。
2023年7月20日(木)
愛宕神社へと行った翌日の夜に、「不審火で全焼した愛宕神社 再建したいと地元」のニュースを知って私は驚いた。
最初は頭の中でちょっと混乱気味だったが、愛宕神社違いでも何か私に訴えているようで・・。
放火された愛宕神社は、京都府福知山市前田の愛宕神社だった。放火は6月15日の夕方8時頃だと言う。
先月の中頃どんな事件があったかを調べると・・、「息子はそんなことをする子では絶対なかった・・」と言う「自衛隊小銃乱射事件」があった。
んん~~ん、愛宕山から下りてきて泊まった宿で、夕食の時間まで二時間ほど勝手にしゃべっていた私の会話の中に、「北海道で熱水が吹き上げてヒ素が含まれていて・・とか、すすきので首が無い遺体が・・とか、みんな深江浜の御姫様の古墳に関連しているんです。静岡の橋桁が落ちた事故も、自衛隊小銃乱射事件も安倍元首相暗殺も全て繋がっているのですよ、前田さん・・」と話しながら、私の頭の中には、「登り口の目印が首無し地蔵だしなぁ・・」と。
そして、食事の場所であった川床でも、「今日は、桓武天皇と和気清麻呂さんが皆さんを御もてなしされています。おお~前田さんには聖武天皇が憑いて来ておられます。横には光明皇后も・・」と、不思議な会話と光景をもう一度、思い浮かべていた私でした。
それで・・、その放火された愛宕神社のポイントを調べると・・、聖武天皇の墓と光明皇后の地下神殿と、卑弥呼の墓と深江浜の御姫様の墓と、役行者堂と愛宕山と・・、全てフェニックスコードで繋がる重要な場所でした。 あまりにも・・不思議なのです。それもこれも、愛宕山へと行って、翌日行った、廃少菩提寺石造多宝塔と三体の石仏も全て関わっていました。 これは・・全て関連しています!!
あの世とこの世が織りなす現象だと思えば、私は次どこに行って何をしなくてはならないかは決まります。急がねばなりません・・コアロッドを持って・・。
2023年7月17日(月)
廃少菩提寺石造多宝塔の位置は、卑弥呼の墓と参り墓である五色塚古墳と2:1:√3の地点に位置しています。
偶然でしょうか・・。
そんなことはありません。意味ある場所を特定の上に精密に測量の上に造営していますね。
お参りに行かなければなりませんね。
・・と言うことで、今日行かなければなりません。
2023年7月13日(木)
神戸市垂水区に在る五色塚古墳は卑弥呼の参り墓でした!
12年前の五色塚古墳での不思議な体験が今、蘇り繋がりました。
古墳は淡路島で一番高い諭鶴羽山に向けて造営してあります。
そして・・、五色塚古墳から、神河町にある卑弥呼の墓までと二上山の雌山までの距離は、共にピッタリ59㎞で二等辺三角形を描きます。
雄山もありますが・・、これにも卑弥呼の秘話が語られていました。古墳の造りにもそれは示されていました。
空海さまは全てご存じでした。
フェニックスコードは見事にそれらのことを教えています。
イエスの御姫様~~!可愛かったんだろうな~~・・ありがとう!