2022年3月18日(金)
昨日(17日)福崎町商工会館で神崎郡ロータリークラブの皆さんに、「福崎町には仁徳天皇の埋め墓と安倍晴明の墓があります」と伝えました。
仁徳天皇の墓の場所は、、兵庫県福崎町田口にある七種山・七種滝がある地域の554mの山です。
さぁ皆さんは信じられましたでしょうかねぇ。
その場所こそ、『道教の聖地』であることを話しましたが、信じてもらうには時間がかかるでしょうねぇ。
皆さんは、ポカ~~ンとされていたご様子でしたぁ・・。
仁徳天皇の墓がある場所は、道教の聖地ですから、仁徳天皇の墓から東南東8㎞の場所にあって、そこから天皇の墓(山)を仰ぎ見ることができる場所に安倍晴明の墓が造営されたのも納得がいきます。
仁徳天皇の墓の西麓には、旧来の金剛城寺があって、陰陽道の始祖と言われた滋岡仙人が居住していたことからも、安倍晴明の墓が近くにあることも当然至極ということです。
2020年4月2日(木)
私は住宅建設に携わった経験が30年ほどありましたが、「鬼門・裏鬼門」という言葉にかなり振り回された経験があります。
住宅建築にあたり、プランから施主と打ち合わせをして設計図が出来上がり、着工寸前で親や親せきの方が登場して、「玄関が・・トイレが・・台所が・・、鬼門に当たっています。 裏鬼門にも・・」となって、着工間際になって全て一からやり直しという経験も何度となくありました。
少なくとも、部分的に間取りの変更などは沢山ありました。
この 鬼門 裏鬼門 とはいったい何なのでしょう。
私は方位に関して、良い方角、悪い方角などもともと無いと思っています。
その地域、地域の気象の特性などは当然としてありますが、日本列島一律に 鬼門 裏鬼門の方角が悪いものとすることは、そろそろ止めるべき重大な偏見と思っています。
ちょっと違いますが、菌でも 「良い菌、悪い菌」とはもともと存在しないと思っています。
全てはバランスだという認識をしています。
コロナウイルスの問題も全く同じで、騒ぎ立てる話ではありません。
人間社会が・・、特に先進国と言われるリーダーの想念が自分中心で、嘘を平気で押し通している様に現人神たちがNOとレッドカードを出しているのです。
今、世界のトップが何を密かに進めているかを誰も知りません。神様はちゃんと見ているのです。
日本のリーダーも他の国の愚かな行動に引きずられるようなことをすれば、
確実にコロナウイルスでの死者の何十倍、何百倍と自殺者が出ます。
コロナウイルスで死ぬ人はまだ幸せです。自殺で死ぬ人とその家族は永遠に苦しみから逃れられません。
自分で自分の命を絶つということは、輪廻のレールに永遠に乗れません。
話は戻しますが、
鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことであり、鬼門とは反対の、南西(坤、ひつじさる)の方角を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も鬼門同様、忌み嫌われます。
この鬼門思想がもし中国から伝来した考え方であるとすれば、中国と日本の古代史においての関りがありそうですが、中国にはその思想はないようです。
又、陰陽道では、これらの方角を鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としているようですが、陰陽道が盛んだったころの時代背景にその謎を解く鍵がありそうです。
そのようなことで、鬼門・裏鬼門が現代まで語られる由縁とは何なのか、先人達は何を現代の私たちに語り継いでいるのかに耳を澄ましてみたいと思います。
陰陽道とは何か。その起源は紀元前二千年の古代中国にまでさかのぼると言われたりしていますが、私には起源は日本であり、その発祥の地は兵庫県の中央部に位置する播磨国風土記に記された埴岡の里と聞こえてくる。
卑弥呼は鬼道を操り・・と、魏志倭人伝に記された『鬼道』こそ道教のことであり、その発祥の地は、埴岡の里であり現在の生野、神河町を中心とした中播磨地域で、その中でも神崎郡福崎町にある七種山(なぐさやま)の、南麓一帯は重要な拠点であったと思っています。
ところで・・、雷さんや鬼のパンツはなぜトラ柄?それは、この国の歴史を教えているようです。
鬼にさせられた人たちの歴史こそ、御霊こそ、今崇め祀らなければなりません。
この方々の御霊が今、お怒りなのです。
国の長が、国民を代表して鬼門・裏鬼門を開放しおごそかに迎え入れ、そのためにこの国の建国者であるイエス・キリストや、その墓守をしていた卑弥呼の墓に早急に墓参しなければならない。
まだあります。この真実を知っていた、蘇我入鹿(皇極天皇) 、天武天皇、藤原不比等公、桓武天皇、空海らの墓参を急がなければなりません。
かれら現人神たちはそれを望んでいます。
その仕事は三権の長と、天皇陛下の司です!
2018年12月15日(土)
宝珠岩に向かって手を合わせると・・丹後半島にあるモーセの墓から御霊を移し替えた陵墓に手を合わせるようになっていた。
御霊を移し祀った場所は、ホテルリラクシアの中庭の小高い丘である。
このポイントと、モーセの墓と和気清麻呂開基の京都帝釈天は見事に正三角形を描きます。
そして、書写山円教寺の摩尼堂で手を合わせると、なんとこのポイントに手を合わせるようになっています。
まだあります。
雪彦山の東麓にある鹿野神社で手を合わせる先が、見事にこのポイントに手を合わせるようになっています。
宝珠は象徴的なモーセを表す専売特許のようなものです。
下の二枚の画像は、武部さんが宝珠岩の掃除をしたときに撮ったという写真です。
七種山(なぐさやま)・七種滝一帯が道教の本当の聖地でした。
2018年10月29日(月)
昨日はイエスの四男であり第四代懿徳天皇陵の山を初めて後円部正面から眺めました。
市川大橋から眺める風景は、目の前に天皇陵、北には卑弥呼の陵墓、西には七種槍、橋の下には岩肌と川の流れ・・と、なんとも言えない情景を見ることができます。
そかから地元に住む古代史研究家の市川慎さんに電話すると、ほどなくして来てくれました。
そしてそこから山を見ながら、「あの山には磐座があるよ」と教えてもらったりしながら、「威徳森神社へ連れて行ってもらえませんか」とお願いすると快く「じゃ~」と言うことで、私の車を寺前駅の事務所へと置きに行って、市川さんの車で連れて行ってもらうことになりました。
・・・
んん~~ん、沢山書くことが多すぎて後日まとめることにして、昨日の最後の神社での結論です。
・・
「豊受大神って誰ですかね」と私が聞くと市川さんはニンマリ苦笑いして、「ホウジュと書いてるやんか」と。
「そうなんですかぁ」と私。
豊受大神は丹後の神であり素戔嗚尊でありモーセであると言ってますね。
トヨウケと読んでしまうから分からなくなりますが、ホウジュ(宝珠)と読んだら「宝珠はいらんかね」のお爺さんと分かりますよ。
この方は「道教」の神様でもありますが、分かってきたのは道教の本来の聖地こそがこの市川橋から西に見える綺麗に尖った山である七種槍(なぐさやり)がある七種山・千鶴山一帯でした。
昨日は、懿徳天皇陵の秘密を教えているであろう威徳森神社へと市川さんに連れて行ってもらいましたが、もうそれは予測した通りの神社の配置にビックリするばかりでした。
威徳森神社では豊受大神の扁額はみませんでしたが、他の二社では豊受大神をみることができました。古代史の謎がここから一気に解けそうです。
2016年10月4日(火)
ホテルリラクシアから、「上森さんが一度も通ったことのない道を案内しましょう」と、市川さんは、
雪彦・峰山線を通って、遠くの山々を眺めながら姫路市夢前町へと下りる道を案内してくれました。
思ってもみなかった石碑や素晴らしい情景を見ることができました。
石碑に刻まれていた前兵庫県知事の貝原俊民さんは車同士の衝突事故で一昨年、突然に亡くなられましたね。
この日、明石海峡大橋は、あいにくの天候で見通すことができませんでした。
凄い岩山です。 武部さんが見たら喜ぶでしょうね。
左手遠くの三角の山は、七種山(683m) 右手の三角の山は、姫路市夢前町山之内にある569.9mの山のようです。
左手の丸い山が明神山(667.8m) 右手は620m その右手が489.6mの山と思われます。
エネルギー体の雲が私達を見つめていましたねぇ。
2016年6月5日(日)
昨日(4日・土)予定通り12:00前には千鶴山の山頂に到達しました。
そこから31°の方角には、女王卑弥呼の陵墓が綺麗に、やはり人工的な丸い曲線を描いているのが見えました。
地上から天空へと飛び立つ円盤型のUFOのようでもありました。
又、イエス様の遺体が埋設されたキリストの陵墓の山も見えました。
779m婀月山の山頂にある女王卑弥呼の陵墓は、東西南北どこからでも見える場所を選んで造られています。
そしてその姿はどこから見てもお椀を伏せたような丸い綺麗な形をしています。
もうそろそろ地元の人達も世間の人達も、この情報を軽んじてやり過ごしていると、間違いなく取り返しのつかない天変地異を招くことになるでしょう。
・・・
それにしても、険しい千鶴山(616.1m)から下りて、その足で七種山(680m)へと登りました。 330mの上り下りを2回もやって、もう足はガクガク、腰はヘナヘナ・・・。 武部さんに鍛えられていますぅ。