2023年2月6日(月)
昨日、由義寺跡へとコアロッドを持って調査に行ってきました。金は3m×3mでした。「まぁせっかく来たのだから銀も調べてみるか」と金のチェーンから銀のチェーンに付替えてみると・・! ビックリでした。 なんと銀の反応は4m×25mもありました。巻き尺で測ったわけではありませんよ。私の短い足を思いっきり伸ばして、一歩、二歩、三歩・・として計測した概略の長さですが・・。 由義寺がどのような思いで築造されたかが、私にはよ~~く伝わってくる。それは由義寺の塔が、空海の近々の系譜を教えているからである。
2023年2月4日(土)
新たなステージの幕開けの予感です。
草壁皇子の墓の調査から急激に次々と高貴な方々の墓を教えられているようです。
王家の方々の魂がまちがいなく蘇っているように思える私です。
328君、綺麗な記録、ありがとうございます。
今日はコアロッドを持って八尾です。
2023年2月3日(金)
空海さまの母君の生誕地が特定できました。お生みになられたのは孝謙天皇ですよ。
「誰との子供ですかぁ」って・・? それは道鏡さまですよ。 見事な空海コードです!
孝謙天皇の墓と空海さまの母君の墓と道鏡の墓との二等辺三角形の重心となる場所が生誕地で『蓮生塔』の場所です。
2023年2月1日(水)
今月25日発売予定の「不死鳥のあしあと2」は着々と仕上がりに近づいています。
すっごい本です!
今までだれも知り得なかった、知ることができなかった内容です。
これも山中で地中を簡易で迅速に計測するものがなかったからなのですが、「コアロッド」の開発は、従来の考古学の常識を一変させることでしょう。
空海コードで知り得た山々に上り、山中に分け入りフィールドでの積み重ねを続けて13年の年月を要して、空洞探査・金探査器「コアロッド」が完成しました。
金探査は数㎞先からでも検知出来ます。これからの古墳調査には、コアロッドは必須アイテムです!
2023年1月31日(火)
空海は高野を開いてからも、月に一度は荒神岳に登っていたという話を最初に聞いたとき、全くもって謎でした。
でも・・、やっとここに至ってその謎が解けました。荒神社の東には空海さまのお祖父さんにあたる道鏡の墓があって、そこから直角に北に行ったところに道鏡の父にあたる葛野王の墓があります。全くこの図形を反転した場所に行基の墓があって、荒神社 道鏡の墓 葛野王の墓 これに対して荒神社 道鏡の墓 行基の墓は全く同面積で同じ角度のシンメトリーな直角三角形を描いています。
このようなことって・・、もう驚くばかりです。まだこれ以外に荒神社から父にあたる吉備真備の墓や、光明皇后や空海さまの母の墓など沢山描けます。あまりにも・・なのです。
空海さまにとって、荒神岳の荒神社は、特別で大切な場所だったのがよ~~く理解できた今日この頃です。
2023年1月30日(月)
淡海三船のお墓である奈良市高畑町1352にある比賣神社の小さな境内には神像石(かむかたいし)と書かれた札の奥に4つの石と淡海三船と池辺王と葛野王と弘文天皇と・・十市皇女と父子4代の名前。
この父子4人の中で、池辺王=道鏡とすれば、空海コードは見事につながりました。
池辺王は道鏡である!と言い切れます。
2023年1月27日(金)
24日(火)朝から奈良へと行きましたが、コアロッドで地底の金探査と空洞探査を終え、比賣神社をゆっくり見ることもなく写真だけは取り終えて待ってもらっていたタクシーに乗り込みました。誰かのうれし涙でしょうか、そのとたん小雨が降ってきました。
その日の夜、自宅でブログを書いていて、現場では見ていなかった新聞の記事を見つけて・・読んでいて・・! 白蛇が首に・・という記事にドッキリ!!
この記事には大変なドラマの情景が浮かんでくるようでした。その日は夜12時を回っても空海コードを結び付けながら頭の中では、「そこが淡海三船の墓である決定的コードを探せ・・」と次々にデータを乗せて行きました。そして・・「これだ!」と決定的データが乗せられた時にはもう午前2時を過ぎていました。そして翌朝目が覚めると神戸の街並みは、電車も一切動かない一面白い世界でした。
・・
記事の中で、
飛鳥の宮に身を寄せた十市は、戦いから6年後の678年4月7日。宮中で突然死ぬ。日本書紀はそれ以上の説明をしていないが、私は自殺ではないかと思う。父の正妻である後の持統天皇は十市に冷たかったろう。苦悩が重なり、生きる望みを失ったに違いない。
・・と、書き綴っている。
この行に私は大変憤りを感じる。
まず、持統天皇に全く無礼である。筆者は天武、持統、十市、葛野王 4人の生、没年を照らし合わせていない。葛野王は、9歳で母、十市皇女と別れている。そして爺ちゃんである天武天皇とは17歳で別れている。持統天皇と葛野王は、24歳の差で、持統天皇が703年に亡くなって3年後に37歳でこの世を去った。
持統天皇は、草壁皇子同然に我が子のように育てたはずである。
そして、そのように葛野王も私に話しかけてくる。そのことと葛野王がもっと強く私に言ってくるのは、「私の母は、自殺なんかしていません。いくら辛くても自分から自分の命を絶つような人ではありませんでした。毒殺されたのです」と。・・このことを、現代の私達に伝えるために、葛野王の墓の麓にある葛尾で日本国民に伝える為に、「名張毒ぶどう酒事件」で表出されたのでした。そして「その事件現場こそ、私達の御先祖様である第29代欽明天皇の墓なのです」と、葛野王は語りかけてくるのです。
全ては向こうの世界からの台本を、この世に出てくるときに「ではその台本を演じさせていただきます」と、皆さんが約束の上でそれぞれ演じられたことでしょう。
辛くても・・苦しくても・・、神様から頂いた台本通りに皆様が演じきられたのだと私は思っています。 ただただ台本通りに・・と言えば、私は責めを負いますでしょうか。
翌朝は、一面雪景色で電車も動いていませんでした。
2023年1月26日(木)
淡海三船のお墓にやっとたどり着きました。
場所は、奈良市高畑町1352にある比賣神社でした。
先ずコアロッドが教えてくれたのは、金1m×1m。
そして念のために銀も調べてました。結果、金に添わすように0.7m×0.7mもキャッチしました。
金の場所は位置的には消火器の真下でした。
・・と言うことで、淡海三船の墓に決定です。
それを証明するのは空海コードです!
消火器の真下7.2mあたりに金と銀が在るようです。
2023年1月25日(水)
昨日24日の朝から奈良へと行った。淡海三船の墓の場所が特定できたからである。一刻も早くそれを確かめるべくコアロッドを持って六甲道駅からJRで奈良駅まで行った。
そして駅前からタクシーに乗り込んで降りた場所は、奈良市高畑町1352にある比賣神社前だった。
そして逸る気持ちを抑えて、コアロッドに24金のチェーンを取り付けて両手にコアロッドを握りしめて、社に向けた。
すると・・、さほど時間もかからず2本のロッドの先端は閉じた! 金の反応を示しました!! つづく
2023年1月24日(火)
21日(土)名張駅前のレンタカーを借りて高塚山の高塚神社へと行きました。
そしてそこから東の麓にある葛尾へと行きました。そこでコアロッドが金の反応を示すか否かの調査でした。
反応は畑の中ではないかと想像していましたが、神社とお寺の前の広場中央にコアロッドは反応を示しました。石室の大きさは10m×10mほどで、金は3.5m×3.5mほど反応しました。・・どうしてこの場所へと行ったかは、空海コードが「第29代欽明天皇の墓」だと言うことで調査に行った次第でした。その根拠の空海コードは後日示したいと思います。
下の写真で丁度おじさんが立っている場所の下が金の反応する場所でした。(約束より)
江戸川乱歩の像が駅前にあったのも私には偶然とは思えませんねぇ・・。