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2020年10月19日(月)
弘文天皇の墓が分かり、后の十市皇女の墓が分かれば・・。
「二人の間に子供は居たのだろうか・・」との思いが浮かんできました。
調べると・・、と言っても便利な世の中で、ネットですぐに答えは出てきます。
すると、「葛野王・かどののおうきみ」と教えてくれます。
「弘文天皇を父とし、十市皇女を母とする葛野王の墓は何処にあるか求めなさい!」と、空海様でしょうかぁ・・。
父・母 の墓の位置が分かれば、子供が眠る墓の場所として先ず考えられるのは、二人の墓から等距離にある場所です。
互いの墓から共に円を描いて、円と円が交わった点と点を結ぶと(赤い直線)そのライン上からは等距離になります。
そのライン上のコンターラインを見て、お墓を探します。お墓の場所には必ず、特徴が見て取れます。
山の名前であったり、神社や寺があったり、廃寺跡が記されていたり、人工的なコンターラインが見て取れたりします。
そして墓であれば、必ずその場所より低い場所に遥拝の山のコンターラインが在ります。
その二等辺三角形を描く場所に、そのような痕跡が見られなかったら、二つポイントでタレスの定理のポイント(赤い円)となる場所のコンターラインを見ていきます。
要するに三点で直角三角形となるポイントです。
このようにしてお墓を探していきますが、このような作業にかかる時間は数分もあれば十分です。
それでもお墓らしきコンターラインが見つからなければ、基本になる墓がどちらか間違っていることになります。
でも、データが何百と蓄積されていますから、まず間違うことはありません。
そのようにわずかの時間で、葛野王の墓は見つかりました。
一応見つかりました!なのですよ。
それから、その墓が間違いないかを確かめるために、今度は、父母のその先、要するにお爺さんの墓との関係性がどうなのかをみていくことで、確かなものとなっていきます。
全て、三角法の連鎖で、ご先祖様のご先祖様であるイエス・キリストの墓につながるようになっています。
この日本のご先祖様たちは凄いのです!
大王(天皇)達の本当の墓、本当の歴史が分かるような仕掛けをこの大地に印していました!!
実は、知足院のナラノヤエザクラから174度のラインには、もう一つ重要な貴人が眠っておられました。
それは、天武天皇の皇女であり、弘文天皇の后であった十市皇女の墓もあって、知足院の三点で2:1:√3の直角三角形を描いていました。