かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

長野県小諸市大字八幡と処女塚古墳のお姫様

2024-02-17 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2024年2月17日(土)

元伊勢内宮 皇大神社と伊勢神宮と空海の祈り場である荒神社の直角三角形があります。

この直角三角形に長野県小諸市大字八満との一点を加えた直角三角形が繋がります。

そしてその図形に能登半島の二子山を加えて直角三角形が描きます。

それから山形市の三郎を加えた直角三角形が連続します。

そして元伊勢内宮 皇大神社と空海の祈り場である荒神岳と小諸市字八幡の三点で直角三角形を描きます。

これらの大事な古代の神宿る社と空海の祈り場と小諸市字八幡と三郎の関係は何を意味するのか。

そしてそして、私が住む神戸の事務所のちかくに処女塚古墳があって、ここから山口にある空海の墓と小諸市字八幡までが同距離で二等辺三角形を描いている。

私はこの処女塚古墳は、イエスの娘の墓であると教えられていて、その時の想いは消えることなく生き続けていて・・。


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荒神社と空海と清水寺三重塔

2024-02-03 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2024年2月3日(土)

清水寺三重塔と卑弥呼の墓と荒神社の三点は直角二等辺三角形を描く

ここにきて、新たに空海が高野を開いてからも月に一度、荒神岳に登った意味が分かってきました。


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荒神社は空海にとって特別で大切な場所でした

2023-01-31 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2023年1月31日(火)

空海は高野を開いてからも、月に一度は荒神岳に登っていたという話を最初に聞いたとき、全くもって謎でした。

でも・・、やっとここに至ってその謎が解けました。荒神社の東には空海さまのお祖父さんにあたる道鏡の墓があって、そこから直角に北に行ったところに道鏡の父にあたる葛野王の墓があります。全くこの図形を反転した場所に行基の墓があって、荒神社 道鏡の墓 葛野王の墓 これに対して荒神社 道鏡の墓 行基の墓は全く同面積で同じ角度のシンメトリーな直角三角形を描いています。

このようなことって・・、もう驚くばかりです。まだこれ以外に荒神社から父にあたる吉備真備の墓や、光明皇后や空海さまの母の墓など沢山描けます。あまりにも・・なのです。

空海さまにとって、荒神岳の荒神社は、特別で大切な場所だったのがよ~~く理解できた今日この頃です。


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道鏡の系譜は凄い! 道鏡の墓の位置決めも凄い!

2022-09-07 04:48:26 | かごめかごめの真実とは

2022年9月7日(水)

道鏡は、空海様の祖父にあたります。

その道鏡の先祖を遡れば、用明天皇(物部守屋)と蘇我 堅塩媛 (そが の きたしひめ)が浮かんできます。

もっと遡れば、モーセの直系だと言っておられますよ。

空海さまが教えられているのは、お祖父さんは山伏だったと言ってます。

そして、お祖父さんには湖の広さや深さ以上のがあると言って居られます。

下の図形は、基本形である2:1:√3の直角三角形を大小2つ組み合わせた図形です。

その二つの図形が上記のようなことを語りかけてくるのです。

そして、役行者堂土塔と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形ですし、役行者・行基の墓と荒神社と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形です。

実に素晴らしい位置出しです。

そして、蘇我 堅塩媛の墓から孝謙天皇の墓までと道鏡の墓までは、全く同距離で二等辺三角形を描くポイントに定められ、他の重要ポイントと直角三角形を描きます。

このように空海コードは、緻密な関係の上に定められています。

高野山も全て幾重にも計画的配置の上に開発、造営されていることが分かります。

・・ということで、モーセの直系である武部さんと近々、道鏡さまのお墓参りです。

武部さん、よろしくお願いいたします。

 

 

 


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道鏡の墓は3つの2:1:√3の直角三角形が重なる位置に存在している

2022-06-12 05:48:03 | かごめかごめの真実とは

2022年6月12日(日)

道鏡の墓は、道鏡を祀る弓削島の古法皇山と弓月王の墓との3点で2:1:√3の直角三角形を描きます。

また、空海が高野山を開いてから欠かさず月に一度は登って祈ったという荒神社と行基の墓とで2:1:√3の直角三角形を描きます。

そして、役行者堂と行基の墓との三点でも2:1:√3の直角三角形を描きます。

要するに道鏡の墓は、3つの2:1:√3の直角三角形が重なり合っている重要なポイントに造営されています。

又、道鏡の墓と高野山根本大塔と行基の墓とは、3:4:5の直角三角形である大矩を描きます。

緻密で見事な計画的配置です。 つづく

おお~アマゾンが動き出しましたねぇ。


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上森を玉置神社に導け!

2020-11-04 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

[English]

2020年11月4日(水)

時々、神様のメッセージを私に届けてくれる牧浦さんが、談山神社や荒神社などへと私を連れて行ってくれた後、「上森を玉置神社(山)へ導け!」とご託宣があったと伝えてくれました。

玉置神社には過去2回ほど行っていましたが、その時は何も意味も分からずに連れていってもらったというものでした。

今回は、間違いなく玉置の秘密を解かなくてはならない気がしていました。

それで私と玉置山(神社)との関係を見てみると、大有りなのです。

綺麗なハートの丘を持つ古代芦北王朝の大王の墓と、出雲大社と玉置山は、綺麗な90度 50度 40度の直角三角形を描いています。

私が呼ばれる由縁かもしれません。

11月1日(土)が名古屋市公会堂での勉強会が予定されていたので、前日の10月31日(土)にお願いしていました。

10月は神無月で、全国の神々は出雲に集まってなにやら相談事の月ですから出雲は神在月。

そのようなことで、どうしても31日がギリギリの日だと思いました。

31日の朝9時、近鉄五位堂駅の改札口に牧浦さんが迎えにきてくれていました。

そしてご主人が運転する車に乗せてもらって、出発。

そこから目指す玉置神社へと直行。玉置神社の駐車場に着いたのは、ジャスト12時でした。

そこからやや急ぎ足で本殿にたどり着き、コンパスグラスをリュクから取り出して角度を測りました。

本殿に向かって人々は手を合わせますが、角度は330度方向で、この方角は見事に神河町のイエス・キリストの墓に手を合わすようになっています。

偶然でしょうか。・・絶対にそうではありません。 計画的設計配置です。

本殿に上がる石段の左手に石塔が祀られていましたが、その横には間違いなく消えかかった五鈷杵を胸に当てた空海さまの石佛でしたね。

嬉しくも空海さまに導かれたとの思いでした。さぁ~そうであるなら尚の事、これから何かが起きそうな胸騒ぎでした。

本堂でコンパスグラスで計測していたら、その場に武部さんの姿が目に入りました。

そして、武部さんは、「稲荷神社の方へと行って、その先を左に山へと登ってください。大事な場所です。玉置に来て絶対に行かないとダメな場所です」と教えられて、私たちはその玉石社へと行きました。

玉石社に行くと、ほら貝を吹いている方が居られました。玉置山でほら貝の音を聞けるとは思ってもみませんでした。

そしてその男性は、ほら貝を吹くのをやめると、その上の磐座を祀った柵のところで、いろいろと又祝詞を奏上したりして、ちょっと人だかりになっていました。

それで私は、人影がなくなった玉石社の前に行って、念のために持って来ていた特製のゼロ磁場Lロッドコアを取り出して、空洞探査を試みました。

「こんな急斜面に石室があるわけないだろうなぁ~」と思い思い、足を一歩一歩交互に進めると、なんと!すぐさま反応しました。

玉石社で立って手を合わすその直下には、大きな石室が存在していました。

石組で持ち上げられたその下の大きな杉の木の部分まで石室が存在しています。

大きさは3,5m×5,5mほどの斜面に沿って縦長に造られています。

驚きでした。 まさかのまさかが・・!! 

下の出雲大社玉置教会で手を合わす先は、この玉石社のようですから、このお墓に眠る現人神は、出雲の系譜が想像されます。

先に表した芦北と出雲と玉置の直角三角形からもそのことが言えます。

いったい誰のお墓か・・。それを説くのにさほど時間はいらないようでした。

玉石社は大己貴命を祀っていますから、大己貴命=大国主命=イエス・キリスト=神武天皇と出雲の御姫様で皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命との子供であると私には響いてきました。

本殿で手を合わすと神河町のイエス・キリストの墓に手を合わすように設計配置されていることとも整合性があります。

帰りは、駐車場入口で売られていた、めはり寿司とさんま寿司を買い求めて先ずは牧浦さんの御主人にほうばってもらって、即、2時前の出発でした。

そして、翌日の名古屋での勉強会の為にその日のうちに名古屋へ移動するために、近鉄特急が止まる大和八木駅までノンストップで送ってもらいました。

駅までの途中、橿原神宮の前を通ってもらいましたが、まさに答えは最後の最後に用意されていたようでした。

以前私は、橿原神宮へと呼ばれて行って媛蹈鞴五十鈴媛命を祀る社に手を合わせに行っていたからです。

そして、「16:50発の特急ひのとりに間に合いそうよ」と牧浦さん。

「ひのとりに乗ってみたかったんです」と私。

そのようなことで余裕を持って特急ひのとりに乗車することができました。

牧浦さん、ご主人様、・・そして武部さん、本当にありがとうございました。

                                                        

 


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牧浦さんが連れて行ってくれた大事な寺院・・その3 高鴨神社 その4  一言主神社

2020-09-30 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

[English]

2020年9月30日(水)

9月20日(日)談山神社から笠山荒神社へと行きましたが、次は高鴨神社、そして一言主神社へと連れて行ってもらいました。

高鴨神社

           

 

 

 

一言主神社

 


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牧浦さんが連れて行ってくれた大事な寺院・・その2 笠山荒神社

2020-09-29 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

[English]

2020年9月29日(火)

9月20日(日) 談山神社から笠山荒神社へと連れて行ってもらいました。

談山神社と共に、どうしても行かなくてはならない荒神社でした。

その理由は後日ブログにUPしたいと思っています。

                           

 


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荒神社の社殿は上醍醐の開山堂に向けて造営されていました

2019-11-22 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年11月22日(金)

荒神社の社殿は、コンパスグラスで18度に向けて建っていました。

私の予測では、0度か17度でしたから、この角度には大きな意味を感じ調べて見ると・・。

 

醍醐寺金堂のご本尊様は、荒神社を見つめていましたし、荒神社と醍醐寺五重塔とイエス・キリストの墓は直角三角形を描いていましたから、荒神社のご本尊様も醍醐寺を見つめているかと思っていましたが、なんと、上醍醐の開山堂を見つめて居られました。

それで、荒神社と上醍醐の開山堂ともう一点で直角三角形をなす点を探すと・・、なんとイエスの墓からちょっと西北西へと行った場所でした。

そこは、書写山円教寺摩尼殿から手を合わす先にある、モーセの御霊を移し祀った場所でした。

空海様が高野山を開いてから月に一度は登って祈ったその場所から真北に位置する場所にこそ、桓武天皇が眠る高雄山(428.4m)があり、イエス・キリストの墓卑弥呼の墓モーセの御霊など七福神様たちに祈る遥拝の山である大嶽山とで40度50度90度の綺麗な直角三角形を描き、又、その先に十字架の山もありました。

皆さんと一緒に高野山弘法大師廟に行って手を合わせてから、荒神社へと行きましたが、感慨深いものがありました。

今回、どうしても空海様の思いを知っていただきたくて、行程上無理は承知の上で皆さまをお連れした次第でした。

ツアーに参加されました皆様には、本当に感謝しています。  ありがとうございました。

 

 

五社神社は、金剛山、二上山を見つめ見守っていました。 見つめる角度は10度方向でした。

 

 

 


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天照大神の墓にもお参りにいきます

2019-11-16 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年11月16日(土)

この日本は実に素晴らしい国です!

イエス・キリストの命日の日に、天照大神(テラ)の墓にお参りに行きます。

誰もが忘れたふりをしているのか、完全に忘れ去られたのか・・。

でも、事実は隠せるものではありません。

姿なき存在が私を使って歴史の真実を表に出そうとしています。

 

天照大神(テラ)の墓から弘法大師廟までの距離と藤原不比等公の墓までは、共に61㎞と同距離です。

弘法大師廟からも荒神社からも皆さんに祈っていただきます。

弘法大師廟の真北に藤原不比等公の墓があり、直角に西へ行くとイエス・キリストの墓があります。

荒神社から真北に第五十代桓武天皇の墓があり、直角に西へ行くとイエス王家の方々を遥拝する大事な大嶽山があります。

そしてそこから西へと延長した場所に十字架の山があります。  これらは見事に直角三角形を描きます。

藤原不比等の墓、桓武天皇の墓など全て直角三角形を描くタレスの定理で位置決めされています。

そしてこの円環帯には、平等院鳳凰堂や石上神宮など重要な寺院や磐座なども並んでいます。


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首里城火災は、聖なる霊ライン上にイエス・キリストの墓が造られたこと告げている

2019-11-01 04:04:50 | かごめかごめの真実とは

2019年11月1日(金)

荒神社はイエス・キリストの墓を教えていました。

そして火の神さまとも言われる荒神さんが大変ご立腹の様子と昨日のブログで書きましたが、まさかその時間帯に首里城が火災で延焼中だったとは・・!!


私には、ゾッとした京アニの異様な爆発火災ノートルダム大聖堂の火災と同じように、何か空恐ろしいものを感じます。

特に昨年から・・、そして今年に入って立て続けに起こる悲惨な事故事件や、台風地震や突然の山崩れなどの災害は、全てイエス・キリストの墓を注視するように起きていることをいつも感じます。

それで・・、首里城がどのような位置にあるのかを調べると、聖なる山である白頭山が首里城のほぼ真北に位置していることが見て取れます。

そして、神河町にあるイエス・キリストの墓と首里城を繋ぐラインに沖縄諸島が並んでいることも分かります。そしてそのラインに直角に行った先に、これも又、聖地千山があります。

不思議ですねぇ! ・・、数日前に、武部さんが事務所にやってきて、「伊豆の烏帽子山へ行ってきました。その真北に富士山が見えるのですが・・」と言われるので、その場でパソコンに向かって地理院地図にラインを引くと、富士山の北に「大黒山」があり、そのラインに直角に西へとラインを伸ばすと、たくさん重要な拠点が並ぶことが分かりました。 実は、朝鮮半島の西にも大黒島に大黒山があることが分かりました。

その大黒島が千山と首里城とを結んだラインに位置しています。

んん~~ん、不思議です! 綺麗な図形です。

そして・・、首里城とイエス・キリストの墓とを結んだライン上に、高知県土佐町に「大国主神社」の名が浮かび上がりました。

あまりにも不思議なんです。その大国主神社から首里城までと白頭山までの距離は凡そ同距離なのです。

三点は二等辺三角形を描いています。

私はこの不思議な世界へと誘われた最初のころ、隠岐の島へと行かされましたが、イエス・キリストの墓と千山とを結んだライン上に隠岐の島の「神島」が存在していますが、その神島と大国主神社とイエス・キリストの墓は大まかに直角二等辺三角形を描く位置関係にあることが分かります。

大国主=大黒様=イエス・キリストであり、イエス・キリストの墓が聖なる場所にあることを首里城の火災は、教えています。

イエス・キリストの墓は、聖なる霊ライン上に、オリオン座を地表に下し、赤く輝くベテルギウスの場所に造営されました。

ここまでくれば、私にはハッキリと分かります。

神河町南小田山頂にイエス・キリストの墓あることを認め、みなが崇め祀るまで目に見えない存在は徹底的にやることを・・。

 


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法観寺八坂の塔もイエス・キリストの墓を教えるランドマークタワーである!・・と、荒神さん

2019-10-31 04:12:35 | かごめかごめの真実とは

2019年10月31日(木)

醍醐寺はイエス・キリストの墓を教える寺院で、その大事なことを教えるのが、二つの荒神社でした。

そして不思議なぐらいにそこから浮かび上がるのが、笠山荒神社から奈良県吉野郡にある立里荒神社(たてりこうじんしゃ)までと同距離にある法観寺八坂の塔が浮かび上がりました。

笠山荒神社と立里荒神社と矢坂の塔は二等辺三角形を描きます。

そして立里荒神社と矢坂の塔とイエス・キリストの墓は直角三角形を描きます。

そしてこれは偶然でしょうか。

笠山荒神社とイエスの公的陵墓の二点の中点から円を描くライン上に醍醐寺五重塔も八坂の塔も存在しています。

そしてこの円のライン上に藤原不比等の墓もあります。

イエスの公的陵墓と笠山荒神社と藤原不比等の墓は、40度50度90度の綺麗な直角三角形を描きます。

立里荒神社は、重要なことを教えるベンチマークでしたが、笠山荒神社も又、重要なベンチマークポイントでした。

立里荒神社と藤原不比等の墓と直角三角形を描くポイントには応神天皇の墓がありました。

そしてイエス・キリストの墓の東に位置する場所に藤原不比等の墓があり、そこから直角に南に行った場所に高野山弘法大師廟でした。

藤原不比等の墓は、日本の最高神、天照大神の墓である神野山の王塚から弘法大師廟までの同距離に造られていましたね。

空海さまが高野山を開かれてから、月に一度は立里荒神社に登ってお祈りを欠かさなかったのは、第五十代桓武天皇の墓が立里荒神社の真北に位置していたからとのことだけしか私の頭にはありませんでしたが、ここにきて一気にそのポイントの重要性が浮かび上がりました。

これらのことから見えてくるのは、藤原鎌足から藤原不比等へと託された、藤原家のご先祖の御霊を守り崇めるという強烈な信念が、藤原直系である桓武天皇にも引き継がれたことを読み解くことができます。

このことを纏めるには時間も必要ですが、どうもゆっくりしてもいられない状態が見えてきたようです。

かごめかごめの唄の、「夜明けの晩」が近づいているようです。

日月神示の地響きがする暗黒の闇が近づいているような・・。

 

荒神さんは、大変ご立腹の様子ですからねぇ・・。

綺麗です! 実に見事な配置図です!!


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醍醐寺の基本設計は、イエス・キリストの墓と荒神社に向けて造営されている

2019-10-29 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2019年10月29日(火)

醍醐寺の門から西大門(仁王門)へはコンパスグラスで108度で進んで行きます。

帰るときは、288度で出ていきます。 この方向には、イエス・キリストの墓があります。

又、五重塔もイエス・キリストの墓に向けて建築されています。

そして・・、金堂の御本尊様は、荒神岳にある荒神社を見つめています。

地理院地図で、「荒神社」で検索すると、もう一カ所、奈良県桜井市大字笠にも笠山荒神社があります。

醍醐寺五重塔と二つの「荒神社」で、イエス・キリストの墓とイエスの公的陵墓の直角三角形が重なります。

見事な設計です!


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現人神さまたちは、一人一人が目覚め、鳳凰のように蘇ることを促しています

2019-10-26 05:09:40 | かごめかごめの真実とは

2019年10月26日(土)

イエス・キリストの墓と藤原不比等の墓と、上島は、綺麗な2:1:√3の直角三角形を描きます。

本当に綺麗です。

イエス・キリストの墓と上島と東大寺大仏殿は、直角三角形を描きます。

不比等君は、応神天皇の墓も仁徳天皇の墓も・・、全てを知っていましたねぇ。


空海さまは、高野を開いた後も、毎月一回必ず荒神岳へと登った意味は、荒神社の真北に桓武天皇が眠って居たからだと、そのことだけを今まで私は思っていましたが、もう一つ重要なことが在ったようです。

荒神社から不比等君にも応神天皇にも、イエスやイエス王家の方々に祈りをささげていたということでしたね。

不比等君は、斉明天皇や天武天皇・持統天皇らから切なる思いを託され記紀に纏め、それらの願いを桓武天皇で若き最澄、空海を使って忠実に実行しました。

又、藤原武智麻呂も父を尊敬し思いを受け継いでいることがお墓の位置でくみ取れます。

これらイエス王家の血を受け継ぐ藤原家の方々は、真実を悟られることなく真実を語り継がせていますね。

もうそろそろ、真実を表に出す時が近づいているようです。

読者の方々の身体には、まちがいなく不比等君のDNAもイエス・キリストの血も受け継がれています。

あまりにも凄すぎます。

真の世界平和は、イエス・キリストが活躍した舞台が日本であり、兵庫県の中央の山地に墓があり、そこにモーセの御霊も祀り、世界人類の御先祖の神々も祀っている王家の丘があることを世に知らしめることにあります。

この世は、この世に居た人たちから見つめられている虚の世界であり実の世界です。

真実を捻じ曲げて、又は体裁を繕ってみてもお見通しの世界です。

この世に居られた私たちの御先祖の御先祖様である現人神さまたちは、一人一人が目覚め、鳳凰のように蘇ることを促しています。

 


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荒神さんは、天照大神でありイエス・キリストでありモーセだ!と・・

2019-06-29 07:15:48 | かごめかごめの真実とは

2019年6月29日(土)

空海様は高野山を開いてから毎月一度は荒神岳に登って祈ったと言う。

それは、桓武天皇の亡骸が大地に返された場所(墓)を真北に拝む場所を位置だしし、又、その場所はイエスや卑弥呼、そしてイエスを囲む王家の子供たちを祀る遥拝の山である大嶽山と綺麗に直角三角形を描く場所に決められました。

これは、日本の宗教文化を山岳信仰と言いましょうか修験道の方々が大王たちの墓を守り、その祀り方と祈りを絶やすことなく行ってきました。

私は一連の不思議物語の初めの頃、荒神社にも連れて行ってもらう機会に恵まれました。その後も一度行っています。

空海さまが高野を開き、必ず高野山からわざわざ山深い奥山まで月に一度は必ず来ていたということに「なぜだろう!?」と思ったものでした。

今になってはっきりと空海様の心が理解できます。

そして荒神と言えば、琵琶湖の東にも荒神山があります。 行基さんや空海さま由来の山です。

これはもう二つの「荒神を繋げ!」と聞こえてきます。

・・すると、見事に綺麗な意味ある図形が浮かび上がります。

荒神岳と荒神山までは、奈良県山添村にある神野山の大塚(天照大神でありアブラハムの父・テラの墓)からの距離が全く同距離であり、イエス・キリストの墓からも全く同距離です。

行基さんも空海様も、「火の神、竈の神である荒神とは、天照大神でありイエス・キリストでありモーセだ!」と教えていますねぇ。

ですから、モーセの御霊もイエス・キリストの墓の近くに移されたのでした。

修験道の方々は、天体に輝く無限の星々を八百万の神々としたとき、その中でも太陽や月にも例えることができる天照大神(テラ)やモーセやイエス・キリストを根源である火や竈の神「荒神さん」として人々に感謝するように教えたのでしょうね。


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