かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

本のレイアウトがもう少しで完成です

2015-08-31 18:12:16 | かごめかごめの真実とは

2015年8月31日(月)

 今日も矢野さんは三冊目の本のレイアウトに熱中です。

「矢野さん・・、一番最初に龍神が解放されて空に描いた雲、聖者とその横に牙をむき出している狼男みたいな悪魔って分かりますか」と私。

「どこにでしょうかぁ」と矢野さん。

「剣山に登って、リフトで下る間にカメラの映像を見ていてビックリしたんですよ! もうこれは大変なことを教えられているようで・・」と、その時、心臓が止まりそうになった話をしました。

それで・・

「そう言われれば・・そうですね。 でも・・もっと分かりやすいように漫画で描きましょ」と矢野さん。

 皆さんにはどのように見えますでしょうか。 聖者はだれかのお顔にそっくりなんですが・・

  出版される本の中身を・・一部。

・・・

神社の池でグタ~としていた龍神が、急に元気になって空に飛んで行ったのだ。

  見えない世界が見える超能力を授かった翼らが、龍神が池から飛び出す様子を目撃し、叫んだのだ。

 上森は、そうとは知らずに、テラファイトの不思議な力で、龍神を解放してしまったのだ。

 上森自身には何も見えなかったが、その時撮った写真を見たら、ホントだと思わざるをえなかった。青空に浮かぶ雲が、みごとなエネルギー体の不思議な姿を見せてくれていたのだ。

 そして、その晩に、上森は夢を見た。上森の夢にしては珍しく、鮮やかなカラーの夢で、翌朝、克明に覚えていた。

 夢のなかでは、上森は和室の大広間に座っていて、2段重ねのお膳がズラ---っと並んでいた。

 「ああ、今日、龍神を解放したんで、宴席に招んでもらったのかな」と上森は思った。 

 と、目の前に天皇らしき人が座られた。上森は「天皇かなあ」と思ったのだが、その方のあごの下までしか見れない。畏れ多くて、目と目を合わす勇気がなかったのだ。それで、横の方をジィ—と見ていた。だから、横目でしっかり、周囲のすごい情景も観察していた。  

 上森の真正面に座られた天皇は

 「ウチの王子にいくら言っても、行ってはくれないので、上森さんが行ってくれないでしょうか?」と言って、上森に地図を差し出した。

 天皇がウチの王子、と言われた人物は、上森の斜め後ろの、宴席ではないところにいる男性のことだ、と夢の中の上森には分かった。その王子は宴席の上座の人とツ―カ―の仲のように見受けられた。

 上森は、天皇に話しかけられている間、ずっと下を向いて差し出された地図をみていたので、その地図をよ~く覚えていた。

 夢の中で、天皇が指差したところを見て、「ああ、この2文字、漢字が難しくて、私には読めないなぁ~」と心のなかで呟いたことも覚えていた。

 夢で見た地図は1枚だったが、後になって、それが実際には異なる3ヶ所の場所を示す3つの地図だったことが分かった。 

 天皇は、上森に、「そこに行ってくれ」と3つの場所を示していたのだ。

 後でわかるのだが、それは、真珠湾、小莚、フィリピンのある場所であった。

 

夢で天皇に会った宴会場は、京都御所に実在していた

 

 上森がこの不思議な宴席の夢を話すと、

「上森さん、それはもう、できるだけ京都御所に行かないとダメだ」

と早急に京都御所見学の予約をとってくれた人がいた。

 京都御所を見に行くことになった、と話すと、今度は得津輝子から、

 「京都御所には蛤御門があって、そこを入ったところに大きな松の木があるから、それに抱きつきなさい」

と命じられた。凡人の肉眼では見えないが、そこに、大きな光の柱が立っている、とのことだった。

 「そんなことしたら、アホとちゃうか」と上森の理性は呟いたのだが、この不思議道の案内人でもある得津に言われたこともあって、上森は素直にそうすることにした。

 そこで、上森は京都御所に着くと、まっさきに蛤御門に向かい、立派な松の木を見上げた。

 「ああ、ここが蛤御門か。昔、いろいろ事件があったトコなんだなあ。ああ、この松なんだな~」。

 そして、いつもカバンに入れて持ち歩いているテラファイトを取り出し、手に持って、その松に抱きついた。

 そばを何人かが通って、「あのおっちゃん何してる?」という視線を向けたが、光の柱に溶け込んでいた上森にとっては、どこ吹く風だった。

 そうこうしているうちに、予約の時間になり、上森は生まれて初めて、京都御所の中に入った。

 ひと部屋、ひと部屋 見せてもらい、「御所の中には、訪れるお客様によって、松竹梅、といったように通す部屋がいろいろあるのだなぁ」と感心しながら、ガイドの後をついていった上森は、ある部屋を見せられて、驚愕した。

 「なんと!そこは、夢で見た通りの部屋だったのです!」

 上森が夢で見た、お膳がずらっと並んだ大広間、天皇に地図を見せられた畳の部屋は、京都御所の中に実在する部屋だったのだ。

 

天皇に秀吉の財宝の隠し場所を教えられた

 

 上森が夢の中で、天皇に「行ってくれませんか~?」と頼まれ、ハワイの真珠湾に行ったことは前著に記したが、実は天皇が上森に行かせようとした場所は他に2カ所あった。

 そのひとつが、伊勢志摩の南東にある大王崎にある小さな島だった。

 上森は次のように語る。

 「実は、豊臣秀吉の財宝が、ここの島に置いてある、と天皇は私に伝えていたわけです。地下神殿を祀るのにお金が要るでしょう?地下神殿や他の所から出てきたモノを売り払って、それをお金に代えて、祀ることはできないでしょ?祀るのに莫大なお金が要るのだから、それを大王崎に眠っている豊臣秀吉の財宝で、と天皇は示唆して下さったのです」

 上森はさっそく、地図を広げて、大王崎周辺を調べてみた。すると漢字で書くと、難しい字、2文字の「小莚」という島を見つけた上森には、カムシロと響いてきた。それは天皇の宴席の夢の中で、上森には難しくて読めなかった2文字だった。   

・・・この後の続きが面白いですねぇ、実に不思議な実話が続きますよぉ。 

秀吉が向こうの世界で二十六聖人と何やら言い合いをしているご様子が・・・。

 ご期待ください! 

 


7月21日はマリア様の御命日でした

2015-08-30 15:21:35 | かごめかごめの真実とは

2015年8月30日(日)  

28日は朝から晩までテラファイト卑弥呼の制作でしたぁ。 

 スタッフの皆さんと一丸となって夕方の発送に間に合わせることができました。

スタップの皆さん、本当にご苦労様でした。 感謝しています。 

「ありがとう!」

・・で、その時点で在庫3個。 ・・それで、29日も朝から卑弥呼さんに熱中。

夕方、早めの腹ごしらえをして、それから又、残りの卑弥呼を仕上げて・・・。 

そして ・・ 「手伝ってもらえますかぁ」と矢野さん。

私  :「分かりましたぁ、じゃ第一章からですね」

矢野さん:「今日は徹夜になりそうです」

私  :「良いですよぉ! キャプションのチェックもですね」

・・  8月31日(月)を締日と目標設定していますので、一応、終わらせてしまいましょうということで、原稿の写真や図面の配置やキャプションのもれや間違いがないかの作業が 終わったのはAM2時22分でした。

 矢野さんはタクシーで帰られましたが、私は2日間は徹夜状態も覚悟して家を出てきていましたので、

そのまま簡易ベットでお休みという状態でした。  この簡易ベッドで横になるのが大好きな私です。

矢野さん 本当にご苦労様でしたぁ!  

矢野さんは絶対、神様から使わされた大事な大事な神様のサポーターであることは間違いありません。

この本は間違いなく、多くの人達に気付きを与えることでしょう。 素晴らし内容に私も信じられない気持ちです。

不思議な不思議な私の体験が綴られています。

その不思議な出来事は、途切れることなく現在も進行中です。

・・・

このようなことで、週末にはそちらへと建部の方と行けると思いますよ、マリア様。

・・・そうそう、マリア様が亡くなられた日ですが、

AD43年7月21日 享年64歳でした。

BC21年9月20日 キルギス生まれで、イエス様はマリア様が19歳の時に出産されました。

ちなみに身長159cm 血液B型でした。

・・・んん?? 7月21日??  今年のマリア様の命日には何があったのだろうと日記がわりのブログを見てみると・・

なな、何とぉ!!  前日にイエス様の本当の陵墓に行ったものの、太田ダムでの「直ちに出てください!」とのアナウンスで、

行けずじまいで、楽やさんで市川さんらとお茶して・・・

なな、何とぉ!! そのあとの出来事でした。 大黒茶屋さんまで行っていたのに、わざわざ引き返したんですね。

そして 初めていく大年神社へと行って、お参りして、その神社の角度を測ったんでしたね。

そしてその書き記したノートを見て、大年神社の大変な秘密を教えられました。 それが 21日の出来事でした

ああ あの時、何かしきりに私に、「引き戻って大年神社に行ってください」と言ってるような気がして引き返しましたが、

その声はひょっとしたらマリア様だったのかもしれません。 

今でも我が子イエス様のことを気にかけて居られるご様子の出来事でしたね。

「はよ、引き換えして大年神社へ行ってたもれ、早よに!」と。 

 マリア様、 神様  ありがとうございました。感謝いたします。

 


どのようなタイトルになるのか・・

2015-08-29 12:37:46 | かごめかごめの真実とは

2015年8月29日(土)

  今、第三作目の本の校正中です。

・・・プロローグの一部を・・

 

卑弥呼は、AD177年8月31日 現在の兵庫県香住町庵月山生まれ

身長162㎝、血液B型、体形は普通

       248年11月17日入定 5日後の22日に死亡。享年71歳

                  イエス・キリストの命日を選んで入定した

 

・・・といったような事柄を教えられるのである。「上森はますます頭がおかしくなった」と狂人扱いされるのも覚悟で、教えられたとおりに、私は語るだけだ。

 生命の樹(カバラ)の図もますます明確に示され、日本の国造りの秘密が解けていく気配である。

 この本は、『世界文明の起源は日本だった』、『イスラエルの「元つ国日本」にユダヤ人が戻ってくる』の続編としてまとめた著書なのだが、あまりにも不思議な世界が今も続いている。

 地図上に十字架を描かされたり、描いてはその教えられた場所に行かされ、行かされてはまた地図上に図形を描かされたりの連続のなかで、山を使って鶴と亀や、龍(玄武)など次々に巨大な地上絵をグーグルマップから発見したり、線と線を引いて、生命の樹(カバラ)の図形をみつけたりした。

 これらの地上絵や図形から、太古の時代より生命の樹(カバラ)の原型が日本でスタートし、ユダヤ教やキリスト教や仏教にも生命の樹(カバラ)の思想が取り込まれていったのではないだろうかと、私は考える。

 そして神様は、旧約聖書、新約聖書の中心人物である、モーセ、イエス・キリストが日本という国の礎を築き、彼らのDNAを引き継ぐ女王卑弥呼が彼らの教えを踏襲しようとしたのだということ、世界の本当の聖地が、実は日本にあるのだということを、数々の図形をもって、おもてに示すようにと私に告げている。

 その聖地こそ邪馬台国の女王卑弥呼が住んだ都であった。

 神様は、長きにわたって繰り返されてきた邪馬台国論争にもピリオドを打って、世界の平和のために、選ばれし人のDNAをより濃く受け継いだ人たちの目覚めを待ち望んでおられる。

 ここから先は、一気に真実のジェットコースターです。

 もう今から心臓の鼓動が耳から聞こえてくる方は、ジェットコースターから降りられることをお勧めします。

 さぁ、かごめかごめと、とおりゃんせの歌のメロディーに乗せて不思議の扉が開かれま す。ギィギィギィギィ~~~~と。

                              平成27年7月17日

                                著者 上森三郎

 ・・・     

タイトル案

 A案

「謎は解けた! モーセ、イエス・キリスト、卑弥呼の造った日本」

 B案

 「魏志倭人伝の謎は解けた!新説耶馬台国」

・・・

ヒカルランドの石井社長がどのようなタイトルを付けられるのかが、非常に楽しみな私です。

 さぁ・・ 店頭で販売される月日が何時なのかも楽しみの一つです。

 そろそろ校正も峠に近づいたような今日この頃です。   

           ・・・  ああ本当に今から本の出来上がりが楽しみですぅ。


事の重大さを受け入れることができますでしょうか

2015-08-28 17:55:25 | かごめかごめの真実とは

2015年8月28日(金)

人類の聖地、神河町の遺跡を守り祀らなければばらない

 

 上森が発見したイエス・キリストの墓は、きちんとした手順を踏んだ末に、やがてはしっかり調査され、上森が神様から教えられたと主張してきたことが真実であると証明される日が来るのだろう。上森はイエス・キリストの墓の特定の意義を次のように述べている。

 「十字架に架けられたはずのイエス・キリストは、実は我が国に来て、理想国家建設の初代大王になり近代日本の礎を築かれました。そして、紀元後99年11月17日に亡くなり、現在の兵庫県神河町の陵墓に手厚く埋葬されました。享年102歳でした。後には、多くの人が気軽にお参りに来れるように、低い山の中腹に、公的なイエス・キリストのお墓も造られました。

 初代大王イエス・キリストのもとで、倭国は統一され、平和と共存繁栄を謳歌しました。が、統一の要だったキリストが亡くなると倭国大乱の時代となりました。南北に分かれた勢力の和解に向け、女王として共立されたのが、イエス様の直系の女王卑弥呼でした。卑弥呼はいまの西暦でいえば199年、22歳のときに女王の座に就きました。

 でもいろいろあって、卑弥呼は、国譲りを強いられることになり、248年11月17日、イエス様の命日を選んで、自ら、神河町の墳墓に入定されました。

 そうした古代の秘史の舞台となった現在の生野、神河町は、世界の聖地なのです。

 そしてその地には、日本の神道の神の祀り方の原型が、巨大なスケールで残されています。

 イエス様の陵墓と並ぶハートが教える鶴と亀の地上絵はじめ、メノラーの地上絵や、ひょうたんの地上絵や、神様にお供えする水が満々と溜められている壺、そして、いくつもの美しい形の山々に、日本神道の原型がきちんと刻まれているのです。

 瀬戸内海に浮かぶ上島(神島)から兵庫県姫路市にある小富士山と仁寿山の間を通って、北へ行って、いつも満々と新鮮な水を湛える亀ヶ壺を通って、そしてメノラーの地上絵を通って行った先に、イエス様のお墓はあります。

 それは、イエス・キリストの十字架として、地図上で示されていました。その十字架の交点にイエス様の陵墓は造られていたのです。

 鳥居(小富士山と仁寿山)をくぐって、手水舎(亀ヶ壺)を経て参道を進んでいくと、榊(メノラー)のある拝殿があり、その奥に本殿(イエス様のお墓)があるという構造です。

 自然の造形を利用した大神殿が、現に、埴岡の里に造られているのです!!

 地上絵のなかには、イエス様のご先祖さまでもあるモーセの子どもたちが、日本にやってきたときに造ったものもあれば、モーセの時代、それよりずっと昔の時代のものもあるようです。

 つまり、イエス様のお墓は、モーセやそれ以前の日本の歴史を知る人たち、地上絵の存在を知る人たちの手により、計画的に位置決めされ、造営されたものだったのです。

 私が発見した地上絵は、私がその存在を公表した後に、グーグルマップでは見えないように手を加えられたりして、世の人々にはその存在が分からないようにされています。

 イエス・キリストの墓も同じように壊されることがあるかもしれません。

 心ある人たちの目、世界中の人々の、より多くの方々の目で監視されることが必要です。

 特に、大事な大事な世界の聖地ですから、とくに地元神河町の皆様は、人類の世界遺産の監視をしっかりお願いしたいと、切に願う次第です。みんなで世界の聖地を守りましょう!!」

 

 

 

 


今、校正中です

2015-08-26 20:12:18 | かごめかごめの真実とは

2015年8月26日(水)

25日(火)にスタップサロン鍼灸院に西村百代さんが来られました。

今、元Jリーガーの内藤さんのテラファイトセラピーと、田中先生の治療を受けに来られました。

終わってから、「こんにちは~」と言って明るい笑顔で丸テーブルのところに座られます。

座られた方は、私の後ろに掲げられた、千山のモーセ様とご対面されるように自然となっています。

そして百代さんが、

「先日、頭が割れそうに痛くなって・・、でもこれは私にムーちゃん(神様)が、今度上森さんが出版される本の中の場所に宿る御霊を、10次元に上げてほしいと言ってることが分かったので、私がその方々を全て上げました」

と、笑顔で語られましたので、私は、「当然、私が行った場所には沢山の御霊が居たと思いますから・・」と言って、「ありがとうございました」とお礼を言いました。

私が行かされている所は、全て王家の人達のお墓ですから、お役目ご苦労様でしたと多くの御霊の方々が、10次元に帰って行かれたとのことですので、本当に百代さんに感謝いたします。

百代さんは、間違いなく目に見えない世界からのメーセンジャーだといつも思っています。

「交野山に上森さんに来ていただいて天と地を繋ぐ儀式をするようにとムーちゃんが言って居られますが・・」と言われてその山へと行ったりもしました。

そのあたりの事も今度の本に書いていますが、 本当に今度の本は素晴らしい本です。

目に見えない世界とのやり取りが垣間見れることでしょう。

今日も校正を皆でワイワイガヤガヤとやっていましたが、本当に今から出来上がりが楽しみな私です。

・・・

 真実のジェットコースターの乗り心地はいかがでしたでしょうか。

お楽しみいただけましたか。

もし・・、乗り物酔いの違和感が残っているといわれる方がおられましたら、一度従来の固定観念を白紙の状態にされて、もう一度チャレンジされることをお勧めする。

私たちは、どこかで思い込みを受け、その勝手な思い込みによって物事や人を判断してしまう習性があり、そのことで人生において最後の最後までには気づかなければならない真実を見逃してしまう。

権威ある著名な方ほどそうなりがちなのだろうし、そうした方を信奉される方々もまた、そうなのだろう。

しかし、この真実を知った今日、何か心に変化を感じてくださった方には、本当の人生が始まることだろう。

最後に・・、ここに我が国の礎を造られた三人の陵墓の位置を書き記しておきます。

いつの日か、世界の平和の為にこの方々のお墓であることが立証されることを切望します。

 

モーセの墓

住所:京都府京丹後市丹後町宮(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)

35度43分46.59秒 135度7分3.43秒

35.729609,135.117620  ズーム:17

UTMポイント:53SNV10645397   標高:215.5m(5m(レーザ))

 

 モーセのお墓から見える依遅ヶ尾山は、王さまのお墓の位置を教える山ということのようです。

 

イエス・キリストの墓

住所:兵庫県神崎郡神河町南小田(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)

35度6分43.43秒 134度42分44.46秒

35.112063,134.712349  ズーム:17

UTMポイント:53SMU73798551  標高:833m(10m)

  イエス様の陵墓の隣にはハートの丘まで造形されていました

卑弥呼の墓

住所:兵庫県神崎郡神河町大山(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)

35度6分33.69秒 134度46分1.25秒

35.109360,134.767013  ズーム:17

UTMポイント:53SMU78778520   標高:777m(10m)

  

  女王卑弥呼の陵墓は雄大です!

私に語りかけてくる神様は、まだまだ私を使ってくださる気配である。

常に神様の手足となって十分働ける私であることを、毎日心底から祈っている。

ここまで私を支えて下さってきた方々に深く感謝いたします。

 平成27年7月17日

        著者

 

   今、急ピッチで校正中であります!

  

  

 モーセとイエス・キリストのお墓がどうのような経過で発見されたか、

そしてその2人のDNAを受け継いだが故の人生を歩み、そして自らの陵墓を聖地の山頂に築き入定した卑弥呼の最後のシーンなど、

だ~~れも知る由のないことを 「皆に伝えなさい!」と言うことで書き記しました。  

  この本は 神様からのメッセージです。  ご期待ください。

 

 

 


マリア様のお墓発見!

2015-08-24 22:09:48 | かごめかごめの真実とは

2015年8月25(火)

24(月)夜のことです。

「どうして私達の所には来ていただけぬのじゃ!」

 え! それはマリア様の声ではないですか!?

それって・・、そこは マリア様のお墓では・・と私。

・・

「三郎殿にはいつ来ていただけるのじゃ」

「それがぁ・・、三郎殿は大変忙しいお方の様子にて・・」

「なんとな! あちらの山、あの方様の陵墓へと次々と遠くまでも行って居られるでわないかえ」

「はい、次の本にイエス様のお墓の事や、テラファイト卑弥呼とやらの製品作りに神戸を離れられないご様子にて・・」

「何、なんとな! イエスに卑弥呼とな!? 何、私の血を受け継ぐ娘子の名前を製品にお付けになられたとな」

「そのようにございまする。それが次々と注文が殺到しているよしに、作っても作っても在庫がありませぬと・・」

「何、三郎殿が娘子の何とかやらを自ら作って居られるのかえ」

「そのご様子にて・・」

「三郎殿はその何とかやらを山奥まで行って、川のせせらぎに浸したり、大木の根元や岩にあてたりしておじゃるとのことじゃが何してなさる」

「それが聞きますところ、水や木や石に宿る精霊とやらが元気になるとの噂でござります。 龍神も何十柱とお助けになられたと神々の評判であります」

「何! 龍神をとな」

「はい、恐ろしき力のある不思議な品を御作りになられたと巷でも評判のようでありまする」

「・・でも三郎殿は自分の山へもまだ行けてないご様子にて、こちらの都合だけ言っても・・のう、皆のものもう少し待ちましょうぞぇ」

「はい、きっと気にかけていただいているご様子にて、武部さんとご同行されるかと・・」

「何! タケベとな!! 建部の方であらっしゃるお方と一緒にとな・・」

「はい、さように御座いまする・・」

 

 

 


はよ、早ように・・!

2015-08-24 19:50:31 | かごめかごめの真実とは

2015年8月24日(月)

ブログを見られて「気になる」と言って武部さんが事務所にやって来られました。

それで一緒にウォッちずを一緒に見ていましたが・・・。

この地域は、初代大王の御一族の方々のお墓が沢山あるように見えてしまう私です。

この数年間というもの、我が国の礎を築かれた王家の方々の陵墓を教えられて、

行ったこともない、人々も一切行かない場所に行かされて、素晴らしい御霊様にと面会に行かされています。

・・ ところで、神様達はやきもちやきと皆さんは思われますでしょうか???

意外にもと言いますか、当然と言いましょうか・・やきもちやきのようですよ。

「私は聞いていますよ。 向こうのお方のところへ行かれたということですが、こちらにはいつ来ていただけるのでしょうか」

「私の所には来ていただきましてのぅ・・」 

「えっ! そうなんですかぁ!!」

「どうして私達のところには来ていただけないのでしょうか・・」

「たれか、たれか居らぬか! ・・どうして私達のところにあのお方は来てもらえぬのか。そちたち、あのお方をお呼びしてまいれ!!」

「あのお方は、遠い遠い対馬の山奥まで行かれたという便りではないか」

「いえいえ、もっと遠く、中国の千山には数回も行かれてるご様子にて・・」

「なに! 徳島の山奥までも行かれたとな。どうして私達の所へは来ていただけぬのじゃ! そちたち、直ちにお方の宮に行ってお願いしてまいれ」

・・・  神様達は非常にやきもちやきのようですぅ・・・。  

どうして来てくれぬ! ・・ と言われましても・・・。

 


乢(たわ)

2015-08-23 15:51:48 | かごめかごめの真実とは

2015年8月23日(日)

 昨日22日のセミナーが終わって、「T田です!岡山の・・」と笑顔が素敵な女性の方。

それと・・、「私、岡山が気になって仕方がないんです」と又、別の女性の方。

そのように岡山が何か封印されているようで・・と、言われたからでしょうか、

私の朝一番の目覚め時、「岡山を調べてください!」と強く言われた気がして、気になって・・調べてみました。

岡山にはモーセの十字架の交点に、石引乢という地名がありまして、その周りには「建部」という地名もあり、

昨日のセミナーでも、「ここ、武部さんが行かなければならないところではないですか」と、

モーセの直系の武部さんに話しながらも、依然からそうでしたが、

(たわ)」という文字と音が気になっていました。

それで、乢が付く地名を国土地理院地図で調べてみると・・・、なんとぉ! ほぼ岡山県に集中しています。

なんなんですかねぇ、これは!? この 乢が意味するものは一体何なんですかねぇ。

モーセの十字架との関連と、イエス様が102歳で亡くなった場所が岡山県備前市だと神様は私に教えてくれたんですね。

そしてイエス様は2日かかって、現在の神河町の南小田の陵墓に埋葬されたということですが、

モーセの十字架とイエス様が活動の拠点にされていたと思われる岡山と、

初代大王イエス・キリストの死後、倭国大乱が7, 80年ほど続いた歴史を紐解く鍵が、

蓋をするという意味もあり、その乢の一文字に大いに答えがあるように思えます

そして・・、十字架の縦のラインに絡みつくように旭川が流れ、その川が瀬戸内海へと出た河口を見て、またまた意味あるシンクロ。

そこに書かれている文字は、 児島湾 。 

岡山が気になって気になって・・と言われたご婦人の名前が 児島さんでしたから、ビックリ! している私です。

見には見えないご先祖様、神様達ですが、確かに実在されていると強く感じる私です。

お二人の素敵な女性方も、メッセンジャーでしたね。

・・ところで、馬鹿・・たわけ の語源が、 モーセ イエス様に起因する気がしてならない私です。

自分のことは他において、他人様のことだけを考えて分け与える、モーセ イエスの御心が理解できない欲どおしい浅はかな人間どもがその様を見て、馬鹿だ!たわけ者が・・、と言ったのではと。

馬鹿、たわけ・・の、本当の本当の意味は、我欲を捨て他人の為に尽くす人を指す言葉ではないかと私は思っています。

そうそう、神様であるモーセの使いは鹿なんですね。 モーセのことをで表現もしましたね。

 

 

 

スタップサロン鍼灸院千山の仙人、モーセ様をしかるべき場所にお祀りした翌日から私の環境が一変しました。

元Jリーガーの内藤さんの非常に質の高いテラファイトセラピーが大評判で予約が殺到しています。

「よろしいぞよ!」ということで、瓢箪が付いた蛇の杖をモーセ様はお振りになられたご様子ですぅ。

 


感謝申し上げます

2015-08-22 21:08:15 | かごめかごめの真実とは

2015年8月22日(土)

 今日、私のセミナーがありました。

岐阜、三重、岡山、奈良、京都、大阪などと、遠方より多くの方々に来ていただきました。

そして・・、なんと、神河町からも来ていただきました。 

皆さんは真剣に私の話に耳を傾けてくれていました。

本当に嬉しく思いました。

 みなさん、今日の楽しい一時をありがとうございました。  感謝しています。

・・・

 次回からは、完全に事前予約が必要と思われます。

予約なしでは入室できないことがあるやもしれませんから、お早めに事前予約をお願いいたします。 

本当に今日は、遠方よりありがとうございました。

 


次の本のゲラが届きました

2015-08-20 14:45:23 | かごめかごめの真実とは

2015年8月20日(木)

「ウエモリさんですかぁ!荷物が届いていますが、ここで受け取ってもらえますかぁ」とエレベーターの扉が開いたとたんに宅配便のお姉さん。

見ると・・、次の本のゲラ刷りが入った封書でした。

モーセ イエス・キリスト 卑弥呼 ・・と、この我が国の礎を造られた方々のことが明らかにされますよぉ。

三人さん方の本当のお墓もキッチリとありますよ、この日本に。

さぁ何月に本屋さんに並ぶのか、今から楽しみな私です。  全て私の体験、実話です。

どのようにして モーセやイエス・キリストの本当の墓を教えられたのか。

卑弥呼さんの「その日、その時がやってきた」最後のシーンなど、どこの誰も知らないことばかりです。

神様が私に教えてくれたことを、忠実にそのまま素直に文章にしましたが、

世間様からすれば、トンデモだ!! と言うことでしょうが、私は何と言われようと言われるままに書きました。

そして・・

補遺1 魏志倭人伝について ・・ 邪馬台国新論を

補遺2 銅鐸は測量の道具だった  と、分かりやすく纏めてみました。

それにしても・・不思議な不思議な物語です。 世にも奇妙な物語です。 本当に今から出版が楽しみな私です。

  

  

              モーセ            イエス・キリスト            卑弥呼

 


5人の御方は誰?

2015-08-19 10:23:55 | かごめかごめの真実とは

 毎月第四土曜日に行われる私のセミナーが22日(土)に迫っていますが、

事前に連絡していただけましたら、助かります。 よろしくお願いいたします。

 

2015年8月19日(水)

上一宮大粟神社の境内にあった石碑ですが、この碑は以前、何度か徳島で見たことがありました。

石碑は五角柱になっていますが、この五つの面に刻まれた方々は、日本の礎を築かれた方々です。

さぁ~5人のお名前が彫られていますが・・、 御一人は女性のようですよ。 

さぁ~ 誰でしょう!?  皆さんはお分かりでしょうか。

    

  

  


上一宮大粟神社

2015-08-18 17:30:20 | かごめかごめの真実とは

2015年8月18日(火)

8月16日は、民宿明日香さんを出発して星の岩屋へ行く前に、上一宮大粟神社へと朝一番にお参りに。

神社の彫り物には、大きな大きな意味があります。 

先人達は私たちに無言のうちに多くのことを教えています。

さぁ、みなさんには、ご先祖様達からのメッセージが聞こえますでしょうか。

    

    

    

    

    

   

上一宮大粟神社と日御碕と朝熊ヶ岳とが30°の二等辺三角形です。 見事です!

 そして八幡山ピラミッドとの関係も見事です。

 

武部さんも上一宮大粟神社について詳しくブログに纏めていますので、ぜひともみてください

 

 


空海様の生誕地へ

2015-08-17 15:38:25 | かごめかごめの真実とは

2015年8月17日(月)

  5年前の8月16日は、千ヶ峰の霊能者の家へと連れていかれましたが、

昨日16日は、空海様がお生まれになったと言われる、徳島の星谷へと行きました。

(その前日15日のことは、モーセの直系の武部さんが詳しく書いていますので読んでください

前日の夜からお世話になった民宿明日香さんの玄関前にも空海様の像があって、何やら不思議な因縁を感じた私でしたが、

16日朝から空海さまに見送られて、地元の一の宮へと御参りしてから、星谷へと車を走らせました。

そこで教えられたものとは・・。

  

現地までは細い山道で、ヒヤヒヤドキドキの道のりでした。・・・が・・!!

     

 

空海様のお像の後ろに不動明王が岩に刻まれていますが、どうみてもその姿は空海様にしか私には見えません。 

空海様自作に思えて仕方ありません。

   

いつもそうですが・・、武部さんは見つけましたねぇ。

「凄いものがあります! 来てください、上へ」と後をついて行ったところには・・!!

  

私には見えました!

この情景そのものが梵字のマ(マウ)を表現していて、マは吾我を意味し大黒天を表すことから、

 我、大黒天なり! と空海様は言っておられますね。

そして・・、空海様の名前は、「マオ」と実母が付けられたそうですから、子供のシェを発音すれば、

マオシェ・・となって、モーシェ   ・・で、 「我、モーセなり、我、イエス・キリストなり」と。

実のお母さんは、偉大な人物の名前を空海様に授けられたと・・いえいえ、空海様がその名前を選んでこの世に出現されたということでしょう。

 

 

それを今に語るように・・・

     

 空海様はこのような情景が見えるところでお生まれになり、1歳7ヶ月ほどで善通寺の佐伯家へと養子に出されたと私に告げられます。

・・・

空海様について神様は私に次のようなことを教えてくれます。

 774年7月16日 徳島県勝浦町の星の岩屋で生まれた。

そして1歳7ヶ月の頃、香川県の善通寺の佐伯家へと養子に行った。

実母が「マオ」とカタカナで名を付け、佐伯家が「真魚」と名付けた。

父母は、秦氏の血統である。

現在の暦で、835年4月22日(旧暦3月21日) 入定。

入定して15日目にそこを抜け出し、36日もの間、生野、神河へと行って帰って再び元の座に座り、

心臓が止ったのは 835年7月31日でした。 享年61歳

身長163cm。 血液型はO型である・・と。

まだまだ・・教えられていますが、これ以上はここでは書けません。 ご了承を・・。


神河町へ行かれることがありましたら

2015-08-14 17:26:37 | 邪馬壹国

2015年8月14日(金)

この我が国の礎を築かれた大国主命=イエス・キリストの墓が、神河町の山頂にあります。

国土地理院の位置情報です。

住所:兵庫県神崎郡神河町南小田(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)

35度6分43.43秒 134度42分44.46秒

35.112063,134.712349  ズーム:17

UTMポイント:53SMU73798551

標高:833m(10m)

地理院の3Dで見ても、山頂の険しい場所に陵墓が造営されていることが分かります。

  

http://cyberjapandata.gsi.go.jp/3d/site/index.html?did=std&lat=35.11119388441044&lon=134.7131109237671&z=14&cpx=10.334&cpy=-15.385&cpz=34.702&cux=-0.370&cuy=0.037&cuz=0.928&ctx=0.000&cty=0.000&ctz=0.000&a=1

 

 中央の山の左がイエス・キリストの墓です

 

 

 

イエス様同様、その方の直系である卑弥呼さまにも手を合わせていただきましたら嬉しく思います。

女王卑弥呼の陵墓です

卑弥呼さまの位置情報は、

 

卑弥呼の墓

 

住所:兵庫県神崎郡神河町大山(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)

35度6分33.69秒 134度46分1.25秒

35.109360,134.767013  ズーム:17

UTMポイント:53SMU78778520

標高:777m(10m)

 

 

 


銅鐸は測量器械で、紐は下げ振り(舌)用の紐です。

2015-08-13 15:12:20 | 邪馬壹国

銅鐸は測量器械で、巴型銅器と有鉤銅釧 は銅鐸の吊り金具でした 

銅鐸にひも初確認

 2015年8月12日の神戸新聞NEXTに銅鐸のひもの記事がありますねぇ
 
  • 舌の上端。茶色く残っているのがひも(奈良文化財研究所提供)
    舌の上端。茶色く残っているのがひも(奈良文化財研究所提供)
  • 小さい銅鐸の舌。上端の穴にひもが残っていた。下端に付着しているのは植物(兵庫県南あわじ市教委提供)
    小さい銅鐸の舌。上端の穴にひもが残っていた。下端に付着しているのは植物(兵庫県南あわじ市教委提供)

 木に銅鐸つるして鳴らす

 兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった弥生時代中期(紀元前3~同2世紀)の「松帆銅鐸(まつほどうたく)」について、県教育委員会などは12日、音を鳴らすため内側につるした青銅製の棒「舌(ぜつ)」と、銅鐸のつり手部分の「鈕(ちゅう)」にひもの一部が残っていたと発表した。銅鐸でひもが確認されるのは初めて。専門家は「銅鐸を木などにつるして鳴らしたことが裏付けられた」としている。

 県教委などによると、発見された銅鐸7個のうち、大きい銅鐸に小さい銅鐸を納めた入れ子状態の1組2個を分離して調べたところ、大小それぞれの銅鐸で、ひもが舌の穴に通された状態で確認された。

 ひもは、植物繊維をねじったり、組み合わせたりしており、太さ4~5ミリ。銅鐸内面の下方の隆起した「突帯(とったい)」に、ひもでつり下げた舌をあてて鳴らしたとみられる。

 大小いずれの銅鐸の鈕にも太さ2ミリ程度のひもや痕跡があり、つり手にひもを巻いてつり下げたらしい。

 ひもの原料は麻か、イラクサ科の多年草「からむし」の可能性があり、銅鐸から溶け出した銅イオンの防腐効果で残ったとみられる。舌の下端や銅鐸内部にはイネ科などと推定される草の葉らしい植物も付着。県教委などは放射性炭素年代測定などで分析し、銅鐸の使用や埋納の時期を調べる。

 調査した奈良文化財研究所(奈良市)の難波洋三・埋蔵文化財センター長は「ひもが残っていたのは奇跡的。銅鐸の具体的な使い方を示す発見だ。銅鐸が埋められた時期を知る手がかりになるだろう」と話した。

 13~16日に南あわじ市滝川記念美術館でひもの写真などが展示される。問い合わせは同館(0799・36・2314)。

・・・

 2000年前に埋められたとして、紐が完全に微生物に分解されずに残っていたことは、舌を鳴らすわずかの長さよりもっと長い紐ということが言えます。

ますます銅鐸は測量器械だったことを証明する発見ですね。

 

銅鐸は測量の道具だった

 

巴型銅器も水平微調整の器具でした!

上森が教えられ、解明してきたことの多くは、今の時点では、日本の常識とは異なる異説で、首を傾げる人も多いかもしれない。しかし、銅鐸は測量の道具だった、とする上森の意見は、一級建築士として自分の事務所を構えていた上森ならではの観察眼と知識に基づくものだけに、万人に受け入れられる説得力がある。

 

 銅鐸は、紀元前2世紀から、紀元2世紀に至る弥生時代の約400年間、日本列島で使われていたが、その後姿を消した、謎の青銅器である。

その用途も不明で、研究者の多くは祭祀に使われたのだろうとみてきた。内部に木や青銅でできた「舌(ぜつ)」と呼ばれる部品を垂らし、銅鐸そのものを揺らすか、舌のみを揺らして内面にあてて音を出したというのだ。

つまり、風鈴の元祖で、その後、巨大化して、鳴らすものではなく、飾り物になった、というのだ。

 

これまでに発掘された銅鐸の形は、いずれも似たような形をしている。上の図は、代表的な形である。

では、ほとんどの銅鐸に共通する要素は何だろうか?

 銅鐸は構造上は本体の「鐸身(たくしん)」と上部の「鈕(ちゅう)」に分けられ、鈕の真ん中には穴があいており、鐸身は末広がりになっているのだ。

 デザイン的には、直線で末広がりになっているものと、流線で下の方ほど広がりが大きいものがある。

そして、鈕と鐸身をぐるっと囲むように鰭(ひれ)がついている。最も初期のものには鰭がないものもある。

後期のものほどサイズは大きく、鰭に「飾り耳」と呼ばれる突起が付いているものもある。

 鐸身に文様のないものもあれば、「流水文」、「袈裟襷(けさだすき)文」や、人物や動物などの線画の描かれたものなど、装飾デザインは、様々だ。

 銅鐸の構造で、上森が気に留めたのは、鐸身に穴があけられていることだった。研究者には、「型持穴(かたもちあな)」と呼ばれている。「舞(まい)」と呼ばれる鐸身上面の平らな部分、鈕の穴を挟むようにふたつ、鐸身の上部の鰭に近い部分に表裏に各ふたつ、鐸身下部には、「穴」というより「刻み」のような形で、表裏各ふたつと、合計10コの穴があいている。

 「型持穴」という名称がつけられたのは、それらの穴が製造過程の副産物だと考えられたからだ。鋳造するときに、内型と外型の間に青銅を流し込むための隙間が必要となり、隙間の厚さ(=鐸身の厚さ)に相当する高さの「出っ張り」を内型に作っておいたものが、穴として残った、と推測されたのだ。

ちなみに銅鐸の鐸身の厚みは2~3ミリで、現代の鋳造技術でもこの薄さできれいに鋳造するのは困難だそうだ。だとすると、銅鐸そのものが「オーパーツ」(作られた当時の技術がその後失われてしまった工芸品)と言ってもよいかもしれない。

 もしこれらの穴が「型持穴」なら、穴の数や位置が決まっている必要はあっただろうか?そもそも、優れた鋳造技術とデザイン感覚を持った古代の銅鐸の製作者たちが、不要な穴を残したとは、考えにくいのではないか?

この穴に着目した上森は、銅鐸は実は古代の測量機器だったのではないか、と考えるに至った。鐸身の上部に開けられた穴には目的があり、双眼鏡のように、両目で「覗くための穴だ」というのだ。

2013年8月28日に、上森は出雲の歴史博物館に展示されていた銅鐸を使って、それを確認している。

「銅鐸の細いほうから両眼で穴を見て、反対側の穴を見通すとどうでしょう・・・! 暗い中に焦点が1点に綺麗に映し出されたのです」

 

 

 つまり、遠くの観測点に向かって、正確に銅鐸の向きを決められる、というのだ。遠くの観測点には、銅剣を立てておいたのであろう。この説ならば、穴の位置も合理的に説明がつく。

 さて、これまでの定説では、銅鐸の上面の「舞」にある2つの穴も、「型持穴」だが、それらは内側から鐸身をたたく「舌(ぜつ)」という部品を吊り下げるための鎖かひもを通す穴も兼ねていた、とされている。

 

 

しかし、銅鐸を測量機器として見直すと、異なる説明も可能になる。

現在の測量でも、基準となる地点の地面には、石や金属で目印を設置する。三脚を立てて、三脚の上の「レベル」という測量器具がその基準点の真上になるように、「下げぶり」という分銅を垂らして、位置決めをする。

上森によれば、銅鐸はその「レベル」にあたる器具であり、やはり、その中心から分銅を垂らして、基準点の真上に設置する。舞にある穴はそのために使われたのだ。

 

 さらに、上森は、鐸身下部の「刻み」や「飾り耳」の用途も解明した。

   

上図のように、細いひもを鈕の最上部の「飾り耳」に架け、次に鐸身横の「飾り耳」、さらに、下部の「刻み」に架けてから交差させる。同じ幅でそのひもを固定する装置を地面近くに作っておけば、交差したひもが触れ合うことで銅鐸はしっかりと固定されて安定し、きちっと観測点の方向を示す。

また、地面に置いた器具も同じ方向を示すことになる。

 

おそらく、「飾り耳」を考えつく前には、鈕の穴と下部の「刻み」だけで、同じことをしていたのではないだろうか。やがて、ひもが固定しやすく、ひもの長さも調整しやすいようにと、現場の声を生かして、デザインが改良されて、「飾り耳」がついたのだろう。飾り耳は「飾り」ではなく、フックだったのだ。

 

上森は、銅鐸と一緒にしばしば出土する銅鏡も、測量現場で分度器や水平器として利用されていた、と考えている。また、銅鏡は光通信の道具でもあったのかもしれない。

 

上の写真は、銅鐸と同時代に作られていた青銅製品で、一般には有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)と呼ばれている。

釧(くしろ)というのは、腕輪のことだ。

沖縄など南の海で採れるゴホウラという貝で作った腕輪を青銅で模倣するうちに、このような鉤(かぎ)のついた輪の形になってしまったと言われている。

誰がどう考えても、腕輪としては形状が異常なだけでなく、危険でさえあるこの有鉤銅釧は、上森によれば

銅鐸を使った測量現場では大活躍の道具になる。

上森はこの有鉤銅釧を「銅鐸吊り金具」だったと見ているのだ。

 前述のように、「舞」にあいている穴は、舌(=下げぶり)を吊り下げるための鎖かひもを通すために使えるが、神戸市渦ヶ森で発掘された銅鐸などのように、舞の裏側の中央に環がつけられているものでは、この穴を使う必要がない。

 そこでこの「吊り金具」の出番となる。

 適当な長さの1本のひもを、2つの「吊り金具」の輪の部分に通してつなげて、ひもを結んで輪にしておく。それを組んだ木に架けて、「吊り金具」が下にぶら下がるようにする。そこに銅鐸を持ってきて、鉤の部分を舞にあいた2つの穴に両側から引っ掛けるのだ。

 この組み合わせで、銅鐸の取り外しが楽になり、ひもを架けて調節する際にも、ひもが絡まったりせず、より使いやすくなる。

        

 

上森は言う。銅鐸は「倭国大乱」以前に使われていた測量機器で、最も進化した形で使われたのは、イエス・キリスト=大国主命が大王として国造りをしていた時代であり、キリストの死後、戦乱の中では測量さえもできなくなったので、地中に埋められるなどして廃棄されたのだと。