2024年3月28日(木)
最澄の墓が存在していることをフェニックスコードは教えます。
そのことを能登内親王の墓が教えてくるのです。
2024年3月28日(木)
最澄の墓が存在していることをフェニックスコードは教えます。
そのことを能登内親王の墓が教えてくるのです。
2024年3月9日(土)
五島列島で空海は「荒神岳」 最澄は「山王山」を大事な山とした。
空海は、荒神岳(五島)と交野山と「月山」とで二等辺三角形を描かせた。
最澄は、山王山(五島)と秦始皇帝の地下神殿と「月山」とで二等辺三角形を描いた。二人が岩手の「月山」に思いを馳せていることが私には伝わってくるが、この一連の流れは、能登内親王の墓へと上がって、フラフラ状態でスタート地点にやっとの思いで帰り着いて見せられたときの印象的な「月」からでした。
2024年3月7日(木)
小さいけど美しい愛宕山から月山(岩手県)までと、能登内親王の墓までは共に385㎞と同距離で二等辺三角形を描いています。
愛宕山の標高は、1174m・・「言いなよ」と迫られてくるものがありますが・・。
2024年2月29日(木)
私は今月24日(土)に能登内親王の墓に上がった。それは能登内親王の墓と、能登の地震が大いに関係していると思ったからである。
そして能登内親王の墓からフェニックスコードを駆使すると、月山、熊野皇大神社。
熊野皇大神社から月山までと能登内親王の墓までは同距離で二等辺三角形を描く。
熊野皇大神社で手を合わす先に珠洲市にある324mの山があって、光明皇后の地下神殿の三点で、基本形の2:1:√3を描いている。
これは、今年一月の幕開けの能登大地震の緊急メッセージに符合している。
2024年2月28日(水)
24日(土)に能登内親王の墓に上って、へとへとになってスタート地点の道路に辿り着いた時、私には大きく輝き微笑んでいたような月が大変印象的だった。
翌日家に帰ってから、早速お姫様の石室をコアロッドで計測した図面を基に、石室が向いている方角に何があるのかを地理院地図で探ってみた。
それで地理院地図に兵庫県のお姫様のポイントから引いたライン上を見て行くと・・岩手県北山市、目に飛び込んできたのは、月山(583m)だった。コンターラインからは私の目には遥拝の山もあって、間違いなく「古墳」と映った。 つづく
2024年2月27日(火)
24日(土)、能登内親王の墓の山頂へとお姫様をお迎えにそれぞれ思い思いのお供えをもって行かれました。
んまぁ~~っ、もう限界に近い山歩きでしたぁ。往復7時間程かかったようでした。
んん~~正直、疲れました。疲れましたねぇ、これほどにしんどい事が事前に分かっていれば、人を誘わなかったし自分も行くのを止めていたと思う程でした。
翌日、昨日はもう、足はビリビリバリバリ状態で思うように足が動かせない状態でした。次の日の日曜日は朝から雨模様で、私にとっては実に恵みの雨でした。
それで次の日は、喫茶店で内藤さんと坂下さんに山から下りて帰った直後の卑弥呼おばさんの家での怪奇現象の話などを聞いたりして、ワイワイガヤガヤでした。
そして、11時17分の電車で姫路まで帰って途中下車をして、長い昼食をしながら又またワイワイガヤガヤというボケても忘れられないような、御姫様救出の日々を過ごしました。
みなさん、よく頑張られました!感謝しています。
・・ということで、「もうしんどいことはやらない!」と、決めました。
・・と、一瞬思いましたが、別ルートを探してチャレンジしたいと思います。・・と思いだけは・・消えていません。
2024年2月26日(月)
やっと能登内親王の墓へといくことを先週の月曜日に「行きます!」と突然決めた。
決めた時の週間予報では小雨模様の天気だった。その翌日は雪又は小雨の天気だった。
それが、「行きます!」と決めたその後、神戸は土砂降りの天気に急変した。そしてそれからの神河町の週間天気予報は、急激に時間を早めたように 天気予報は少しづつ快復模様に変わりだした。
桓武天皇が、ホッとしたのではないだろうか。能登内親王が「やっと来てくれる!」と喜んだのではないだろうか。
私には、能登半島の地震は数年前から能登内親王の怒りの表れではないのだろうか・・、と思っていたところに、今年元旦の大地震でしたから、「早く行かねばまだまだもっと・・」と思っていましたから・・。
下の図形のうち、男性3人のところには行っているのですが、女性のところにはまだでしたので・・、特に能登内親王はづっとお怒りの御様子でしたから・・行ってきました。
2024年2月24日(土)
今日、能登内親王の墓に行くにあたって、御姫様がそこに眠るにあたって、生前どんな会話があったのか想像してみました。
能登内親王・・「親兄弟との関係は分かったが、それだけじゃ寂しいぞよ」
桓武天皇・・「近くに空海の母さまも妹も居てますし、卑弥呼様との繋がりもありますし・・」
能登内親王・・「この世を後にするのにもっと楽しくなるものはないのかえ、弟よ」
桓武天皇・・「このように姉さまが言っているが、空海聞かしてやってくれ」
空海 ・・「内親王さまは、この世とあの世とを行きかう平家のアゲハ蝶であります」
能登内親王・・「どういうことじゃえ、空海」
空海 ・・「はい、右の羽には古代天皇様たちをお祀りする皇大神宮と女王卑弥呼と弟の孝元天皇様の詣り墓である五色塚古墳、左の羽には姥様と・・ ・・」
能登内親王・・「どうした空海」
空海 ・・「はい、・・私の娘が眠る島とで、アゲハチョウになってこの世とあの世を行き来していただきたいと思っています」
能登内親王・・「そうであったかぁ・・、それでは寂しくはないのう。みなで🦋になって行ったり来たりできるのじゃな・・それは良いのう、のぅ空海」
・・
横笛吹く人と空海さま・・「今日、お姫様のところへ参りまする、沢山の方々とともに・・」
お姫様 ・・「ああぁ^^ だれかぁだれかぁ~聞いたかぇ~^^」
・・と、山の上は混乱まで行かなくとも・・ガヤガヤ、ソワソワ・・と、日も差して・・。
お姫様は用意された男衆の誰の車に乗って山を下りられるのでしょうかねぇ・・。
2022年12月22日(木)
能登半島で地震の頻発エリア拡大、地下の「水」が要因か…政府調査委「注視したい」
二つの地域に起きる不思議な地震は私には不気味である。
能登半島からは・・、桓武天皇の姉である能登内親王の墓が計画された場所に十字架を意識して造営してあることを、必死で私達に知ってほしいと懇願にも聞こえて私には仕方ない。
三郎ヶ岳がある亀岡一帯には、文武天皇の墓や京都市右京区に桓武天皇の子である嵯峨天皇の墓や、そのすぐ北にある南丹市に天智天皇や藤原不比等の墓があることを知ってほしいとの懇願にも聞こえてならない。
1300年前後から計画されたのか、もっと以前からなのか、日本の礎となった藤原家の御霊や、そのまたルーツであるイエス・キリストの御霊らが振り向いてほしいと叫んでいるようである。
京都アニメーションの悲劇も、安倍元首相銃撃事件も私には、日本の礎となった御霊らが私たち現代人への悲痛な懇願にも似た叫びに聞こえてならない。
特にそれは、桓武天皇の御霊の叫びである。
2021年2月8日(月)
6日(土)能登内親王の墓の山を眺めてから、峰山高原へと車を走らせた。
(高原に建つホテルリラクシアの中庭を私はモーセの丘と呼ぶことにします。ちなみに、峰 峯 ・・ミネやミウネは、へブル語でお墓の意味ということですから、お墓の山がある高原ということを教えています)
行く道中、思い出の夢の世界の風景が私を楽しませてくれた。
そして・・高原へ。
人工スキー場には、多くの家族連れが詰めかけていた。
私は焦る気持ちで、ホテルリラクシアのドアーを開けた。
・・コーヒーでも飲みながらゆっくり市川さんと楽しく会話を楽しもうとも思っていたが、でもラウンジは閉まっていた。
それで市川慎さんらをホールにのこして、私だけ正面のドアーを開いて中庭に直行した。
ワクワク ドキドキする瞬間がもう目の前です。否、もうドキドキ状態でした。
白いグランピングのテントを横目に、こんもり大きく盛り上がった丘へと進み、途中で地中探査器をリュックから取り出して組み立てた。
いよいよ待ちに待った瞬間です。
どこで反応するのか、何歩あるいたところでロッドが反応するのか全く反応しないのか、もうワクワク、ドキドキでした。
すると・・、数歩歩いたところでロッドが反応しました。
確かめる為に一二歩後ずさりしてから、こころを落ち着かせて足を前に出すとやはり反応した場所でロッドは反応しました。
その場所に印を残して、前進していきました。
ロッドは開いたままなかなか閉じません。今まで計測したことのない長さで、でも丘の頂点に植えられている樹木の前あたりでロッドが閉じました。
「長い!大きい!!」と心の中でつぶやく私でした。
そして振り返って、ロッドを両手にしっかり持ち直し、来た方向へと慎重に足を進めます。
やはり同じ地点で反応しました。そしてそこに印をしてそこから大きく足を開いて、「一歩、二歩、三歩・・」とつぶやきながら数えると凡そ27歩ありました。
おおよそ27メートルです。
このようにして今度は直角方向を調べると、17歩ほどありました。
なんと、凡そ27m×17mほどの巨大な地下神殿の反応がありました。
そして深さは、山頂天より50メートルほど下です。
書写山円教寺摩尼殿で祈る先の場所こそこのポイントでした。
予測は的中しました。
地中深い場所にどのような地底空間があるのでしょうか。
間違いなく巨大な地下神殿があります。
ワクワク ドキドキ です!! 頭は今も興奮状態です。
次、時間をかけて通路を見つけ出し、通路が切れる地点、・・つまり入口を探り当てたいと思っています。
旧正月が開けて、いよいよ本格的な丑年、つまりモーセの年の幕開けです。
綺麗な下の図形は後日説明します。
京都帝釈天が重要な鍵を握っていました。
2021年2月7日(日)
昨日6日、久々にJR特急はまかぜ3号で寺前駅に着いた。
駅には、古代史研究家の市川慎さんが車で待ってくれていた。
そして、聖地神河ひろばに停めている4WDの車に乗り換えて、私の運転で峰山高原へと向かった。
途中、車を停めてそこから遠くに優美にそそり立っている一つの山(689m)を眺めた。
その山こそ、桓武天皇と早良親王のお姉さんである能登内親王(のとのひめみこ)の墓でした。
母である高野新笠の墓から能登内親王の墓までと早良親王の墓までは、共に50㎞ほどで二等辺三角形を描く場所に造営されている。
各々のお墓の場所は、全てにおいて見事な計画的配置である。