2017年5月12日(金)
5月4日に、「モーセの遺骨を丹後半島から暁晴山の麓に分骨し墳墓を造り祀った」と教えられて、峰山高原にあるその場所を確かめに行きました。
そのポイントに立って、その夜、その近くでテントで泊まる体験を急きょすることになりました。
そして翌朝、その場所がどんなに大切な場所であるのかを見せられました。
でも、今の世、このことを話しても、耳を傾ける人々は皆無でしょう。 まして行政にとっては ???? でしょう。
スキー場建設歓迎、何とかプロジェクト・・などなど、目の前のお金が大事なのでしょう。
紀元前から1200年前まで、いかにここが大事な場所だったかを語っても仕方のないことでしょう。
でも・・、空海さまや最澄様たちが命をかけてやったことですから、必ずや何かの障りがあってもおかしくはないでしょう。
少なくとも、教えられたものの務めとして、その御霊に尽くさなければそのようにもなるのでしょう。
そのようなことが無きよう、急がねばなりません。
「夕方5時までに残りの三角形の場所に立て! 場所は帝釈天だ!!」と、言われているような響きに、神戸から京都まで行って、山陰本線の八木駅まで行ってタクシーに乗りました。
「5時には門扉が閉まってしまいそうですよ」と門扉の前で運転手さん。
「10分もある」・・と私の頭の中。
「取り合えづは上までお願いします!」と言って、三態の猿さんを見て車に乗り込み、門扉の外に出たのは、5時ジャストでした。
そして一つの鐘に108個分の思いを込めて「グワ~~ン!」と叩きました。
5月7日(日)の出来事でした。
どうして一人で急いだか。 ・・それは、帝釈天が和気清麻呂の開創だと知ったからでした。