はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

能勢街道を歩く~都会の中に残る旧街道 3~

2016-05-27 22:58:15 | 街道歩き
梅田は、今でこそ都会のど真ん中ですが、江戸時代は菜の花畑が広がる田園地帯でした。梅田という地名も元々は、低湿地だったところを埋め立てて田畑にしたのが「埋田」の地名となったというのが定説です。その後、美称されて「梅田」になったということです。


古地図を見ると、「梅田墓」というのが見えます。大阪七墓のひとつだったようです。墓地のあった場所は、梅田北ヤードのあたりだったようです。


NU茶屋町を過ぎても街道風の道は続きます。江戸時代は、このあたりも、まだ大阪の中心地ではありませんでした。


間もなく、JR東海道線のガードが表れます。ガードの下はエストです。ここで、再び能勢街道は途切れてしまいます。


しかし、安心してください。環状線のガードをくぐったら、また旧街道はつづいていました。


環状線をくぐったら、細い道を斜めに進みます。


大きな通りに出ました。(左に大東洋があります)更に斜めに進んでいきます。


やがて、旧街道は綱島天神社の前に出てきます。この神社は、太宰府に左遷された菅原道真が、ここを通った時に、座布団の代わりに漁具の綱を使ったところからきているそうです。大阪には菅原道真が立ち寄ったといわれる神社がたくさんあります。


扇町線を越えます。右手には太融寺があります。


やがて、道路の中にイチョウの木がある「竜王大神」にやってきました。能勢街道ももう少しつづくのですが、今回はここで終了とします。


能勢街道を旅する人も、旅してきた人も、ここで旅の安全を祈願したのでしょうか。

※今回は、大阪市内に残る「能勢街道」を歩きましたが、『史跡をたずねて 能勢街道の風景』(瀧健三編著)を参考にさせてもらいました。


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2 コメント

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はじめまして (juraku-5th)
2016-05-28 10:39:14
こんにちは。
はじめまして。

充実したブログですね。
ついつい、見入ってしまいました。
旅、鉄道、音楽...共通項も多いようです。

またおじゃまいたします。
Unknown (はりさん)
2016-05-28 16:03:11
juraku-5thさん
コメントありがとうございます。

いい写真と、いい音楽。
これから楽しみにさせてもらいます。

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