新淀川で途切れた能勢街道ですが、北区中津の中津リバーサイドコーポの西側から再び道がつづいています。(このあたりは、大淀区でしたが)
しばらく行くと、左手に富島神社があらわれます。歴史のありそうな神社です。(旧街道沿いには、お寺や神社が多いです)
貨物線のガードをくぐって進みます。今は、「はるか」や「くろしお」が走っています。
大淀警察署の手前の四つ角に出ました。左に行けば東洋ホテルのあった場所です。右に行けば、「中国街道」です。一般的には、ここが能勢街道の起点とされていますが、実際にはまだまだ街道はつづいています。
阪急電車が中津駅を出て、梅田駅に入る手前のガードにやって来ました。
能勢街道は阪急のガードに沿って伸びています。
左手に「梅田芸術劇場」が見えてきました。
その少し先に、いかにも街道風な曲がり角があります。
そこを入っていくと、道は右手にカーブしながら進みます。
すると、昨日紹介したNU茶屋町のところにやってきました。
靴屋さんの前には「鶴乃茶屋」の石碑がたっていました。鶴乃茶屋は明治初期の料亭の名前だったのではないかと考えられているそうです。
<もう少しつづく>
しばらく行くと、左手に富島神社があらわれます。歴史のありそうな神社です。(旧街道沿いには、お寺や神社が多いです)
貨物線のガードをくぐって進みます。今は、「はるか」や「くろしお」が走っています。
大淀警察署の手前の四つ角に出ました。左に行けば東洋ホテルのあった場所です。右に行けば、「中国街道」です。一般的には、ここが能勢街道の起点とされていますが、実際にはまだまだ街道はつづいています。
阪急電車が中津駅を出て、梅田駅に入る手前のガードにやって来ました。
能勢街道は阪急のガードに沿って伸びています。
左手に「梅田芸術劇場」が見えてきました。
その少し先に、いかにも街道風な曲がり角があります。
そこを入っていくと、道は右手にカーブしながら進みます。
すると、昨日紹介したNU茶屋町のところにやってきました。
靴屋さんの前には「鶴乃茶屋」の石碑がたっていました。鶴乃茶屋は明治初期の料亭の名前だったのではないかと考えられているそうです。
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