はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

西安の旅 14

2016-09-13 19:31:11 | 中国の旅
西安の旅も5日目を迎えました。6日目の明日は、早朝から飛行場に向かうので、西安の旅も実質最終日となります。
今日は乾陵(けんりょう)・茂陵(もりょう)に向かいます。最後まで学術的な旅になりました。


乾陵は西安から約80キロの所にあるので、今日も大型タクシーをチャーターです。


さて、乾陵には、唐の三代皇帝の高宗と、中国唯一の女帝である則天武后(中国では「武則天」)が合葬されています。この乾陵ですが陪塚もふくめて広大な敷地です。122元(約2000円)の入場券を買って、広大な敷地なので、見学用車両30元を払って出発です。
まず向かったのが陪塚です。三つの有名な陪塚を廻ったのですが、誰もが若くして亡くなった皇子や皇女のお墓です。話せば長くなるので止めておきますが、みなさん則天武后から死を賜ったようです。ここは、その一人永泰公主のお墓です。


地下に向かって長い墓道がつづきます。両側の壁には壁画が描かれていたようですが、本物はひっぺがされてセンセイ博物館に収められています。


花があると、つい反応してしまいます。


乾陵博物館には、お墓からの出土品などが展示されていました。


日本との関係を示す資料もありました。唐の時代には、盛んに遣唐使を派遣していましたからね。


高松塚とよく似た壁画もありました。


また、花です。


陪塚周辺の景色です。このあたりは中国の農村といった佇まいです。気分は宮本常一になって、田舎の暮らしも見てみたかったのですが、そんな時間はありませんでした。


こちらは庶民のお墓です。土まんじゅうが見えます。


さて、いよいよ乾陵に向かいます。長い神道がつづいています。


振り返ると乳頭峰が、そこも陵域というのですから驚きの広さです。


六十一蕃臣の像ですが、すべて頭部が破壊されていました。


「唐高宗乾陵」の碑がありました。一番上まで登れるようですが、ここまでにしておきましょう。


この乾陵は未盗掘だそうです。もし、発掘されるようなことがあれば、ここも世紀の大発見となることはまちがいないでしょう。しかし、これまで盗掘されていないことからも分かるように、山の岩石や鉛で頑丈に守られていると言うことです。
そうそう、この高宗が活躍した時代は、日本では、天武天皇が壬申の乱を経て飛鳥浄御原宮で即位した頃のことです。そういえば、天武天皇も皇后の持統天皇と合葬されていましたね。

<つづく>


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2 コメント

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Unknown (よっちん)
2016-09-13 21:20:01
日本と中国の関係が
幸せだった時代が
過去にはあったんですがねぇ。

これから先に幸福な関係が
築ける気はしませんね。

応援ぽち
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Unknown (はりさん)
2016-09-13 22:07:29
たしかに厳しい時代ですね。

餃子の王将が中国本土では失敗。
今度は台湾に進出。
果たしてうまくいくのでしょうか?
がんばれ王将!ですね。
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