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はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

日本一低い分水嶺に

2017-05-08 21:31:18 | 分水嶺の旅
大型連休が終わり、道路も観光地も落ち着いたと思われる今日(8日)、丹波方面へ旅しました。行き先は、藤の花が見頃を迎えた丹波の白毫寺と、柴桜が美しい三田の永沢寺です。
その前に、今回は大好きな「分水嶺」にも寄ってきたので、今日はそのお話です。
分水嶺は北海道から九州まで、日本の背骨のように日本を横切っているので、太平洋側から日本海側に旅する時には(その逆も)、知らないうちに分水嶺を越えているのです。それを知って旅をすると、旅が一段と楽しくなりますよ。以前にも紹介しましたが、私の分水嶺めぐりのバイブルは、『日本の分水嶺』(掘公俊著 ヤマケイ文庫)という文庫本です。

今回、立ち寄ったのはJR福知山線石生駅の近くにある「水分れ公園」です。この道が分水嶺なんです。普通は、山の稜線を想像するのですが、ここは日本一低い谷中分水界なんです。


この道路の右側は日本海側へ、左側が瀬戸内海側へと水が分かれていくのです。只それだけのことですが、分水嶺ファンにとっては、たまらないことなのです。


こんな標識も立っていました。ここに降った雨は、太平洋側と日本海側に泣き別れしていくのです。(そんな大袈裟なことではありませんが…。)


「水分れ公園」は、訪れる人も少なかったですが、きれいに整備されていました。まだまだ、分水嶺ファンは少数派ですね。


町の中にあった標識も、ずばり「水分れ」でした。


今回は、藤と芝桜がメインの旅でしたが、やはり寄り道はおもしろいものです。

分水嶺を越えて石徹白(いとしろ)へ

2015-10-02 15:00:08 | 分水嶺の旅
9月30日に、20年ぶりに石徹白を訪れました。
石徹白には、旅館や民宿はありますが、コンビニはありません。わかりやすく言えば、そんな集落です。

石徹白地区は、現在は岐阜県ですが、昭和33年までは、福井県でした。分水嶺的には、福井県なんですが…。なぜなら石徹白の集落を流れる石徹白川は、下流で九頭竜川となり、やがて日本海にそそぐからです。
ところが、石徹白から下流に向かう道は、豪雪のため度々通行止めになりました。それよりは、5キロ上流の桧峠を越えて、岐阜県の白鳥に出る方が便利だったため、陳情の末、岐阜県となったということです。

桧峠から流れ出る川は、石徹白に向かって流れる峠川が石徹白川、九頭竜川となって日本海に、その反対に白鳥に向かって流れる前谷川が長良川となって太平洋側へと、まさに桧峠は分水嶺なのです。
(石徹白川の清流はやがて日本海へ)

前回に紹介した「満天の湯」は、分水嶺にある温泉なのです。この温泉の湯船から溢れたお湯は、どちらに流れていくのか気になるところです。

さて、今では釣り人しか訪れないようなところですが、石徹白は、古代から白山中居神社を中心とする白山信仰の重要な拠点だったようです。平安時代から鎌倉時代にかけて、白山信仰が盛んだった時代には「上り千人、下り千人、泊り千人」と言われたということです。
(白山中居神社の鳥居を内側から)

(りっぱな杉の間を通って本殿へ)

(宮川を渡ります。ここは禁漁区です)

(本殿が見えてきました)

(本殿です)

(自然石を積んだ石垣)

今は静かな境内ですが、往時はたくさんの人が参詣していたのでしょう。そんなことを得意のタイムトリップしながら考えていました。

白山信仰と言えば、白山への登山ですが、今も7キロほど上流に登山口があります。もちろん現在も、ここから白山へ登山する人はいるようです。ただし、室堂まで19キロと書いてありました。
(美濃禅定道の登山口です)

(石段を登っていきます)

ここを10分上れば、有名な「石徹白の大杉」があったのですが、3分上ったところで諦めました。(なかなかきつい石段です)

釣りで訪れた石徹白ですが、少し歴史にもふれることができた旅でした。
(秋の石徹白川)


※石徹白に向かうには、大阪からは東海北陸道の白鳥インターで下りて、長良川に沿って、国道を少し走ったら前川で峠道に入っていきます。これがなかなかの峠道です。今は峠にスキー場や温泉施設が出来て、道も良くなりましたが、クネクネ度は昔と変わっていません。上りきったところが分水嶺の桧峠です。石徹白には、5キロ下っていきます。(もちろん、福井県側からもいけますよ)

廃線のトンネルを車で通りぬけました

2015-08-31 16:53:50 | 分水嶺の旅
関西には、「廃線ハイキング」として有名な、福知山線の生瀬~武田尾があります。トンネルをいくつか通り抜けて歩くハイキングコースです。(実は、私は行ったことがありませんが

今回紹介する柳ヶ瀬トンネルも廃線になった鉄道のトンネルです。ただし、通れるのは車のみです。(大型車・二輪・自転車・歩行者通行禁止)
もともとは、国鉄北陸本線が走っていました。昔、北陸本線は今の北陸自動車が通っているコースを走っていました。このトンネルは1884年(明治17年)に完成したそうです。(今から131年前のことです。えっ、このトンネルって130歳を越えているんですね!)完成した当時は、日本で1番長いトンネル(1352メートル)だったそうです。
ところが、1957年(昭和32年)に現在のルート(余呉湖の横を通り、深坂峠を越えるコース)に変更されて、それ以降は、県道として利用されるようになったらしいです。
ルートが変更されたのは、あまりの急勾配のために、汽車が立ち往生したり、トンネル内で窒息死する乗務員がいたからだそうです。(70年あまりの間に12名もの機関士が窒息死したらしいです。)そんなこともあってか、地元では「お化けトンネル」と言われているそうです。

さて、前置きが長くなりましたが、実際にトンネルを通ってみましょう。国道365号線を木之本から北上すると、写真のような分かれ道があります。左が365号線で栃の木峠を越えて越前市に、右が県道140号線で柳ヶ瀬トンネルを抜けて敦賀市へ向かいます。
(右に行くと柳ヶ瀬トンネル 右上は北陸自動車道)

鉄道は単線だったので、幅は狭いです。だから信号で交互通行にしています。やっと青信号になりました。さあ、出発です。
(雨の滋賀県側入口)

トンネル内は、狭くて、暗くて、おまけにカーブはしているし、お化けのことも気になるしで、とても緊張して運転しました。
何分かかったでしょう?やっと福井県側に出ました。すぐにUターンして、もう1度くぐります。(また、行くんかい!)今度は信号がかわるまで時間があったので、じっくりと福井県側のトンネル入口を撮影しました。歴史を感じさせる風格があります。(向こうから汽車が走って来そうな感じです)
(福井県側入口、左は北陸道の橋脚)
(雰囲気がありますね。しかし、狭い!)

ところで、あまり知られていないことなのですが、このトンネルの上を分水嶺が通っているんですよ。ちなみに「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の清水トンネルの上にも分水嶺が通っています。

おまけです。ここに北陸線が走っていた痕跡が、もう少し木之本よりの国道にも残っていました。
(旧中之郷駅のプラットホームと駅名板)


淀川の源流を訪ねて (分水嶺の旅)

2015-08-30 20:50:09 | 分水嶺の旅
我が家は淀川べりにあります。そう言えば、マンションの名前にも「淀川」が、ついていました
いつも散歩をしている淀川ですが、その源流はどこにあるのか?調査の旅をしてきました。(ちょっと大袈裟ですが)

大阪湾から淀川を遡れば、山崎あたりで宇治川・木津川・桂川の3つの川に分かれます。さて、どれを行こうかということで、宇治川を選びます。宇治川はやがて瀬田川になり琵琶湖に行き着きます。琵琶湖に流れ込む川はたくさんありますが、姉川がよさそうです。なぜなら高時川が流れ込むからです。そして、高時川を遡れば、いよいよ源流に行き着くのです。(ちょっと強引ですが。)

川沿いに行くのは大変なので、もちろん道路沿いに行きました。名神高速から北陸自動車道に入り、木之本ICでおりて、国道365号線を北に走ります。北陸道に沿った国道です。
(サルスベリがきれいに咲いていました)
(横を北陸道が走る)
写真の分かれ道を左に進みます。(右に行くと、おもしろいものが待っているのですが、それは、また次回のお楽しみに)

どんどん山の中に入っていきます。雨も降り出しましたよ。
(雨が降ってきました)

道はきれいに整備されています。(以前、走った時は、きびしい道だったと思うのですが)やがて、余呉高原スキー場が見えてきました。ここは、滋賀県と福井県の国境の栃の木峠(とちのきとうげ)です。
(滋賀県と福井県の県境の栃の木峠)
(栃の木峠の由来)

ところで、峠とか県境という言葉が出てきたら、そこは分水嶺ですよね。そうなんです、ここは空から降った雨が、太平洋か日本海か、に分かれていく運命を決める分水嶺なのです。
そして、ついに見付けました。今回の旅の目的、淀川の源流である「淀川の源」の碑です。
(これに会いに来ました)

ここのことは、実は、ヤマケイ文庫から出ている『日本の分水嶺』(堀 公俊著)で知りました。(この本のことは、5月6日にも紹介しました)
分水嶺というものは、日本の背骨で、陸地の真ん中を通っていると考えてしまいますが、この栃の木峠では日本海(敦賀湾)からわずか5キロほどなんです。そして、大阪湾までは130キロもあるんですよ。なぜそうなったのかは、琵琶湖の誕生と関係があるらしいですよ。
それにしても、ここに降った雨は130キロの旅をして大阪湾に流れて行くのですね。(妙に感激!)

(雨で霞む国道365号)
帰り道は、一段と雨脚が強くなっていました。さすがに国境の地です。(この雨は、もちろん淀川に流れていきます。)






分水嶺を見ようと木次線に沿って…その2

2015-05-07 18:11:42 | 分水嶺の旅
分水嶺のあった三井野原駅から、出雲坂根駅にやって来ました。
自動車は、「おろちループ」を通って105メートルの標高差を通過します。それでは、鉄道はどうするのでしょう。スイスのベルニナ鉄道に有名なループ橋がありましたが…。
木次線(きすきせん)では、三段式スイッチバックという方法で高低差を克服しています。スイッチバックというのは、急勾配区間での鉄道建設方式です。その昔、汽車が主流だった頃、汽車は坂を登るのが苦手でした。そこで、線路をZ字型にして、進行と逆行を繰り返しながら高度を高めていくという方法をとったのです。三段式スイッチバックは、ここと、豊肥本線の立野駅(熊本県)・箱根登山鉄道の大平台駅(神奈川県)だけらしいです??

展望台からから見た鉄道は、まだ、こんなに高いところを走っています。
 (赤い橋と同じ高さの線が鉄道です)
一番上の橋から出雲坂根駅の方を眺めると、はるか下に駅が見えました。
 (橋の上からの眺め)
それにしても谷の対岸に駅があったので、不思議な気がして、地図で確かめてみました。すると、谷に沿う形で、トンネルなどを利用しながら、徐々に高度を下げて、最後のところでスイッチバックを利用して高低差を克服していることがわかりました。
 (駅のスイッチバックの説明板)
もう少し、スイッチバックの様子を見たかったので、それらしい様子のわかるところを探したのですが…。踏切がある場所から撮影したのが下の写真です。
 (左の線路は下がっています。右の線路は上っています)
微妙な違いがわかってもらえましたか。本当なら列車が走っているところも撮りたかったのですが…。下の写真の時刻表のように、本数が非常に少ないもので…。
 (ひとつ前の三井野原駅の時刻表)

なんとなくスイッチバックというものがご理解いただけたでしょうか。ちょっと違うかもしれませんが、スキーで急斜面を下りるときに、キックターンと斜滑降を使って下りた経験がありますが、そんな感じですかね?(上りはスキーを担いでジグザグに上りました。)

三井野原あたりをぶらぶらすること1時間あまり。中国道が混まないうちに帰ろうと、再び国道314号線を走っていると、目の前に突然、分水嶺の看板が飛び込んできました。後で調べてみると、庄原市の西条町と東城町の境界にあたる狐峠だということがわかりました。
 (突然現れた分水嶺の標識)
 (最近、設置された感じ)
今回は分水嶺を訪ねてということで、三井野原に行ったのですが、帰り道で、ちがう分水嶺と出会えるとは、びっくりでした。まさに場所が場所なので狐につままれたような話でした。お粗末。