Cocomademoiselleココ・マドモアゼル

ビスクドールの制作日記 人形制作する私の紆余曲折しつつも飾り付けない素顔の毎日をご覧下さい

家族の意義

2009年03月17日 | ♥ 私の思う事

生まれて以来、一番身近な家族という社会の中で、子供は親の物事に対する考え方・価値観などに影響される上に、同じ環境で多くの時間を共有する事で色々な部分で似てくるように思います。現に私も親の仕事から独立した数年前までは父同様、短気で思った事を後先考えずにまずは口に出してしまう・・・・という性格でした。そんな似た者同士の親子(父娘)は、言葉でお互いに傷つけ合い切る事の出来ない血の繋がりを悲しく思った時期もありました。そんな時、ある本で「子供は生まれる前にどの親の元に生まれようか・・・・と子供が親を選んで生まれてくる」という文章を読んだ時、「だとしたらどうして自分は、この傲慢な父の元に生まれて来たんだろう・・・・・」と深く考えてみたのです。そして父の事を思いながら気が付きました。「言葉」です。父の言葉で私は傷つき、私の言葉で父を傷付け・・・・・・父との関係を考えた時に言葉がどんなに大切なのかに気が付いたのです。それ以来、私は自分自身を反省し短気と言葉の遣い方に気をつけなければ・・・・・・・と思って今に至ります。そう、父を見て自分の悪い部分に気が付いたのです。

今まで長くブログをご覧下さった方は、私が父に対する心の葛藤の推移をご存知かと思いますが、常に「傲慢な父」と伝えてきましたが、その反面、父はとても人情味ある暖かい部分もあります。例えば、癌で闘病中だった親友の雅子さんに対しては、抗癌剤の副作用で減ってしまう白血球の数値を上げる為に「うずらの卵といくらが白血球を作るのにいい」と聞けば(事実かどうか分かりませんが)、市場で「うずらの卵」と「いくら」を購入し「持って行ってあげなさい」と私に託ける事が何度も。雅子さんは、「自分の父親でもそんな事をしてくれないのに・・・・・」と泣いて喜んでくれました。

そして、私が関心するのは実家の過去帳(先祖の命日を日にちごとに記録した物)。実家にはお仏壇の前に過去帳が2冊あります。一冊はご先祖用。もう一冊は父がお世話になって亡くなった人達や知人の命日を綴った過去帳。信仰心の篤い父は、毎朝のお勤めの際に2冊の過去帳を開くのです。亡くなった後もその人を想ってお経を唱える父の姿。その人の7回忌、13回忌・・・・・父は絶対に忘れません。その人との今生での縁が途切れてもお世話になった人の年忌には、その人の家のお仏壇に花を届ける事も忘れません。・・・・・感心します。

そしてお人好しな父は、父の兄弟、祖母の払わなくてもいい借金まで肩代わり。銀行に申し訳ないからと・・・・。

更にはCocoちゃんと散歩に出かけると、他の犬のウンチまで拾ってきてしまう父。(病気の菌があるかもしれないからやめなさい!と叱りましたが)

そんな父の義理人情に篤く正義感が一杯でお人好しな部分が、時には色々な波乱な事に家族をも巻き込み、今日に至っております。

私は、父の「傲慢」で「悪口(あっこう)」な部分をそのまま受け継いできましたが、父の温かい人間味ある部分もちゃんと私なりに吸収しているつもりです。

 父がお店を閉めて以来、生まれて初めてゆっくりと父と話す時間が出来た娘は父の「傲慢」な部分に何とか気が付いて欲しいと願って父の欠点を指摘したり本を渡したりして父の心の成長を娘ながらに願っていたのですが、最近、それは違うな・・・・と思うようになりました。

どうして父の元に子として生まれてきたのか・・・・・・、42年の歳月をかけてようやく理解できたように思います。それは、父の生きる後姿を見て私なりに感じた私自身の成長の為です。いい部分も悪い部分も父を見て学びました。

そして、残された老後を父に「こうなって欲しい」と指図するのではなく。私が42年の時間をかけて父のいい部分を学んだように、今後の父に望む生き方を私自身が実践し父に見せる事が私のすべき事なのではないかと思うのです。もしかしたら父は、何も思わずに一生を終えるかもしれない。それはそれで仕方がない。でも、私がこうして少しずつではあるけれど成長するように一番身近で切る事が出来ない血の繋がった家族も同じように成長する事、それを大きな愛で切磋琢磨しつつ見守る事、それが家族として生まれてきた意味なのかもしれない。・・・・と私は、最近思うのです。