Seasons

花鳥風月を撮りつづけると季節の移り変わりがわかるかも
でも風を撮るのはむつかしいので花鳥虫月だという噂も・・・

前川國男(3)

2006-01-09 | アート・文化
前川國男で
話しを引っ張ってきましたら
いいタイミングで
2006年1月7日土曜日の読売新聞の夕刊のコラム
 建築望見

 「賊軍」前川國男の真実
と題して高野清見さんの署名記事が掲載されました。

<以下引用 写真とキャプションは純太>
 JR上野公園口を出て信号を渡ると、東京文化会館の大きな庇が迫ってくる。開館は1961年。設計は戦前のパリでル・コルビュジエに学び、日本近代建築を先導した前川國男(1905~86)。その回顧展が3月6日まで東京ステーションギャラリーで開かれている。

Dscn3217
 信号を渡ってすぐのところから見た東京文化会館

 同会館はコルビジュエによる国立西洋美術館と、師弟が向かい合う形で建つ。しかし昨秋に出た宮内嘉久著『前川國男 賊軍の将』(晶文社)で、もう一つの照応関係を教えられた。宮内氏は完成直前の東京文化会館の屋上に上り、公園の緑を隔てて東京国立博物館の大屋根を見いだした感想を記している。「二つの建物は沈黙のまま対峙した。それは日本近代建築史の激動を象徴するドラマと称すべきだろう」

Dscn3227
向かいの国立西洋美術館前庭からみた東京文化会館

 前川は戦前、東京帝室博物館の設計競技で、「日本趣味を基調とする東洋式」との条件に逆らい、最先端を行く設計案で落選。ただちに「負ければ賊軍」という文章を発表し。一躍名を上げた。当選案は洋風建築に和風の瓦屋根を載せた当時流行の「帝冠様式」で、東京国立博物館の本館として残っている。

Dscn1763
 これがコンペで勝った国立博物館本館帝冠様式

 ところが前川展の図録で、実行委員長の大谷幸夫・東大名誉教授は「建築を志す若い人々の大半が前川國男を知らない」と意外な事実を書いている。原因はパソコンで「仮想空間を体験する手法」を取る世代と、物質や材料の追求に始まり「建築としての真実」に迫ろうとした前川との違いだろう、という。
 一昨年から吉阪隆正、清家清、吉村順三と、日本のモダニズムを代表する建築家の回顧展が続いている。その背景には現代建築の状況に対する批判的な視線もあるようだ。これを機に世代を超えた議論が起こると面白いと思う。
<以上引用終わり>




Uenomap
              恩賜上野公園の地図

恩賜上野公園の地図を見ていただくと
東京国立博物館本館
国立西洋美術館
東京文化会館という
それぞれの建物の位置関係が分かります。

恩賜上野公園内には他の建物もあります。

東京都美術館や
国立西洋美術館新館も
前川國男の設計です。

これだけ建てたので
前川の鬱憤もかなり晴れたのではないかと思いますが
それでも現在
公園中央の噴水からみると
国立博物館本館帝冠様式は
いい場所を占めて
まだ圧倒的な存在感を示しています。











コメントを投稿