川島彷徨子は「かわしま ほうこうし」と読みます。
俳人です。
1910~1994
本名晋
厚木市妻田出身
臼田亜浪に師事。
俳誌「河原」創刊主宰
句集「晩夏」、「異人芹」。
厚木市妻田西福寺に
ヒメシオンの群落の白夏至の夢
の句碑があります。
その西福寺では
大きくて寺の藪蚊はのろまなり
という句も詠みました。
ほかの作品としては
水無月のとほき雲けふもとほくあり
夏蜜柑の種子あつむれば薄緑
榛咲けり溝には去年の水さびて
もう誰か来る時刻なり蝉時雨
草萎えて吾亦紅のみ丈にたつ
川島彷徨子は私の母方の伯父です。
亡くなって10年以上経ちますが
句のように俳味がある
いい伯父さんでした。
半世紀近く昔の夏休み
まだ光太郎おじいさんが元気な頃
母が私と妹を連れて里帰り
ひと夏お世話になりました。
『日本近代文学大事典』によると
8月28日厚木に生まれるとあります。
今日は祥月ではなく一月早い誕生日です。
吾亦紅
ゆかりの方が伯父上を
偲ぶよすがになれば幸甚
俳人です。
1910~1994
本名晋
厚木市妻田出身
臼田亜浪に師事。
俳誌「河原」創刊主宰
句集「晩夏」、「異人芹」。
厚木市妻田西福寺に
ヒメシオンの群落の白夏至の夢
の句碑があります。
その西福寺では
大きくて寺の藪蚊はのろまなり
という句も詠みました。
ほかの作品としては
水無月のとほき雲けふもとほくあり
夏蜜柑の種子あつむれば薄緑
榛咲けり溝には去年の水さびて
もう誰か来る時刻なり蝉時雨
草萎えて吾亦紅のみ丈にたつ
川島彷徨子は私の母方の伯父です。
亡くなって10年以上経ちますが
句のように俳味がある
いい伯父さんでした。
半世紀近く昔の夏休み
まだ光太郎おじいさんが元気な頃
母が私と妹を連れて里帰り
ひと夏お世話になりました。
『日本近代文学大事典』によると
8月28日厚木に生まれるとあります。
今日は祥月ではなく一月早い誕生日です。
吾亦紅
ゆかりの方が伯父上を
偲ぶよすがになれば幸甚