太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

彼岸花

2019-10-05 08:53:02 | 日記

この時期になると車で走っていると路肩や畦道、雑木林の中に彼岸花(曼殊沙華)を見掛ける。春なら分からぬでもないがこの季節、もの皆色を失う季節である。枯れ葉色の季節の中で、こんあところにと突然に原色の真っ赤な花が咲く。この花には思い出がある。子供の頃、母親から採ってはダメ、触ってもダメ、あれは誰かが死んだ時に咲くと言われたことだ。何だか恐ろしく、赤い色は血の色にも見えなくもなかった。多分、折って茎から出る白い液を舐めると毒があるからダメというのが親から触るなと教えられてきたのだろう。確かに簡単に茎は折れてミルクのような白い液は子供が舐めそうである。

丁度その頃刈り取りの終わった田圃の道を長い葬列が通るのをみたことがある。横溝正史の小説に出て来るシーンのようであるが実際に見てあれは何と親に聞いた覚えがある。その葬列が歩く道の脇に真っ赤な彼岸花が咲いていたのは後に記憶が合成されたかも知れない。彼岸花の別名は「曼殊沙華」とか「死人花」「地獄花」などと死をイメージする恐ろしいものが多いが初秋に枯れ葉が目立つようになった場所で原色を咲かせるのはどうみても此岸ではなく彼岸の景色である。チャン・イーモウ監督の美しい映画「初恋のきた道」は可憐だったチャン・ツイィーのデビュー作であるがこの葬列が出て来る。町で亡くなった父親の棺を伝統に従い村まで担いで運ぶシーンである。何だか懐かしいような気がしたのは幼い頃の記憶だろう。十数年前伯父の葬儀に参列するため生まれ故郷を訪ねたことがある。しかし新しい家が沢山立ち並び、村の中を幹線道路が走り昔の面影は殆どない。今住んで居るところもちょっと車で走ると田舎に出るが懐かしい景色ではない。写真にも文章にも残されていない、説明する人など誰も居なくなった原風景は幼い頃の記憶にしか残っていない。今住んで居る所が何時まで経っても我が町という感じがしないのはこの幼い記憶によるのかも知れない。