平成も残すところあと1日となった。このような書き出しやセリフは日本全国至るところで見聞きするだろう。天皇の退位を感謝とともに静かに厳かに見送り、新天皇の即位は心からのお祝いと来たるべき時代が平和で老若男女希望に溢れたものでありますようにと願うばかりである。マスコミはそうは行かないだろう。多分カウントダウン祭りや平成最後のとか令和最初のという冠で様々な出来事を伝えるだろう。悪いことではないが騒ぎ過ぎ、悪乗りは控えなければならない。と言いつつ自分も何か記念になることをと考えたが何も思いつかない。平成最後のあるいは令和最初の日、何を考え何をしていたと聞かれても多分何もないだろう。
時代にあるいは人生に節目をつけて思い出すことは自身の総括に役立つ。元号もそうだが個人にはそれぞれ周期のような変化がある。かって上司が自分は不思議なことに6年周期で変化が起こる。職場が変わることもそうだが個人的にも思い当たることが多々あると言った。偶然でしょうと思ったが自身がある程度年が行き振り返ると7年縛りで何やら変化が起こっている。典型はやはり職場であるが職位もそれくらいで変わったように思う。次の変化は2年後の令和2年だが、令二という名前が流行りそうなこの年に何が待っているのか。オリンピックの後の大不況か、体調なのか、あまり楽しいものは待ち受けていないような気がするがそれも仕方のないことである。
平成も押し詰まりラッキーなこともあった。ベランダのゴーヤの葉が萎れてもうダメと思い、引っこ抜こうと思っていたら今朝は葉が横にピント張っている。危うく生きているものを諦めて抜いてしまうところだった。命拾いしたこのゴーヤは多分逞しく育って夏には沢山実をつけるだろう。平成の終わりに初めてゴーヤの生育に成功となる。それくらい何もない時代の変わり目である。
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