今朝も雨、本当に秋の長雨。寒くてつい炬燵で古い映画放映を見る。アメリカ映画が多いがトンデモナイ危機の時主人公が妻や子供たちと愛してるよなどと言ったり、必ずお前たちを守るなどのおきまりのセリフも愛嬌だ。全人類を、地球を救うために出発するのに家族と涙の別れをするのはそんな事言う前にさっさと行けと言いたくなる。絶対に相手をボコボコにしてしまうスティーブンセガールの無敵ぶりは水戸黄門的安定感がある。ディカプリオの若い時が映っているの見つけたりするとポットでの俳優さんではないことに感心したりもする。単純にB級を見分けるのはいきなり最初からBGMが続き、セリフが殆ど聞こえない映画である。緊張感を盛り上げようとするのが見え見えで下手すると殆ど全編BGMを流す。
ストーリーに工夫が凝らされているのはクリントイーストウッドの監督作品だ。昔TVで放映され人気があったローハイドのロディだ。当然まだ若く主役ではなく隊長のフェーバーさんを補佐する準主役だった。決して男前という訳ではなくノッポの青二才というイメージだった。料理人のウィッシュボーンや斥候のピートの方が如何にも西部劇には馴染んでいた。そのロディが後のマカロニウェスタンでスターとなり、その後も監督として数々の名作を撮っているのはローハイドの頃からは想像できない。牛を追うカウボーイの物語だったが牛に金棒を串刺して丸焼きにしているBBQのシーンなどはアメリカのスケールの違いを見せつけられた。こちらの偶に食べる牛肉はグラム単位だった。松本零士作「男おいどん」の中で主人公、大山昇太が夢で「一度でいいから縦だか横だか分からないステーキを食べたい」と言う。つまりレンガのような厚いステーキだが時代は1970年代である。ローハイドはそれより100年前、1870年代だからいかにアメリカが凄いかが分る。たかが150年から200年の間に今のアメリカの大発展がある。更地に街を作っていくのはヨーロッパの古い街並みを壊してつくるよりずっと早い。あの西部劇撮影で見た風景は殆ど今でも開拓されずに残っていると思うとまだまだ開拓の余地はある。最初に行った外国はアメリカでサラダを頼むと飼い葉桶のようなものに入ってくるし、肉は16文キック、ジャイアント馬場の片足くらいある。コーラなど馬でも飲み干せないくらいのサイズだ。ボストンだったか有名なクラブを頼むとオリーブオイルのようなものに浸して食べる。酢醤油などないと言って不思議がられる。こちらも若かったが何となく工夫すれば成功を収められる国だという気がした。全てが周りにがんじがらめにされているような日本に気付き始めた頃だ。最近の日本のニュース桜を見る会など、これアメリカでもニュースになるだろうかと想像すると結構面白い。いやアメリカの片田舎の名も知らぬ街ならあるかも知れない。裏返せばそれだけ平和と言えなくもない。庭の山茶花が紅い花をつけだした。小さな鳥、メジロだろうか蜜に飛んできた。つげ義春の「紅い花」は椿だったのか山茶花だったのか。
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