太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

自分だけがそうなってしまう

2020-03-31 08:41:12 | 日記

仕事の関係で飛行機に乗ることは多かった。しかもメジャーではなく海外のマイナーな航空会社の飛行機である。それでも若い頃は、もし墜落しても自分だけは助かるのではないかと思っていた。その内に墜落で大多数が死ぬなら自分も確実にその中に入る、奇跡はないと思い出した。晩年はメジャーな航空機に乗っていても何でこんなことで亡くなってしまったと思われる事故に遭遇する不運な者は自分だろうと思うようになった。

昨日は志村けんさんがコロナ感染で亡くなったニュースで持ち切りだった。亡くなったのは一昨日深夜だがまさかの発症から数日の出来事である。如何にコロナの感染力が強く症状の悪化が物凄いスピードで進むかを知らされた。入院当初意識の混濁が伝えられたときもしかしたらと思った。しかも家族を含めてお見舞いもままならない。世界最高の医療技術のある病院においてもそうである。このウィルスはSARSやエボラなどよりも遥かに危険であることを敢えて公表していないのではとさえ思われる。追悼のコメントが多く寄せられているが、ビートたけしのお笑いの根底には狂気があると言っていたが、志村けんさんはなんだろう。自虐ネタ、下ネタ、暴言、楽屋ネタ、素人いじりなどで笑いをとる芸人が多い中異色の才能を放っていたと思う。特に最近多い仲間内を弄って遊ぶことを芸と勘違いしているお笑い芸人が多い中、ある種ペーソス(哀愁と憂い)漂う存在感があった。渥美清さんや場合によってはチャップリンのようになったかもしれない。この意味では計算したたけしの狂気やとにかく明るい所ジョージ、反射神経でこなしながらどこまで行っても軽いさんま(それも天賦だが)などとは違う存在だったように思う。お笑いと人としての存在感がはっきり区別できる稀有の人だったように思う。根底にあったのは動物番組で垣間見た人間的優しさだろう。

コロナ感染も何で自分だけが真っ先にかかるのだろうと思う日が来るような気がしていたが、今回も同年代が先を越して逝ってしまった。丁度1年前のブログのタイトルは「中高年のひきこもり」である。内閣府の調査によると中高年の引きこもりが61万3千人いると問題にした内容だった。今は逆に中高年よ引きこもれである。たった1年で変わってしまった。今回ウィルスの感染が如何に予測不能だったかの証である。志村けんさんの死は多くの人のレゾン デートルに影響を与えたのではないだろうか。



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