IEAの報告書「The Power of Transformation」を読み進むうちに太陽光発電が「光が当たっただけで電気が出てくる」という個々の技術者の率直な感動から「我が家の電気を太陽光発電で賄う」という消費者の色んな導入目的を満たす、さらに経済的(営利)目的による大規模な導入、その先『導入による社会的意義(環境やエネルギーセキュリティ)とそれに伴う便益や負担』にまで現実が及んできたことが窺える。もはや「社会的存在」と言えるだろう。冒頭の著はかなり広範囲で専門的議論がなされており、私など技術者の感動から入った者にとっては手に負えない部分もある。しかし、この業界に入った頃は多分世界で1,000人以下の人しかこの仕事に関係していなかったのではと思う。その後石油代替、CO2削減と冠が変わりながら世界が注目し始め今日に至る。社会的存在を抹殺することは例え日本のマスコミの一部(本当に勉強不足と思うが)が不要論や害悪論を一面を捉えて喋ってもヨーロッパを筆頭に社会的存在として認めている人たちまで封じることはできない。特定新聞の特定人がすぐ頭に浮かぶが一体この記事、コラムは誰に何を伝えようとしているのか、皆さんも何事にも「本当のところは一体全体どうなんだ」という一旦止まって考える習慣が必要(自分にも言い聞かせているのだが)では。一番厄介な事は悪意の無い誤解をうまく解きほぐす事。
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