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世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

小さな小さな神さま・5

2017-05-24 04:17:35 | 月夜の考古学・第3館


「そんなものをもらって、どうする」
 やがて虫椎の神は、小さな神さまのお顔からさっと目をそらすと、傍らに唾を吐くように言い捨てました。
「どうせにんげんなど、すぐに神を裏切って、自分勝手に離れていくに決まっているのだ」
 小さな神さまは、少々むっとされて、おっしゃいました。
「あんたはにんげんを育てたことがおありなのですか?」
 しかし虫椎の神は、その問いには答えられませんでした。小さな神さまは、眉間を少し濁らせましたが、黙ってご自分の問いを取り下げられました。ふと見ると、虫椎の神のこめかみあたりでは、翡翠の翅をした螳螂が、月のかけらのような白い蛾を一匹、むしゃむしゃと食べています。小さな神さまはさりげなくお顔を月の方へと向けられて、お目を清められました。
 虫椎の神は、酒を一気に喉に流し込むと、おもむろに額から紅の兜虫をとり、それをゆらりと空にかざして、剣のように突き出た角の見事な形や、血の玉のような宝石様の輝きをひといき愛でられました。そして目前の客の気分などおかまいなく、ぶつぶつと独り言のようにおっしゃいました。
「……だが、虫はいい。虫は余計な知恵など持たぬ。それにその素直なことと言ったらどうだ。わしが青くなれと言えば青くなる。赤くなれと言えば赤くなる。……あんたも、にんげんなど育てるより、虫を育ててはどうかね。よければ行儀のよい奴を、少し分けてやってもよいぞ」
 虫椎の神は、お目を細めて、兜虫をさも愛しそうになでられました。しかし小さな神さまは、内心自分ならあんな品のない虫は作らないと思っておられましたので、やわらかく断られました。虫椎の神は少し鼻じろんだご様子で兜虫を額に戻されると、再びなみなみと杯を満たしつつ、今度は少しきつい調子で言われました。
「あんたは、知らんのだ。そりゃたしかに、にんげんは、よく芸をする。……ふん。小さいものが自分のまねをしだしたら、神にすればそりゃかわいくもなろう。楽しみにもなろうさ。……だが、かわいいのは、最初だけだ。そのうちにんげんは、勝手なことを始めるようになる。生半可な知恵を鼻にかけ、神を馬鹿にし、まるで言うことをきかなくなる。あれこれと世話を焼いてやった恩も忘れ、神など必要ない、何だって自分たちだけでできるのだなどと、ぬけぬけとぬかしてな。そして、やがては神を忘れ、去っていく。後に残るのは、しぼり尽くされた見る影もない森と、うらぶれたみすぼらしい神ばかり……」
 酔いも回ってきたのか、虫椎の神のお口は次第次第と滑りがよくなってくるようでした。
「だが、虫はいい。虫は裏切らぬ。それに細工に凝れば凝るほど、美しいものができあがる。たぶん、これほど美しい虫がこれほど膨大にいる森は、ここよりほかにないだろうよ」
 まったくその通りだと、小さな神さまは答えられました。いやみではなく、心よりそう申し上げたのですが、なぜか虫椎の神は喜ばれず、むっつりと口元を結んでおられました。
 虫椎の神が黙っておられるので、小さな神さまも何もおっしゃらず、静かにお酒を楽しまれました。甘く渋みのあるお酒ではありましたが、香りの中に何やら深く悲しげな言霊が秘められてあるのを、小さな神さまは感じられました。虫椎の神が、沈黙の中に殺してしまった言葉が、ひっそりと流れてきて、ここに隠れているのだろうか。小さな神さまは目を閉じられ、舌で酒の中の言葉を探ろうとされたのですが、刺すような渋みに、たちまちのうちに言葉は連れ去られてしまいました。
 やがて風がしばしの沈黙の幕をひらりと揺らしました。虫椎の神は最後の杯を干されますと、のそりと立ち上がり、一言のごあいさつもなしに、去っていこうとなされました。小さな神さまはあわてて、虫椎の神の後ろ姿に、御礼の言葉を投げられました。虫椎の神は答えず、ただその肩の辺りで、蛍をいっぱいにほお張った女郎蜘蛛が、丸々と太った腹をちかちかと光らせておるだけでした。
 虫椎の神のお姿が見えなくなると、小さな神さまは吐息を一つつきました。揺らいだ視線を何げなく美羽嵐志彦にやりますと、美羽嵐志彦は首をこくりと傾けて、ほほ笑みました。小さな神さまもほほ笑んで、傍らに寝そべる竜の頭をなでられました。こんな場合は、どんな言葉も出て来ぬものだと、おふた方ともちゃんと知っておいでなのでした。

  (つづく)






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