「そこにおられるのはどなたですか」
小さな神さまが驚いておりますと、盆地のちょうど真ん中辺りから、大きな石のようなものがズンと伸び出してきて、それがぱんと弾けました。するといつの間にか、大きなお美しい青年の神が、小さな神さまの目の前に立っておられました。
「これは失礼をしました。あなたがこの盆地の神でいらっしゃいますか?」
小さな神さまは、突然の訪問の非礼をわびるとともに、ご自身のお名前とご身分を名乗られ、簡略に要件を述べられました。盆地の神は、小さな神さまに、ていねいにお辞儀をされてから、自分の名は大羽嵐志彦の神であるとおっしゃいました。
大羽嵐志彦の神は、青年のたくましいお姿に似合わぬ、乙女のように清楚なお顔立ちを、そよがせるようにほほ笑まれ、おっしゃいました。
「にんげんを育てられるのですか?」
「はい、ここでこうして拝見して、ぜひに欲しいと思いました」
小さな神さまは、力強くおっしゃいました。大羽嵐志彦の神は、ほほ笑んだまま、少し困ったように眉を寄せられました。
「しかし、難しいものですよ。最初のうちはかわいいのですが、そのうちいろいろと小理屈を言うようになります。神のことなどおかまいなく、勝手なことをやり始めたり、あれこれと我がままばかり申したり……。近ごろでは、よほど無茶な悪戯もするもので、やれやれ、ほとほと困り果てておりますよ」
「そうはおっしゃいますが、どうしても育ててみたいのです」
「最初はみな、そうおっしゃるのです。あまりにかわいいのでね。しかしそのうち、かわいいだけではすまなくなるのですよ。生半可ににんげんを育てようなどとは、お思いにならない方がよろしい。一度ご自分の土地にお帰りになって、よくよく考え直した方がよろしいかと」
大羽嵐志彦の神はおっしゃいましたが、小さな神さまのご決心を変えることはできませんでした。
「いや、にんげんがわたしの谷に来てくれるのなら、どんな苦労もいといません。どうか、少し分けてはくださいませんか」
「ああ、それは、いけません」
大羽嵐志彦の神が、にべもなくおっさるので、小さな神さまは驚かれました。
「なぜ? わたしは御礼に差し上げられるものを、何も持っていないわけではないのですよ?」
すると大羽嵐志彦の神は、ますます困った顔をなされました。
「いや、違うのです。これには……」
と、その時でした。下の盆地の方から、何やらちんちんと、かわいらしい音が響いてきました。
小さな神さまが下をごらんになると、ちょうど盆地の真ん中の、木々に囲まれた広場のようなところで、にんげんたちが集まって、にぎにぎしく騒いでおりました。
「おや、あれは何でしょう?」
「ああ、あれは祭の練習をしておるのですよ」
「まつり?」
「年に二度、春と秋、わたしの社ににんげんどもが集まって、舞い歌いながら神と遊ぶのです」
「ほう……」
小さな神さまは、感心なされて、祭の様子をしげしげとごらんになりました。社の前庭には、白い石を一面に敷きつめてあり、その中で、愛らしく着飾った稚児や乙女や若者たちが、歌ったり、鈴を振ったり、笛を吹いたりなどして、楽しげに笑っておりました。
それを見ているうちに、小さな神さまは、なぜ盆地の神がいけないとおっしゃったのか、ようやく分かりました。
にんげんたちが、歌い踊るたびに、その小さな体の奥が、ちらり、ちらりと、炎がひらめくように震えて光るのが見えるのです。よく目をこらしてごらんになると、それらはみな、小さい小さい光の核でした。
核は、貝の中に秘められたくず真珠のように、それぞれにみな微妙に違う形や色をして、にんげんたちの小さな命の社の奥に、大切に守られていました。そしてそれらの核の前には、全て、蜜のようにとろりと金に光る、美しい滋養の滴が、一つ一つ餅を供えるように、配られていました。
にんげんたちが歌い踊ると、核の中に金の餅が転がり込んで、それは鈴のように快い音をたてるのです。
(ああ、なんという音だろう……)
小さな神さまは、お身の上を洞の冷風に拭われるような、驚きを感じられました。なぜならそれは、小さな神さまには、それまでに聞いたこともないような、何とも不思議な音だったのです。
「……やあ、皆で歌っている。輪を囲んで踊っている……。なかなかに良い技ではないか。あれはあなたが教えたのですか?」
「種は植えてはやりましたが、後のことは少しずつ、あれらが工夫して考えました」
大羽嵐志彦の神は、目を細めておっしゃいました。小さな神さまは驚きながらも、目を吸い込まれるように、再び祭の様子にお顔を向けました。
「おや、ひとり稚児が転んだ。おお、痛い痛い……泣いているぞ。おやおや、若者が抱き上げた……皆が集まってきた。おお稚児が笑った、笑った……なんと皆、仲の良いことだ……」
小さな神さまは、はっとされました。そしてしばし、呆然と、言葉を失われました。
「にんげんとは、こころまでも、神のまねをするのか……」
小さな神さまはお顔をあげて、大羽嵐志彦の神を見つめられました。大羽嵐志彦の神は、りんとしたお眉に、深い慈愛をたたえられながら、下界のにんげんたちの様子を、優しく、厳しく、ごらんになっていました。小さな神さまは、大羽嵐志彦の神が、いかにこれらのものを愛しておられるかを、理解されました。小さな神さまは深く恥じ入られ、大羽嵐志彦の神に許しを請われました。大羽嵐志彦の神は、笑ってかぶりを振られました。
「ああ、それにしても、かわいいものだ……。どうすれば、にんげんをわたしの谷へ呼ぶことができるでしょうか」
小さな神さまがおっしゃいますと、大羽嵐志彦の神は、お眉の辺りに少々思案を乗せられながら、再びやわらかくほほ笑まれました。そして、東に遠くかすむ、青い山影を指さしました。
「あの山の彼方に、にんかなという四方を湖に囲まれた秀麗なる青峰があり、そこにおわせられるにんかなの神に、お頼みになるとよいでしょう」
「ありがとう。では早速訪ねてまいりましょう」
小さな神さまは、再び深々と頭を下げられますと、懐から竜を呼び、それに乗って飛びたとうとされました。しかし、いざゆかんとする前に、大羽嵐志彦の神が呼び止められました。
「いや、待ちなされ。にんかなは遠く、途中にはいくつかの試練もございます。その水の竜だけがお供では、少々心もとない」
言うが早いか、大羽嵐志彦の神は、口からプップッと小さな白、青、朱、三色の珠を吐き出されました。三つの珠はくるくると回りながら卵が弾けるように次々と姿を変え、いつしか目の前には大羽嵐志彦の神にそっくりで衣の色ばかりが違うお三方の神が立っておられました。
「我が分け身なる神、美羽嵐志彦、早羽嵐志彦、於羽嵐志彦。道案内にもなりましょうから、お連れになるとよいでしょう」
大羽嵐志彦の神は、おっしゃいながら、くるくると手を回されました。するとお三方の分け身の神は、あっという間に元の珠にもどりました。
「いや、そこまでしていただいては……」
小さな神さまは固辞しようとなさいましたが、大羽嵐志彦の神はうなずかれませんでした。
「あなたはご存じないが、きっとこれらの力が入り用になる時がまいります。どうぞお連れになってください」
大羽嵐志彦の神は、お髪を一筋ほどいてしなやかな緒をこしらえられますと、三色の珠をその緒に連ね、小さな神さまのお首にかけられました。そこまでされると、もうお断りするわけにもゆかず、小さな神さまは、ありがたくその珠をいただきました。三つの珠は、小さな神さまの白い衣の胸に落ち着くと、ころころと涼しい音をたてました。
「ありがとう。ではいってまいります」
小さな神さまは、一礼をなされると、青い竜に乗って、再び飛びたたれました。空は、あっという間に、希望を胸に灯した小さな神さまのお姿を、吸い込んでしまいました。大羽嵐志彦の神は、遠く空の向こうにお目を飛ばされながら、小さな神さまのために、ゆっくりと頭を垂れられました。
(つづく)