今日は知り合いの演奏家のお誘いを受けて、彼が主宰のアンサンブル・スピラーレというグループのコンサートを聴きに、ルーテル市ヶ谷センターに行きました。ここは日本福音教会の市ヶ谷教会でもあるのですが、コンサート会場として一般にも貸し出されているところです。
今公演には『22歳の作曲家たち』という副題が付けられ、シューベルトが22歳の時に作曲したピアノ五重奏曲イ長調《鱒》と、ブラームスが同じく22歳の時に作曲したピアノ四重奏曲第1番ト短調の2つの室内楽曲がプログラムに組まれました。個人的にどちらも演奏したことがあって大好きな曲なので、楽しみにして来ました。
シューベルトの《鱒》はピアノ五重奏曲ですが、通常だとピアノとヴァイオリンが2挺、ヴィオラ、チェロという編成になるところを、ヴァイオリンを1挺に減らしてコントラバスを加えています。普段あまり室内楽に参加しないコントラバスが入ることによって弦楽アンサンブルに厚みが出て、ジャズのようなグルーブ感も生まれます。
ブラームスのピアノ四重奏曲ト短調は発想から実に6年もの歳月をかけて完成した曲で、初演時にピアノを弾いたのはブラームスの師ローベルト・シューマンの妻でピアニストのクララ・シューマンでした。全体的にト短調という調性が持つ重厚な響きに支配されていますが、そんな中にも青年ブラームスの若々しい華やかさが存分に表された名作で、特にジプシー的な熱狂を帯びた終楽章『ツィゴイネル風ロンド』は初演時から絶賛されたといいます。
今回の《鱒》では、始まりの和音に緊張がこもっていましたが、それも曲が進む毎に徐々に打ち解けいくように感じ取れました。欲を言えば、メロディが回ってきた時のヴィオラや、コントラバスのピチカート(弦を指で弾く奏法)がもう少し前面に出てきてもよかったかな?とも思いました。
ブラームスは、それこそ各パートに『これでもか!』というくらいの大量の音符が詰まっているのですが、奏者それぞれに頑張ったと思います。ロンドの最後に畳みかけるところで『崩壊するんじゃないか?!』というくらいに加速がついてハラハラしましたが、そこは御愛嬌ということで…(^_^;)。
最近こんな室内楽にとんと御無沙汰な身として、若い彼等が一心不乱に演奏する姿は羨ましくもありました。発足したばかりのアンサンブルとしてまだまだ課題はあるでしょうが、今回は意欲的によく頑張ったといっていいでしょう。
次回は9月にオールモーツァルトプログラムを予定しているということで、引き続き頑張ってほしいと思います。
今公演には『22歳の作曲家たち』という副題が付けられ、シューベルトが22歳の時に作曲したピアノ五重奏曲イ長調《鱒》と、ブラームスが同じく22歳の時に作曲したピアノ四重奏曲第1番ト短調の2つの室内楽曲がプログラムに組まれました。個人的にどちらも演奏したことがあって大好きな曲なので、楽しみにして来ました。
シューベルトの《鱒》はピアノ五重奏曲ですが、通常だとピアノとヴァイオリンが2挺、ヴィオラ、チェロという編成になるところを、ヴァイオリンを1挺に減らしてコントラバスを加えています。普段あまり室内楽に参加しないコントラバスが入ることによって弦楽アンサンブルに厚みが出て、ジャズのようなグルーブ感も生まれます。
ブラームスのピアノ四重奏曲ト短調は発想から実に6年もの歳月をかけて完成した曲で、初演時にピアノを弾いたのはブラームスの師ローベルト・シューマンの妻でピアニストのクララ・シューマンでした。全体的にト短調という調性が持つ重厚な響きに支配されていますが、そんな中にも青年ブラームスの若々しい華やかさが存分に表された名作で、特にジプシー的な熱狂を帯びた終楽章『ツィゴイネル風ロンド』は初演時から絶賛されたといいます。
今回の《鱒》では、始まりの和音に緊張がこもっていましたが、それも曲が進む毎に徐々に打ち解けいくように感じ取れました。欲を言えば、メロディが回ってきた時のヴィオラや、コントラバスのピチカート(弦を指で弾く奏法)がもう少し前面に出てきてもよかったかな?とも思いました。
ブラームスは、それこそ各パートに『これでもか!』というくらいの大量の音符が詰まっているのですが、奏者それぞれに頑張ったと思います。ロンドの最後に畳みかけるところで『崩壊するんじゃないか?!』というくらいに加速がついてハラハラしましたが、そこは御愛嬌ということで…(^_^;)。
最近こんな室内楽にとんと御無沙汰な身として、若い彼等が一心不乱に演奏する姿は羨ましくもありました。発足したばかりのアンサンブルとしてまだまだ課題はあるでしょうが、今回は意欲的によく頑張ったといっていいでしょう。
次回は9月にオールモーツァルトプログラムを予定しているということで、引き続き頑張ってほしいと思います。