私は泣いた。我が家の風呂のの中で。嗚咽しながら。今年の2月に亡くなった母親のことを、ふと脳裏に思い描いた時に。
優しい母親だった。子煩悩の母親だった。数え上げればきりが無いくらい、私ら3人の子どもに、慈しみ深い愛情を注いでくれた。たとえれば私には菩薩同様だった。いや、仏陀同様だった。
私はほどなく59回目の誕生日を迎える。過去を振り返ると筆舌に尽くしがたい道程だった。幾たびか、怒涛に打たれ、厳寒に晒され、漆黒の闇の中を絶望のうちにのたうちまわっていた時にも、私を抱きしめ、明るく温かい光明の射すところに導いてくれたのは、いまは亡き母親だった。
私は本当に駄目息子だった。両親の期待を、希望を、夢をことごとく裏切ってきた。高校、大学と入学したものの、すべて両親の期待を、希望を、夢を裏切るものだった。でも両親は、私に愚痴一つこぼさなかった。
お母さん。お父さん。いやオモニ。アボジ。本当に私は出来損ないの息子でした。ことごとくあなた達の、期待や、夢や、希望を打ち壊してきました。心よりお詫び申し上げます。
優しい母親だった。子煩悩の母親だった。数え上げればきりが無いくらい、私ら3人の子どもに、慈しみ深い愛情を注いでくれた。たとえれば私には菩薩同様だった。いや、仏陀同様だった。
私はほどなく59回目の誕生日を迎える。過去を振り返ると筆舌に尽くしがたい道程だった。幾たびか、怒涛に打たれ、厳寒に晒され、漆黒の闇の中を絶望のうちにのたうちまわっていた時にも、私を抱きしめ、明るく温かい光明の射すところに導いてくれたのは、いまは亡き母親だった。
私は本当に駄目息子だった。両親の期待を、希望を、夢をことごとく裏切ってきた。高校、大学と入学したものの、すべて両親の期待を、希望を、夢を裏切るものだった。でも両親は、私に愚痴一つこぼさなかった。
お母さん。お父さん。いやオモニ。アボジ。本当に私は出来損ないの息子でした。ことごとくあなた達の、期待や、夢や、希望を打ち壊してきました。心よりお詫び申し上げます。