作曲家・趙 顕市の「愛別釜山港」

私が作詞・作曲した「愛別釜山港」「野ばらあなたたち」の紹介。歌は韓国の「ソン&リー」という姉妹歌手が歌っております。

「私と叔父の関係その15」「私の歌の再生回数表その25(バンザイ3万5千回を超えたぞ)」

2013-04-15 11:33:56 | Weblog


 私と叔父の関係の続きを認めます前に、皆さまに少しご報告しなければならないことがあります。親友である朝絢詩さんにも、ブログに掲載して欲しいとお願いしてあったので、彼の最新のブログを読まれている方はすでにご存知かも知れませんが、約2ヶ月程前に、朝目覚めますと喉に違和感を感じましたので、声を出してみようとすると、殆んど声が出ない状態になっていたのです。それでも無理に出してみますと、かすかに声が出るんですが、非常なしわがれ声なのです。また声質が殆んど別人の様に変わっているんです。これはてっきり風邪をひいて扁桃か咽頭がやられたなと思ったので、常備薬の葛根湯を服用したんですが、一向に良くならず、丁度持病の定期検査の時期だったので、検査のついでに、掛かりつけの主治医の先生に鎮咳去痰作用のある水薬と、ノイチームと言う消炎酵素剤と、アズレミックスと言う商品名のトローチみたいな、口腔内の殺菌、消毒や、腫脹を緩和する効果のある外用薬を処方して頂いたんですが、それを飲みきりましても、変質した音声は元の状態に戻らず、痰も声を出すたびに絡みつきますので、また去痰剤を処方して頂いたのですが、しつこく痰は声に粘ついた状態のままでした。
 その時になって思いあたりましたのは、約4~5ヶ月程前から自己流で、夕刻に歌の練習をやり始めたのですが、暫くはどうも無かったのですが、チョウヨンピル(趙容弼)さんの歌を韓国語バージョンで歌える様に彼の歌の練習を始めだしてからおかしくなりだしたように思うんです。彼の歌は非常にキーが高いんですね。だから私も連日のように腹の底から声を絞り出していたんですね。いや絞り出すというよりは、殆んど絶叫していたんですね。そう言う風な練習を続けましたので咽喉の方はたまらないですよね。勿論咽喉を酷使した後はのど飴等で、労わってきたつもりなんですが。
 それともう1つには、「(野ばらおまえたち)のハングルバージョン」を近々YouTube様でご披露するとのたまった手前、やはり良い状態で録音に望みたいという希望もありましたので、それには発音等に気をつけて、練習に練習を積み重ねる必要があると自己判断した影響もあったと思います。
 だが依然として痰は、一音発する度に執拗に纏わりつき離れず、その様な状態にもかかわらず4月2日の録音に望みました。録音しました楽曲をスタジオで何度か聴きましたが、最悪の状態でした。しかし、これも老化の為せる業かなと思い、翌日の夕刻に2曲YouTube様にアップロードしましたものの、どうしても納得出来ず、翌朝「非公開」の処置をとりました。だが既に3人のリスナーが聴いておられたようで、非常に恥ずかしいと言いますか、醜態を晒したような心持で沈み込んでいました。
 これが老化と言うものか、後は衰退して行くだけなのかと、愕然としましたが、受容できず4日の午後に耳鼻咽喉科を尋ねました。内視鏡の検査の結果、明確な病名は聞けなかったのですが、咽喉か声帯に炎症があるようで、療養する上での細々とした指示を受け、内服薬と外用薬をひと月分投与して下さいました。また、悪性の所見は見られないとの事で、胸を撫で下ろしました。
 「野ばらおまえたち」のハングルバージョンは速くて4月下旬か、遅ければ5月下旬にご披露できそうです。
えっ、期待なんかしていないって。
ショック。また落ち込みそうです。
     *       *      *      *

さて、S病院で厳しく経理の指導、帳簿付け、給与計算、貸借対照表、損益計算書、手形の切り方等を教わりました。BS(貸借対照表)や、PL(損益計算書)はひと月ごと作成し、1円でも合わないと、合うまで幾日もやらされました。
3人の事務員の方が居られたと前回書き記しましたが4人の間違いでした。訂正いたします。特に私を指導して下さった方は、私好みの容貌をしていたので、心密かに様々な光景を想像してにやついていたのですが、誠に手厳しい方でした。しかし、その手厳しさを甘んじて受け入れました。
4時半くらいには、私はその経理室を退室しまして、18時の時の診療に間に合うように、我が診療所に取って返すのですが、今振り返ってみれば、中々楽しいひと時でした。
診察時間中は、私は受付か薬局のどちらかを担当していましたが、薬局の担当の方が多かったように思います。(このブログの読者各位の中には、薬剤免許証も無いのにどうして薬局の仕事が出来るんだろうと、お思いの方もおられるだろうと思いますが、当時いや恐らく現在もそうでしょうが、医師の監督下にあれば、無資格者でも、調剤や調合が出来るのです)
又、現在は殆んどの医療機関がレセコン(レセプトコンピューター)を導入されていますが、この1970年当時には比較的大きな病院でも導入しているところは少なかったように思います。
だから、窓口で受診された患者様の窓口負担には結構時間が掛かり、患者様方にはかなりのご迷惑をおかけした事と思われます。ただ、社会保険では被保険者本人の方は100円か200円の定額負担、言い換えれば窓口で一定の金額を支払えば、後は一切負担金が発生しなかったのです。そう言う方にはお薬が出来上がった段階で、先に一部負担金を受け取り、お薬をお渡しして、その後でゆっくりと計算できましたので楽でした。ただその他の方は定率負担で、即ち社会保険の被保険者のご家族の方{被扶養者(配偶者やその子供、祖父・祖母等)}は一律3割負担で、国民保険証で受診された方も、本人もご家族も一律定率負担の3割を徴収させていたように思います。
また、診療所近辺に居住している人々の大きな特徴としまして生活困窮者が、他の地域よりも相対的に多く、その為生活保護費・医療保護費を受給されている人がかなりおられましたので、そのような方は受診されても一切窓口負担金が発生しなかったので、混雑している時は窓口が楽でした。
そして20時30分に窓口を閉めると、叔父や従兄弟や他の職員達と、1日の疲労を慰めあうのです。
私は従兄弟(同い年)相手にS病院であったことや、密かに憧れる事務員さんの事を話しては、1人悦に入り明日の糧としたものです。でもやがて奈落の底に突き落とされる結果になるのですが・・・(続く)

さて今日は各位に、私にしましては大変嬉しいご報告をしなければなりません。それは再生回数の合計が4月13日の時点で3万5千回を超え、14日現在で35071回に及んだことです。再生して下さった各位には何とお礼の言葉を申し上げれば良いのでしょうか。特に毎日々再生して聴いて下さった方には、衷心より感謝の言葉を申し述べます。
思い起こせば無聊の慰みにと、娘がYouTube様に殆んど「死に体」であった私の楽曲の数々に、生命の息吹と血潮を与えてくれた事は、朽ち果てつつあった私の心と身体に、再びの青春の気と可能性と無限の力を与えてくれたに等しく、我が娘ながら「ありがとう」と言いた。またその様な場を提供して下さったYouTube様にも有難く厚く御礼を申し述べます。
現在娘はプサンで生活をしているので私のブログを読んでいるのかどうか分からないが、昨今の緊張した極東アジアの情勢に一喜一憂し、平和ばかりを祈っているが、アジアの平和はアジア各国が主体的に対話を積み重ねて実現すべきものであり、それには長年のわだかまりを大胆に払拭し、前提として敵対と言う視野や観念を放棄し、胸襟を開き友情と信頼の醸成に尽力すべきであって、枝葉末節は大胆に放棄し、アジア諸国民の平和と安寧を第一義的な命題として捉え、世界的警察を自認する大国の独断と偏見を極力排除し参考程度にすべきであると愚考するものである。
娘よ!婿殿と頑張っていますか。
婿殿!娘をよろしく。
さて、末筆になりましたが、各位には、今後ともさらなるご支援の程を心よりお願い申し上げます。