クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
歩いて、自転車に乗って感じたことを、気ままに書き続けます。

情熱の語り、三頭谷鷹史さん。

2011年03月05日 18時26分32秒 | 日記
今日は一宮市三岸節子記念美術館での「美術の学校」の3回目を聞いてきました。
今日の講師は、名古屋造形大学教授の三頭谷鷹史(みずたにたかし)さんです。
お話されたテーマは、「山下清の実像 障害と美術」です。

氏の話は、まさに情熱の語り。
『人は成長し、成熟する......』

氏の話は、“アウトサイダーアート”の日本の源流「山下清」の話です。
まずは、氏は、『山下清』のイメージは、と生徒に向かってやさしく語りかけます。
『素朴、純粋、お人よし』、これが大方の人の、山下清のイメージでしょうと。

そうです、私のイメージもまったくそうです。
けれども氏は、続けて言います。
『この3つとも、現実は違う』と。

氏が言うには、山下清は『怒りと悲しみを多く味わった人』、『心の闇を持ち、ある種の屈折を抱えた人』、そして、『心の闇を、暴力と盗みによって発露した彼の少年時代を、彼自身の力で超えた人』、『超える能力と努力があった人』

氏が言うには、『山下清は、めったに笑うことがない人。でも食べ物を前にして、にそっと笑ったかもしれない人』

氏が言うには、『山下清は、子供時代からの“いじめ”からの逃げ場として、原っぱがあった人』

「見る」、「触る」という、視角のみならず触覚も交えて山下清は絵を創り、『見聞きしたことを、貯めて溜めて、思い出しながら“記憶画”として表出した人』

『山下清は、3年前のことは大体覚えていて、1年前のことは、時間までも覚えていた人』

『山下清は、「人間は死ぬと生まれかわるというけれど、形が生まれかわるのか精神が生まれかわるのか、それとも生まれかわるというのは嘘ですか」と一生考えた人』
『山下清は、繰り返し同じ問いかけを周りの人にして、いろんな答をもらい、みんなの答を溜めて、想像力を働かせて、たえず深く考えた人。それが、彼の“人となり”を創った』と。

氏の話は、最初から最後までビビッドな語り口、そして暖かい包容力、人間賛歌の心持ちが、印象的でした。
山下清の成長成熟を、山下清の作品の移り変わりの映像とともに、その語りは、説得力のある話でした。

『山下清が、体ごと丸ごと考えて生きた軌跡。一番はっきりと表れているのは、彼が作った絵画』
それは、『「美術は役に立つ、重要である」と、改めて思い知らされた』と。
『人は成長し、成熟する。その過程の仕方は、人により違う』

氏が言いたかったことは、「人が生きる力、それを美術(絵画)は表すことができる、多くの人に伝えることができる」ということでしょうか。


山下清は、大正11年の生まれ。
氏の健在の母親がそうであるように、私の母親も同い年の生まれでした。

母親から聞いた山下清の話が、氏の今日の話により、私の子供の頃をぐるっと回想されて、なんともいいがたい浮揚感をもったひと時でした。
三頭谷鷹史さん、今日は本当に、ありがとうございました。
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総合体育館オープニングイベント 小学生長なわとび大会

2011年03月05日 16時17分17秒 | 自転車
今日は市制90周年記念イベントである総合体育館オープニングイベント “小学生長なわとび大会” を見てきました。
風もなく暖かい日射しに包まれて、家から自転車で。
12キロの距離を45分かけて新築された総合体育館に着きました。

最初に目に入った駐輪場に愛車をとめて、立派な建物の周りをぐるっと廻って体育館の入り口にたどりつき、建物の中に入りました。
ちょうど、市内の小学校の児童の対抗戦が始まったところです。
ルールは5分間でどれだけ多くの回数を飛べるかです。
それぞれの小学校の選抜チームが2回ずつ飛んで、多い方の回数で競います。
私がいた時の最高は二百二十何回を飛んだ小学校が、暫定で1位でした。
子供たちの真剣な明るい笑顔を見るのは、嬉しいものです。

この体育館の活用をすすめて、市内のみでなく近隣の市町村も合わせて、地域の住民の健康促進、余暇活動に貢献し、ひいては全国規模の大きさであるとのことで、市民の誇りとして、成長していってくれることを楽しみにしています。
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