今日は一宮市三岸節子記念美術館での「美術の学校」の3回目を聞いてきました。
今日の講師は、名古屋造形大学教授の三頭谷鷹史(みずたにたかし)さんです。
お話されたテーマは、「山下清の実像 障害と美術」です。
氏の話は、まさに情熱の語り。
『人は成長し、成熟する......』
氏の話は、“アウトサイダーアート”の日本の源流「山下清」の話です。
まずは、氏は、『山下清』のイメージは、と生徒に向かってやさしく語りかけます。
『素朴、純粋、お人よし』、これが大方の人の、山下清のイメージでしょうと。
そうです、私のイメージもまったくそうです。
けれども氏は、続けて言います。
『この3つとも、現実は違う』と。
氏が言うには、山下清は『怒りと悲しみを多く味わった人』、『心の闇を持ち、ある種の屈折を抱えた人』、そして、『心の闇を、暴力と盗みによって発露した彼の少年時代を、彼自身の力で超えた人』、『超える能力と努力があった人』
氏が言うには、『山下清は、めったに笑うことがない人。でも食べ物を前にして、にそっと笑ったかもしれない人』
氏が言うには、『山下清は、子供時代からの“いじめ”からの逃げ場として、原っぱがあった人』
「見る」、「触る」という、視角のみならず触覚も交えて山下清は絵を創り、『見聞きしたことを、貯めて溜めて、思い出しながら“記憶画”として表出した人』
『山下清は、3年前のことは大体覚えていて、1年前のことは、時間までも覚えていた人』
『山下清は、「人間は死ぬと生まれかわるというけれど、形が生まれかわるのか精神が生まれかわるのか、それとも生まれかわるというのは嘘ですか」と一生考えた人』
『山下清は、繰り返し同じ問いかけを周りの人にして、いろんな答をもらい、みんなの答を溜めて、想像力を働かせて、たえず深く考えた人。それが、彼の“人となり”を創った』と。
氏の話は、最初から最後までビビッドな語り口、そして暖かい包容力、人間賛歌の心持ちが、印象的でした。
山下清の成長成熟を、山下清の作品の移り変わりの映像とともに、その語りは、説得力のある話でした。
『山下清が、体ごと丸ごと考えて生きた軌跡。一番はっきりと表れているのは、彼が作った絵画』
それは、『「美術は役に立つ、重要である」と、改めて思い知らされた』と。
『人は成長し、成熟する。その過程の仕方は、人により違う』
氏が言いたかったことは、「人が生きる力、それを美術(絵画)は表すことができる、多くの人に伝えることができる」ということでしょうか。
山下清は、大正11年の生まれ。
氏の健在の母親がそうであるように、私の母親も同い年の生まれでした。
母親から聞いた山下清の話が、氏の今日の話により、私の子供の頃をぐるっと回想されて、なんともいいがたい浮揚感をもったひと時でした。
三頭谷鷹史さん、今日は本当に、ありがとうございました。
今日の講師は、名古屋造形大学教授の三頭谷鷹史(みずたにたかし)さんです。
お話されたテーマは、「山下清の実像 障害と美術」です。
氏の話は、まさに情熱の語り。
『人は成長し、成熟する......』
氏の話は、“アウトサイダーアート”の日本の源流「山下清」の話です。
まずは、氏は、『山下清』のイメージは、と生徒に向かってやさしく語りかけます。
『素朴、純粋、お人よし』、これが大方の人の、山下清のイメージでしょうと。
そうです、私のイメージもまったくそうです。
けれども氏は、続けて言います。
『この3つとも、現実は違う』と。
氏が言うには、山下清は『怒りと悲しみを多く味わった人』、『心の闇を持ち、ある種の屈折を抱えた人』、そして、『心の闇を、暴力と盗みによって発露した彼の少年時代を、彼自身の力で超えた人』、『超える能力と努力があった人』
氏が言うには、『山下清は、めったに笑うことがない人。でも食べ物を前にして、にそっと笑ったかもしれない人』
氏が言うには、『山下清は、子供時代からの“いじめ”からの逃げ場として、原っぱがあった人』
「見る」、「触る」という、視角のみならず触覚も交えて山下清は絵を創り、『見聞きしたことを、貯めて溜めて、思い出しながら“記憶画”として表出した人』
『山下清は、3年前のことは大体覚えていて、1年前のことは、時間までも覚えていた人』
『山下清は、「人間は死ぬと生まれかわるというけれど、形が生まれかわるのか精神が生まれかわるのか、それとも生まれかわるというのは嘘ですか」と一生考えた人』
『山下清は、繰り返し同じ問いかけを周りの人にして、いろんな答をもらい、みんなの答を溜めて、想像力を働かせて、たえず深く考えた人。それが、彼の“人となり”を創った』と。
氏の話は、最初から最後までビビッドな語り口、そして暖かい包容力、人間賛歌の心持ちが、印象的でした。
山下清の成長成熟を、山下清の作品の移り変わりの映像とともに、その語りは、説得力のある話でした。
『山下清が、体ごと丸ごと考えて生きた軌跡。一番はっきりと表れているのは、彼が作った絵画』
それは、『「美術は役に立つ、重要である」と、改めて思い知らされた』と。
『人は成長し、成熟する。その過程の仕方は、人により違う』
氏が言いたかったことは、「人が生きる力、それを美術(絵画)は表すことができる、多くの人に伝えることができる」ということでしょうか。
山下清は、大正11年の生まれ。
氏の健在の母親がそうであるように、私の母親も同い年の生まれでした。
母親から聞いた山下清の話が、氏の今日の話により、私の子供の頃をぐるっと回想されて、なんともいいがたい浮揚感をもったひと時でした。
三頭谷鷹史さん、今日は本当に、ありがとうございました。