のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

アート実験、みつどもゑ(田舎アートのシンポジューム)

2016-12-06 | 展覧会

お誘いを受けて、行ってきました。

現代美術作家(つくる) を集め、

各作品をひとつの要素と見做し(乞わす)

古民家に一つの作品として配置する(うみだす)

というアート実験。

 

大阪府熊取町、重要文化財中家住宅

部屋の内外にこんな展示がありました。

 

0

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ペーパーインアート展開催です

2016-12-04 | 昔の私とご対面

12月3日、オープンしました。

 

紙を使った作品。紙の上に描く。をコンセプトに集まった作品展です。

面白い作品がたくさんあります。

 

紙の上にそのまま青写真を定着させたものや、写真とドローイングを組み合わせた作品、

包装紙にそのままドローイングして紙のしわをうまく利用した作品があったり、

白い水引を使って立体線描して創った天使の羽。

かわいい子供を童話風にえがいた作品、

漆黒の重厚な写真、

段ボールを使って力強い人体を画面いっぱいに描いたもの、

小さな絵札に面白く糸細工を施したかわいい小品達。

本をそのまま焼き物にした作品、

そして圧巻は、自称「18歳未満お断り」のエロチックロマン。

 

私は、ナウイズムを意識して新聞紙を使った作品です。

 

オープニングパーティでは。

ベリーダンスの披露もあって

集合写真もとりました。

百聞は一見にしかず

興味ある方は是非、足をお運びください。10日(土)、11日(日)は会場にいます。

  

 

クリックして拡大できます。

コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

神ってる話

2016-12-03 | のしてんてん絵画を知っていただくために

先日紹介しました、2005年全興寺第7回個展(いまこのとき)の忘れがたい顛末。

書こうと思っていた矢先に「神ってる」報道。これ以上のタイミングはありません。神ってます。

というより、まあ聞いてください。

こんなふうに、作品に細い足を付けて、地面に立たせる野外展。すでにその様子は紹介しました。

これが忘れられないはじめての野外展となったのは、こんな神ってる話があったからなんです。

2005年5月3日~4日の二日間の展覧会でした。

2日に飾り付けをしてオープンしたのですが、野外に立てた作品の足をよく見ていただくと分かるのですが、簡単な金具で止めただけのものです。

その時はただ野外に展示することだけしか考えておらず、天候のことは意識にものぼっておりませんでした。

設置して、翌日オープン。まずまずの滑り出しです。

しかしその日の夜でした。展示作品をそのままにして帰宅。寝ようとしたその時、春の嵐が来たのです。外はがたがた何かが揺れる音。雨はなかったものの、嵐のような風が吹き荒れています。全興寺の境内に立てた作品のことが真っ先に頭に浮かびました。

その心配で夜も眠れません。作品がとんで、大変なことになっている!!

家から寺まで行く手段もない。頭の中は風の中で飛び回っている作品。後悔と己のしでかしたことへの自己批判。

一睡もしないで(寝たかも知れない)始発に飛び乗って寺に向かいました。家から2時間弱、嵐の後の惨状で頭がいっぱいで、電車の中を走りたい気分です。

平野駅について、全興寺まで20分。

歩く道すがら、歩道の看板が倒れていたり、植木鉢が転がっています。あの作品に風を受けたら、ひとたまりもなく飛んでいく。私の肝は冷えっぱなし。昨夜の嵐はここも同じだったのだ。

私は覚悟を決めて全興寺の境内に駆け込みました。

 

神ってたのです。

私は茫然としました。その次に安堵の気持ちが来て、この神ってる光景に感謝して、作品を抱きしめました。

寺の境内に立てたこの作品たちは、何事もなかったように、みな無事で立っていたのです。

そんな馬鹿な。寺の参道の、しっかり立てた看板ですら倒れていたのに、ここは全く平然としていたのです。

不祥事を起こさないで済んだ。

私はただ感謝するしかありません。誰に?お寺が守ってくれた?とにかく私は手を合わせました。

その日の天気は最悪で、雨も降りました。

雨対策は考えていましたので、降りだすと作品にビニール袋をかぶせ、大作は屋根の下に避難させました。

風も出てきて、今度は倒れる作品も出てきました。観客教えてくれますので、その度に雨の中手直しに走ります。

夜中の嵐に耐えた作品たちが、私が来るや、たいした風でもないのに倒れる。

これだって神ってるじゃないの。

 

私は初めての野外展で、自分の迂闊さを腹に穴が開くほど意識して、助けられる喜びをかみ締めました。

神ってる寺に助けられた作品たちの

お話しでした。

 

 

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

自然の中の絵画(3)

2016-12-02 | のしてんてん絵画を知っていただくために

2005年全興寺第7回個展(いまこのとき)

 

はじめて作品を外に出した、第一回野外展 の様子です。

御住職から、「作品に外の空気を吸わせてみたら」と薫陶を頂き、一年かけて考えた末実現したものです。

作品は室内で観る。この思いは私の中で疑いようもない既成概念でしたし、そのことに一抹の疑問も浮かんできたことはありませんでした。

今から思えば、井戸の中にいる蛙のように、その中にいることはあまりにも当たり前すぎて、外にある世界は夢にも現れない、私にとって存在しない世界だったのです。

 

御住職の言葉は、驚きでした。

正確に言えば、驚きと同時に、その言葉が私の心に突き刺さった。その一瞬に外の世界に気付かせて頂けたのです。

 

気付きというのはいい意味で恐ろしい力を持っています。

私はその時、一瞬で野外展の素晴らしさを理解しました。つまり、それまで暗黒の無に包まれていた世界に光があたったということです。突然新しい世界が目の前に現れるのです。

私の心はそう叫んでおりました。

 

作品を外に出すにはどうしたらいい?

考えることはそれだけでした。すでに世界は見えているのです。その思考は楽しいものでしたし、ほどなく、己の姿を見て「作品にも足を付けたらいい」と思い至りました。

そして、こんな展示となりました。

 

 

 

1 

2

3

4

5

6

7

8

8-2

9

10

11

12

13

14

15

16

この作品は、立っているところから見える風景をそのまま写実したもので、ある一点から見ると、作品と風景が重なり、キャンバスが透明のガラスになったように見えます。

 

それにしましても、この全興寺第7回展は、忘れられない展示となりました。その顛末は次回にいたしましょう。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

我が家の記念日

2016-12-01 | 昔の私とご対面
2005年、当ブログを開設して、初めて我が家の記念日を取り上げたのがこの記事。
2006年のことでした。↓
------------------------------------------------------
 
2006-12-03 | 写真
 
我が家の結婚記念日(21年目)
結婚式に使ったキャンドルを毎年灯して、こんなに短くなりました。
今年は思いがけないシクラメンの贈り物が華を添えてくれました。
毎年キャンドルと共に家族の集合写真を撮っています。

お父さんそれだけはとみなに取り押さえられ、UP写真は人物抜き。
 
------------------------------------------------------
 
それから10年たって、ローソクはこんなになりました。↓
 

刻まれた経年数字がなくなったので、手書きの30 今日から31年目に入ります。

 

 

もともと入っていた箱に入れると、過ぎ去った時間が見えます。

毎年、この日に灯をともして、御馳走をつくる。ローソクを囲んで家族の集合写真が恒例行事。

 

 

続ける事、それがしあわせの秘訣だと、若い人たちには伝えたい。

 

 



コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

たまごを描く

2016-11-30 | のしてんてん絵画を知っていただくために

これ、なんだかわかりますか?

たまごの殻ですが、実はちょっとした思いがあって、やってみた造形です。

 

たまごは、最も単純化したいのちの箱。

そんなとらえ方で、私はよく絵の主題に使います。

たまごの殻は、まさにいのちを育む箱として、その中に卵胞を蓄え、成長するまで外気から身を守っているのです。

中身が成長すると、己は壊れることで役目を終える。

その形も神秘的です。

絵心を刺激される所以ですね。

 

ところで、表題の写真は、身近にあるたまごを、もっとよく知りたいと思って始めた実験で、最終的には、そのたまごで作品をつくるという考えがありました。

 

具体的には、こういうことです。

一体私たちはどれだけたまごと接しているのか、それを視覚的に表現して見ようという試みです。

 

2001年11月からほぼ2か月間、我が家で食べたたまごの殻を、日付を入れて並べ始めたのです。

このように、使用済みのたまごの殻に日付を入れて、単純に並べていくという作業です。

一体どれほどになるのか、正直あまり具体的なイメージが見えていませんでした。

我が家は一日1~2個くらいで、特に多すぎるとは思えません。おそらくどの家庭でもそんな程度ではないかと思います。

家人に疎まれながら、とにかく2か月続けた結果がこれ。

 

 

 

 

ひとつの造形作品としてご覧ください。

この造形は、想像できませんでした。これが2か月分(4人)ですから、1年だとこの6倍の面積、

床に敷き詰めると、家の中は足の踏み場もないことになる。

 

無精卵とはいえ、私たちはこれだけの命を頂いて生きている。60年生きたら、この360倍の面積をたまごの殻が埋め尽くす。

生きるということは少なくともこういうことなのですね。

 

人が生きていくために犠牲になる命は尋常ではない。

この命を頂いている私たちは、感謝してしつくすことのない恩恵を、今もこの世界から受けているのですね。

けっしてひとりで生きているのではないということでしょう。

これは、ペットボトルの上にたまごを立てた写真です。背景は私の絵。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

自然の中の絵画(2)

2016-11-29 | のしてんてん絵画を知っていただくために

 2007年(全興寺第9回展)の野外展です。お好きな画像をクリックして大画面でご覧ください。

 (キャンバスに鉛筆)

杜と共に遊ぶ野外展、風と太陽が一緒になって、画面に葉影を躍らせてくれます。移ろいの中で呼吸する絵画。

 1   2   3 

 4   5   6  

  7  8   9 

 101112  

 1314 15   

 1617 18    

 1920 21 

 2223 24 

 2425 26  

 

杜の洗濯物、内心そう呼んでいました。

 

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

自然の中の絵画

2016-11-27 | のしてんてん絵画を知っていただくために

長い個展歴の中で、一番幸せだったのが、2006年、第8回全興寺個展でした。

全興寺の境内にある自然と共に息をする作品をイメージして展示したものです。前年の展示は雨で大変なことになたのですが、めげずにやった2年目は5月のさわやかな風が吹き抜けました。

のしてんてん絵画は、環境の中で生きる。

もちろんそう思って制作しているわけではありません。

ただ、己というのも一つの環境だと考えれば、その環境をベストに活かそうとするコンセプトは、おのずとそうなっていくのではないかと、最近思うようになりました。

 

野外展の自然と作品を見てやって下さい。

 

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

 

のしてんてんの目指す絵画は、環境とともにあること、

その理想は、人の心と共にあること。人の自然に寄り添うこと。

 

 

 

 

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

アートインペーパー 紙による絵画造形展

2016-11-27 | 展覧会

12月3日から、ギャラリーシステマで、面白い展覧会が開かれます。18日まで。

ただしその間の土日だけです。つまり平日はお休み。

  

 

(表)(裏)

 

 

紙を使って何をしてもいいというコンセプト

それだけで作家は奮い立つ。

 

自由を与えられて、案外自由を自分のものに出来る人は少ない。

 

この花を描けと言われればなんの苦も無く描けるが、

なんでもすきに描きなさいと言われると、何描いていいかわからない・・・・。となる。

仕方なしに何か描いてみても、それが正しいのかどうかと考えて、いつまでたっても自問自答の解決しない堂々巡りを繰り返す。本当に何を描きたいのかわからない。

 

自由とは結局、どうやって自分を納得させるかに尽きる。

これだ!という魂の叫びみたいなものと出会うと、自由は大きく生きてくる。

つまり、創作の深さは、その納得のさせ方に現れる。

自分で自分をどう納得させられるかにかかっているのだ。

その納得する次元は様々ある

 

低次元には、無理やり自分を何かの形にはめ込んで納得する方法がある。塗り絵のようなものだ。

どこかでもやもやした気持ちがあっても、何をしていいのかわからなくても、とりあえず教えられた形に自分をはめ込んで、恰好だけはつける次元と言ってもいいだろう。

 

高次元では、自分の形をつくりあげて納得する。独自のスタイルを確立するということだ。

何をしていいのかわからないという心をごまかさず、そこで納得しなかったら、苦労はあるし、いばらの道と思うこともある。しかし通りすぎたものだけが独自のスタイルに出遭うことが出来る。そしてそのスタイルに納得する次元である。

 

そして、

超次元がある。そこではでは、己のすべてを投げ出す。実在(自由)を好きなようにさせるやり方だ。何かを創造しようとうのではなく、なにかになる。己自身になろうという意識だ。

そこでは生きることが作品となる。今この瞬間が作品そのものという訳だ。

己を100%受け入れ、己のやりたいことを、やりたいようにやる。爪の先まで自由な己とともにある。究極のナウイズムがそこにある。

 

 

紙という土俵の上で自由を与えられた。

ときめかない作家はいない。皆自由を求めているものたちだからだ。

 

だから面白い。

自由と遊ぶ姿が、集まってくる作品から飛び出して踊り出すような展覧会。

 

そんな夢想をしながら

私も今、せっせと作品を創っている。

 

どんな作品かだって?

ナウイズムだよ、ナウイズム。

きっと、しょうもない作品で^す^

 

 

 

 

 

コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加

バイオ研究秘話

2016-11-26 | 日記

実は、先日の京都散策にもう一つ話があります。

枯れ扇

黄色いままで

横たわり

 

なのですが、あの日、びっくりして、私の妄想に火がついた訳です。

京都市美術館から、疎水を遡り、南禅寺、哲学の小路、銀閣寺とまわり、

そこから京阪出町柳駅まで歩いた道程のことでした。

 

途中にそれはあったのですが、

歩道を見てまずびっくりしました。

そこに巨大なイチョウの葉が落ちていたのです。

気付くと、葉っぱは、歩道と車道の間に植えられた街路樹。それがイチョウの木だった訳です。

「なんだこれ」

連れ合いもびっくりしておりましたが、その通りのイチョウはみな幅20センチに届こうかという大きな扇をしています。

拾って帰り、近所のものと比較してもこのとおり、鉛筆の左右で、大きさの違いがっ分かって頂けるでしょう。

「どうして??」

驚きと疑問がわいてきたときです。

歩道の左手に門があり、そこに、京都大学農学部のプレートが私の目に触れたのです。

 

そこから京大の全体像はわかりませんが、妄想が動きはじめました。

 

農学部がひそかに植物巨大化研究をしているのではないか。

その巨大化肥料の匂いを察知して、街路樹たちは地下深く京大キャンパスに向けて根をはって行った。

秘密裏に行われている研究を、

実はこのイチョウの葉が暴露しているのではないか。

 

その内に、巨大な銀杏がなり、中から新生物が生まれてくる。

この大きな葉っぱはその前兆ではないのか。

 

妄想が頂点に達した頃合いを見計らったように、向かいからおばあさんが歩いてきた。

私が挨拶代りにイチョウの葉の話しをすると、おばあさんは、笑いながら教えてくれました。

 

「イチョウの若い木は大きな葉っぱをつける」

京都に嫁いできて50年というおばあさんは、この通りのイチョウの変遷を語り、健康のための散歩にまで話が及んで別れました。

 

「聞かなければよかったね」

連れ合いが言います。妄想が白紙に戻ったのを笑うのです。

 

「もしかしたら、あのおばあさんは、真実に気付かせないためのロボットだったてことない?」

 

 

 

 

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

コスモスの話し

2016-11-25 | 日記

トンチンカンで咲かないコスモスを育ててしまった話 に対して、

いろいろ慰めのコメントを頂きました。

そのお礼も込めて翌日、おかげさまで、私自身が成長した話し を書きました。

 

その記事に対して、昨日貴重なコメントを頂きました。

私の思い至らなかった点を教えていただいたのですが、これは皆さまと共に共有する価値のあるご意見だと思いましたので、抜粋して紹介したいと思います。

 

それは、(人生の素人)さんから、農学を学ばれた知識に基づいたこんなコメントです。(抜粋)

-----------------------------------------------------

  「花をつけ、種子を結ぶ。新たな遺伝子の組み合わせを作ること”だけ”が生物の目的ではありません。実際に、危機を迎えるまで子孫を残さず、現状の繁栄を維持する生き物は多い。」

 確かにこのコスモスたちは、「街灯の明かりで、花をつける可能性を失った」かもしれません。

 でも、それは彼らにとって「それが有効だと感じたからの選択」です。
 ずっと日が指しているなら
 「ずっと昼の状態で生きて繁栄することが、今の最善の一手」
 そう感じて彼らは、選択した…今まで幾度とない絶滅の危機を乗り越えた彼らの一手。


 コスモスたちは、花をつけるチカラは失ったかもしれないけれど、「その環境で最善の選択をした。」

 花を咲かせる、命の輝きともいえる営みが見れないのは悲しい事かもしれません。
 

ここからは妄想ですが(失礼を)
 でも、今の彼らはいわば”長い夏を謳歌している”かもしれません。今こそこの光エネルギーを糧に勢力拡大の時だと。
 もしかしたら、彼らは街灯の光エネルギーを糧に冬を真正面から乗り越える気かもしれません汗。

 そして最近のあなた様のナウイズムを齧らせていただけるのならば

 「彼らは”今の最善の選択”をした。」
あなた様の優しさも考えも素晴らしい。


 その上で
 「コスモスたちは、あくまで目の前の今から、生き方を自分たちで決めた。」

 だから、ご自身を責めすぎないでください。こうした記事との出会いや、あなた様の反省も含めて本当に価値があると思っている方々が大勢いらっしゃるのですから

--------------------------------------------------

自分を責めているわけではないのですが、私は作家としての、己の中にある未開花のつぼみのもどかしさを、コスモスに重ねてしまったのかもしれません。

慰めと励ましをありがとうございました。


ところで、私が皆様と共有したいと思うことは、

植物は、いかなる環境の中に置かれても、「その環境の中で最善の選択をしている。」ということを教えていただいたことです。

次郎物語の岩を割る松の話しもそうでしたが、自然の中にある植物はみな、そうやって、自分の置かれた運命を受け入れ、喜んでその運命から最善を選んで生きて行こうとしているのですね。

それが自然の力なのでしょう。

不自然な己の意識から見れば、花を咲かせないコスモスはさどかし己の運命を呪い悲しんでいると見る。

しかしその悲しみは、コスモスのものじゃない。

私自身が、勝手につくり出したもどかしさや悲しみだったわけですね。

 

そしてこれはとても重要な学習となりました。

私たちが心に生み出す苦しみや悲しみは、実はこれと全く同じなのですね。

自分に対する苦しみや悲しみは、

自分の中にある自然を、己の不自然な意識が勝手に辛いと思い込んだ結果だということを教えてくれているのです。

 

こうした気付きはとても難しいことですが、こうしてご意見を頂きながら心を見つめていますと、人はけっして一人ではないということを実感いたします。

どんな些細なことでも、心がつながれば、人としての新しい気付きが生まれる。私の気付きは皆さまの気付きとなり、互いの気付きは新たな気付きを生む。

コスモスがこんなことを教えてくれるなんて、

思いもよらないことでした。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

土と色ーひびきあう世界ー京都展

2016-11-24 | 日記

素晴らしいものを見せてもらいました。(同展は11月27日まで)

解説なしで紹介します。

主宰者のメッセージ------------------------

 

----------------------------------------------

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

 16

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

伊藤若冲・南禅寺・哲学の小路・銀閣寺

2016-11-23 | 日記

伊藤若冲展のチケットが手にはいり、行ってきました。

天気は上々。

右が京都市美術館。疎水にかかる橋からの眺めです。↑

これは?↓ 

疎水の流れを天地逆にしたイタズラです。

平日と思いきや、美術館の中は超満員。絵の前は3重の人垣で動かない。120点を越す作品にこれほど人が群がるかと思うほどのにぎわいでした。

若冲の絵 は、日本画の枠を超えた自由さがあって、とてもよかったです。筆致を追っていると、若冲の宇宙観が見えるようでしたし、息遣いが伝わってくるようでした。

作品と向かい合うと、込み合う群衆も気にならないほど、心を遊ばせてくれる力を感じました。

 

のどかな散歩日和。

美術館を出て、疎水を遡り、岡崎の船溜まりから南禅寺に向かう途中こんな風景が。

このレールは舟を乗せて、高い位置にある琵琶湖疏水に舟を運ぶためのものがったとか。

「全長582mの世界最長の傾斜鉄道跡で、高低差約36メートルの琵琶湖疏水の急斜面で、船を運航するために敷設された傾斜鉄道の跡地」


南禅寺の山門を入いると、

 紅葉が、地面を埋め尽くしている。

そして天を仰げば、

そして今日一番きれいだった風景。

池の中は枯れ蓮です。↑

そして細くなった疎水を右に見ながら、哲学の小路。

こんな光景に思わずニコリ。↓

犬のぬいぐるみ家族がのんびり疎水に釣糸を垂らしている。

小春日和の昼下がり、

作品制作を忘れて、今、この時、この瞬間を満喫して、ナウイズムを実践。

満たされました。

銀閣寺参道を横目にそのまま出町柳まで歩いて、京阪電車。

ほぼ11時間の旅でした。

 

実は、若冲を見て、その出口に、「土と色」特別展がひらかれていました。撮影可でしたので、取材してきました。若冲に敗けない素晴らしいものでしたので、これは次回紹介します。

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

ナウイズム旗揚げ展のお知らせ

2016-11-22 | ナウイズム(実在主義)

(清須市 はるひ絵画トリエンナーレ アーティストシリーズ 81~83)

--------------------------------------------------------

2017年2月6日(水)~2月26日(日)

清須市はるひ絵画トリエンナーレ アーチィストシリーズVol.83

北籔 和展

会場:清須市はるひ美術館  (愛知県清須市春日夢の森1)

------------------------------------------------------ 

はるひ美術館アーティストシリーズのチラシが送られてきました。

(クリックで拡大できます)

 自分では書けない、のしてんてんの解説を、学芸員さんが名文で書いてくれました。心が引き締まるような思いで、ありがたく真摯に受け止めたいと思います。

 

観覧料200円ですが、招待状もいただきましたので、ご用命の方はメールにて連絡ください。チラシと招待状をセットでお送りいたします。

厳冬の2月。

制作に10年をかけた21メートルの絵画、「五次元ナウイズムの世界」、今も最終章4枚組作品制作中ですが、会期中は、出来立てのほやほやを展示いたします。

見て頂けたら幸せです。

(表)   (裏)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

コスモスを引きずって

2016-11-21 | 日記

闇を奪われたコスモスたち。

 

めげた私の記事に、励ましのコメントを頂きありがとうございました。

 

私ばかりか、コスモスにまで気遣いしていただきましたし、人の心の危うさを共感するお便りもうれしかったです。

 

逆境の中、今も立っているコスモス姫、今朝撮った写真もへたくそで弱々しく映ってしまいましたが、実際はもっとイキイキとしているのです^よ^。

 

それにしましても、一種の罪悪感を感じておりましたが、いただいたコメントを読ませていただいているうちに、その罪悪感もヒトのおごりだと気付かされました。

 

この世に無駄なものはない。

このコスモスたちも無駄に生きているのではないのですね。

彼らは懸命に、生まれた環境の中で生きている。

 

哀れむのではなく学ぶことが大切だと、教えていただきました。ありがとうございます。

コスモスが教えてくれる声に、真摯に耳をかたむける。

それが植えた者の責任だと痛感いたしました。

 

 

ふと、子供時代に見ていたテレビドラマ「次郎物語」の主題歌の一節が頭をよぎりました。

便利なもので、そう思ったらすぐ調べられるネット社会。

うろ覚えの歌詞が、すぐに出てきました。


 一 ひとりぼっちの次郎はのぼる
   ゆらゆらゆらゆらかげろうの丘
   ひとりぼっちの次郎はのぼる
   ぴいろろぴいろろひばりの峠
   次郎 次郎 みてごらん
   松の根は岩をくだいて生きて行く
 二 ひとりぼっちの次郎はころぶ
   ちらちらちらちらこな雪のあぜ
   ひとりぼっちの次郎はころぶ
   つんつんつんつん凍った堤
   次郎 次郎 みてごらん
   白鳥は風に向かって飛んで行く
 三 ひとりぼっちの次郎はかける
   ほうろろほうろろふくろうの森
   ひとりぼっちの次郎はかける
   からからからから落葉の林
   次郎 次郎 みてごらん
   北極星はじっとひとりで光ってる

 

この1番の歌詞の最後にある

「松の根は岩を砕いて生きていく」

という1節は、子供時代の私の心に沁み込んでいて、今も私の生きる指針になっています。

このコスモス姫たちも、そうして生きているのですね。

 

思いだしついでに、岩を砕く松の話し、下村湖人「次郎物語」から紹介しましょう。

岩に根を下ろして立っている松を見て、叔父が次郎たちに語るこんな1節を引用します。

---------------------------------------------

 「あの松の木だ。何百年かの昔、一粒の種が風に吹かれて あの岩の小さな裂け目に落ち込んだとする。それは、その種にとって運命だったんだ。 

 つまり、そういう境遇に巡り合せたんだね。  

 そんな運命に巡り合わせたのはその種のせいじゃない。

 種自身では、それをどうすることも出来なかったんだ。   

 どうすることも出来ないことを恨んだりしたって何の役に立つものではない。  

 それよりも、喜んでその運命の中に身を任せることだ。」

 「身を任せるというのは、どうなってもいいと言うんじゃない。その運命の中で気持ちよく努力することなんだ。それが本当の命だ。  

 あの松の木の種には、そういう本当の命があった。だから、ついには運命の岩をぶち破り、 岩をつき抜けて根を地の底に張ることが出来たんだ。  

 芽をだしたばかりの松は、どんなに力んでみてもすぐには、岩は割れない。岩を割る力は幹の堅さではなくて、命の力なんだ。じりじりと自分を伸ばしていく命の力なんだ。だから、運命に勝ちたければ、じりじりと自分を伸ばす工夫をするに限る。  

 勝つとか負けるとか言うことを忘れて、ただ自分を伸ばす工夫をしてさえ行けば、それが勝つことになるんだ。  

 自分を伸ばすためには先ず運命に身を任せることが大切だ。岩の割れ目で芽をだしたら、割れ目を自分の住家にして、そこで楽しんで生きる工夫をするんだ。それでこそ、本当に自分を伸ばすことができるんだ。  

 運命を喜ぶものだけが正しく伸びる。そして、正しく伸びるものだけが運命に勝つ。 そう信じていれば間違いはないね‥‥」 

------------------------------------------

今読んでも教えられる。

成長していないと言われればそれまでだ^が^

 

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加