昨日見に行った市博物館と隣の妙興寺公民館で行われた民俗芸能公演の2演目目です。
市内北方町で保存されている“ばしょう踊”。
少なくとも天保14年(1843年)には踊られたという“ばしょう踊”。
400余年前の織田信長の岐阜城(稲葉山城)攻めの際に始まったと伝えられています。
一年の月数を意味する十二本に割り裂かれた高さ約3メートルの竹には、一年の日数を意味する三百六十五枚の長方形の紙が飾られています。
踊りは1人の武将と2人の鉦擦りが1組となり、4組出るそうですが、今日は武将が4人と、鉦擦りが6人。
小学生の女の子の鉦擦りは、塾での勉強で、全員が集まることができなかったようです。
郷土の伝統を保存するにも、今の時代、なかなか難しい問題があるようです。
市内北方町で保存されている“ばしょう踊”。
少なくとも天保14年(1843年)には踊られたという“ばしょう踊”。
400余年前の織田信長の岐阜城(稲葉山城)攻めの際に始まったと伝えられています。
一年の月数を意味する十二本に割り裂かれた高さ約3メートルの竹には、一年の日数を意味する三百六十五枚の長方形の紙が飾られています。
踊りは1人の武将と2人の鉦擦りが1組となり、4組出るそうですが、今日は武将が4人と、鉦擦りが6人。
小学生の女の子の鉦擦りは、塾での勉強で、全員が集まることができなかったようです。
郷土の伝統を保存するにも、今の時代、なかなか難しい問題があるようです。