日々の覚書

MFCオーナーのブログ

虹をつかもう

2011年07月03日 01時05分01秒 | 本と雑誌

Rainbow

前回の記事にも書いたが、レコードコレクターズ6月号の特集はレインボーだった。初代ボーカリストのロニー・ジェイムス・ディオの一周忌を迎えたこと(しかし、キャンディーズのスーちゃんもだけど、亡くなってしまったミュージシャンやアイドルがあまりにも多いのに、今さらながら驚いている)、そして近頃レインボーの2ndアルバム『虹を翔ける覇者』のデラックス・エディションが出たこと、などが特集を組むきっかけになっているのだろう、とは思うけど、でもやっぱりレココレでレインボーの特集なんて意外である(しつこい)。

それにしても、この『虹を翔ける覇者』のジャケットは素晴らしい。古典的で格調高く、アートの域に達していると言ってもいい。後年の様式HR系のバンドたちの仰々しいジャケットの先駆、と言えなくもないが(笑)、その音楽性と共に、レインボーが様式HRに与えた影響は大きいと思う。

このレインボーいや、ブラックモアズ・レインボーの『虹を翔ける覇者』は衝撃的だった。時は1976年初夏(僕はずっと、このアルバムが出たのは1976年の秋と記憶していたが、実は初夏だったらしい)、ミュージック・ライフ誌の広告で芸術的なジャケットを見て衝撃を受け、FMで「タロット・ウーマン」を聴いて、さらに衝撃を受けた。今でこそ、『虹を翔ける覇者』といえば、「スターゲイザー」か「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」という事になるのだろうが、あの当時ラジオでよくかかっていたのは、なんといっても冒頭を飾る「タロット・ウーマン」だったのである。今にして思えば、B面の2曲はラジオでかけるには長過ぎたのだろうけど(笑)、とにかく「タロット・ウーマン」カッコ良かった。深く潜行するイントロのシンセ、そこに鋭く切り込んでくるギターのリフ、それだけでもゾクゾクするのに、加えてドラムのフィルがなだれ込んできたらもうたまらん、中学生だった僕はその場で昇天してしまったのである(笑) ロニーの迫力ある歌いっぷりも良かったな。僕だけでなく、日本中のハードロック少年たちの心を一気に鷲掴みにした一曲と言ってよかろう。ま、とにかく、『虹を翔ける覇者』は衝撃的だったのである。

ブラックモアズ・レインボーといえば、『虹を翔ける覇者』も名盤だけど、個人的には1stの『銀嶺の覇者』も非常に好きである(というか、実は『バビロンの城門』以降のアルバムは、どうも好きではない)。ご存知の通り、パープルを辞めたリッチー・ブラックモアがロニー・ジェイムス・ディオらとレインボーを結成しての第一作な訳だが、基本的にはパープル系統のハードロックだけど、割とバラエティに富んだ内容で、飽きることなく聴けるアルバムである。いかにもリッチーみたいなタイトル曲、初めてロニーと共作したという「16世紀のグリーンスリーブズ」、美しいメロディの「虹をつかもう」、といった有名曲はもちろん、パープル時代にレコーディングを提案するも却下されたという「黒い羊」、珍しく3拍子の「自画像」、アコースティックな「王様の宮殿」(狐年のある日、という歌詞がミョーに耳に残る)、といった曲も実に素晴らしい。ヤードバーズのカバーだという「スティル・アイム・サッド」も好きだ。2ndの『虹を翔ける覇者』は、とことんソリッドなハードロックを追求したアルバムだが、『銀嶺の覇者』は多様な音楽性で楽しめる。パープル脱退後のリッチーが志向していたのは、一体どちらの路線だったのだろう?

リッチーは第3期パープルの2作目『嵐の使者』を最後に、パープルを脱退する。そこに至るまでの経緯は諸説あるが、要するに、ファンキーな音楽性を持ち込もうとしたデビッド・カバーデイルやグレン・ヒューズと、ハードロックをやりたいリッチーとは、嗜好が合わなかったとする説が一般的である。レココレのレインボー特集にも、そんな事が書いてある。けど、以前、リッチーのインタビューで、「リフ→歌→ソロ、というワンパターンな展開ばかりでイヤになった」「凄く良いメロディを書いたんで、これはスローな感じにしよう、と言ったのに、結局今までと似たような曲に仕上げられてしまった」等の発言を見た事があり、これだと、ハードロックから脱却したかったのはリッチーなのに、周囲がそれを許さなかった、という風に受け取れる。実際の所、どうなのか。レココレの記事でも、リッチーは『嵐の使者』収録曲で、「聖人」「ホールド・オン」といった、自身が作曲に加わってない曲には嫌悪感を示していた、とあるが、その割にはこの2曲を聴くと、確かに今までのパープルにはなかった曲調だけど、リッチー自身も結構良いソロを弾いてたりして、本当に嫌いだったのだろうか、なんて疑問も湧いてくる。まぁ、プロなんだから、イヤでもきちんと仕事をした、と言えばそれまでなんだけどね(笑) この『嵐の使者』の場合、タイトル曲やヒットした「嵐の女」といった、いかにもパープルなハードロックも良い出来だが、前述の「聖人」「ホールド・オン」の他、リッチーがアッと驚くバッキングを聴かせる「ユー・キャント・トゥー・イット・ライト」、静かな「幸運な兵士」といった曲たちとのバランスが非常に良く、ハードロック一辺倒でないパープルの新しい側面がクローズアップされた名盤である、と僕は思っている。そして、このアルバムと『銀嶺の覇者』には、相通じるものを感じてしまうのである。リッチーは本当に『嵐の使者』が嫌いなんだろうか?(笑)

ま、真相はともかく、リッチーはパープルを脱退し、その後釜としてトミー・ボーリンが加入する。そして、またしてもパープルは名盤をものにするのだ。

Purple06

『カム・テイスト・ザ・バンド』1975年発表。最近、35周年アニバーサリー・エディションが出た。このアルバム、出た当時の日本盤の帯に書かれていたコピーが印象的だ。

“聴け!沈黙を破ったパープルのリッチーに対する解答はこれだ!”

う~む、今みても凄い(笑) 昔のレコード会社の人って、アイデアマンが多かったような気がする。しかし、確かにその通りなのだ。世間ではパープル=リッチーって事になってるけど、リッチー以外にも優秀なギタリストはいるし、そういうギタリストと組めばこれだけのアルバムが作れるのさ、って所だろうか。ギタリストはお前だけじゃないよ、なんてね(笑)

その新加入のトミー・ボーリンだが、全9曲中7曲の曲作りに加わり、すっかり実権を握ってしまった。確かに才能豊かな人だし、パープル以前にジョー・ウォルシュの後釜としてジェイムズ・ギャングに加入した時も、すぐにメインライターとなっていた。個性的な大物の後に入るのはイヤなものだと思うが、このトミー・ボーリンという人、2度もそれを経験し、しかもすかさず自分の個性を打ち出し、かつてとはイメージは変わるものの、クオリティの高い作品を作ってしまった、という点だけを見ても、やはり凄い人である。

この『カム・テイスト・ザ・バンド』、リズムが実に多彩である。色々なタイプの曲をやってる、というだけの意味ではなく、何重にもダビングされたギターが絡み合って、バッキングが様々な表情を見せているのである。リッチーとの大きな違いは、ここにあると思う。もちろん、ソロも弾いてるし、速弾きも披露してるけど、メロディというより瞬間的に閃いたフレーズを気の向くままに繰り出してくる、という感じ。ここいらもリッチーとは違う。あと、スライドを多用するところとか。

このアルバム、実は僕が初めて買ったパープルのアルバムでもある。2期も3期も最初は分からず、「ハッシュ」を歌ってるのはイアン・ギランと思い込んでいた時もあったけど(笑)、FM等で1期から4期まで一通り聴いて、いずれも甲乙つけ難い、なんて思うようになり、忘れもしない中学3年の夏、千円札3枚を握り締めて買いに行ったのが『カム・テイスト・ザ・バンド』だった。何故このアルバムにしたのかというと、周囲は誰も持ってなかったからだ(笑)

それにしても、このアルバムよく聴いたなぁ。当時、冒頭の「カミン・ホーム」のあまりのカッコよさには言葉もなかった。今もだけど(笑) 他には、「レディ・ラック」「ゲッティン・タイター」「ドリフター」あたりが好きだったな。全体的にはファンキーでもありブルージーでもあり、なんとなくアメリカ的な感触がある音である。とにかく多様。リズムやバッキングが多彩なだけではなく、ボーカルが2人いること(トミー・ボーリンも、一曲だけ一部で歌っている)、単調にならないようにアレンジに工夫を凝らしていること、等々の要素がこのアルバムを多様なものにしている。

B面の「ディス・タイム・アラウンド」は、ジョン・ロードとグレン・ヒューズの二人だけで演奏される、静かだがスペーシーな広がりを持つ曲である。これも、今までのパープルにはなかったタイプの曲だ。余談だが、栗本薫の『僕らの時代』の主人公はバンドでキーボードを担当している、という設定だが、スタジオで練習するシーンがあり、そこで「ディス・タイム・アラウンド」を演奏している記述がある。パープルのこの曲なのか、同名異曲なのか、そこいらは分からない。ただ、栗本女史の好みからすると、パープルの「ディス・タイム・アラウンド」である可能性は高い(と思う。笑)

『カム・テイスト・ザ・バンド』を発表した翌年の夏頃、パープルは解散を表明し、さらにその年の暮れ、トミー・ボーリンはこの世を去ってしまった。僕が『カム・テイスト・ザ・バンド』を買った時、既にトミー・ボーリンは亡くなっていた訳で、アルバムを聴きながら惜しいなぁ、なんて思ったりしていたものだ(生意気な。笑)。けど、4期パープルがこの後もアルバムを作っていたなら、一体どんな作品になったのだろう、なんて想像すると、やはり惜しい。

かつて、4期パープルよりプラックモアズ・レインボーの方がパープルの名にふさわしいのではないか、などという不毛な会話がファンの間でかわされていたようだが、そんな不毛な会話の元となったと思しき『カム・テイトスト・ザ・バンド』『虹を翔ける覇者』のどちらも、僕にとっては忘れえぬ名盤である。あ、もちろん、『嵐の使者』も(笑)

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7 コメント

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中学3年の夏に、リッチーがディープ・ (喜楽院)
2011-07-03 05:37:07
中学3年の夏に、リッチーがディープ・
パープルを脱退して、すぐさま間を
空けずに出たアルバム「銀嶺の覇者」。
タイトル曲と「16世紀の…」の2曲を、
その秋の文化祭で行われた「レコード
鑑賞コンサート」(笑)で、DJ喜楽院(笑)による紹介・解説とともに流したのを
よく覚えております。

当時は、どうせ、“きまぐれ・思いつきで
結成された、恐らくは超短命で終わるで
あろう、ピン・ポイントの、その場
しのぎのバンド”、といった風情・
印象だったんですけども、その
予想は、大きくハズレました。
返信する
濃い! (陰陽師)
2011-07-03 09:01:38
濃い!

この調子で今後もお願いします(は?)。
返信する
ご紹介のアルバム、どれも大好きです。 (Kuma)
2011-07-03 12:51:56
ご紹介のアルバム、どれも大好きです。
特に「嵐の支者」は、パープルのアルバムの中でも、音楽的にバラエティに飛んでるという点で、フェイバリットです。

で、オーナーさんがおっしゃられるように、
ブラックモア氏はRainbowの1stと2ndのどっちがやりたかったんでしょうね?
まあ、ライブ盤OnStageの意味合いを考えると、
コージーが加入した段階で考えが変わったのかもしれませんが・・。

あ、栗本薫の「僕らの~」シリーズも、読んでました。
返信する
「銀嶺の覇者」、「虹を翔ける覇者」の2枚は同級... (PEPPER軍曹)
2011-07-03 12:59:51
「銀嶺の覇者」、「虹を翔ける覇者」の2枚は同級生とロックバンドを組んだばかりの高校生には格好のバイブルでした。
テスト中だったにもかかわらず勇んで出かけた'76年11月の初来日コンサートで、初めて眼にしたロニーの超強力なVo。コージーの圧倒的なドラム、そして実際に目の前でギターを弾いているのが信じられないくらいの「伝説」のリッチー・ブラックモア師!
圧巻のライブでした。

「チェイス・ザ・レインボー」というタイトルでこの日本でのライブ盤が発売されると聞き、レコード屋さんで予約までしたのに発売中止になり、替わりに「レインボー・オン・ステージ」が発売されました。
そこで再現された演奏には感涙ものでしたが、曲数の少なさとタイトルにはちょっと文句の付け所が。
当時「オン・ステージ」というライブ盤のタイトルを聞くと、西城秀樹とか演歌系の歌手しか思い浮かばなかったので。(^^;)

「嵐の使者」、「カム・テイスト・ザ・バンド」のデラックス・エディション、もちろん入手済みです。
「虹を翔ける覇者」のデラエディもお金を貯めて早く買わなければ。

しかし、その前に700円を惜しんで買い逃していたレインボー特集の「レココレ」のバックナンバーも買わないと!
キャンディーズが表紙の今月号は迷わず買ったのに(^^;)。
返信する
西城秀樹といえば彼は、彼の (喜楽院)
2011-07-03 18:18:46
西城秀樹といえば彼は、彼の
後楽園球場でのライブにおいて、
実際にレインボーの楽曲を
歌唱していたような気がする。
「ロスト・イン・ハリウッド」とか、
「アイ・サレンダー」とかだったような
気がする。当時、後楽園球場で
バイトしていた私はそれをナマで
目撃していたような気がする。
仕事中だったが、「ヒデキ~~!」とか
叫んだような記憶があるのは、たぶん
きっと気のせいだと思う。
返信する
直近の「洋楽しりとり大会」、といっても、 (喜楽院)
2011-07-03 18:33:01
直近の「洋楽しりとり大会」、といっても、
もう数年前のことになるが、開幕直後、
しりとり女王と呼ばれる某J女史に、
一投目で「た」のターンが回ってきた。

数々の候補の中から、女王が選択する
「た」の、お初の単語はなんだろう。
序盤はボーナスの確率も高いのだ。

全国のしりとりの強打者たちが、
あれこれと女王の第一打を推測し、
固唾を呑んで見守る中、女王が
満を持して叩き込んできたのが、
「タロット・ウーマン」。
1点。

静寂が支配する中を交錯する
数多くの、声にならないどよめき。

返信する
♪喜楽院さん (MFCオーナー)
2011-07-03 22:01:18
♪喜楽院さん

>タイトル曲と「16世紀の…」の2曲を、
>その秋の文化祭で行われた「レコード
>鑑賞コンサート」(笑)で、DJ喜楽院(笑)による紹介・解説とともに流したのを
あ、僕も中学生の頃、似たような事やりました。レコード鑑賞クラブ、なんてとこにいたもので(笑) その時のお題は忘れましたけど(笑)
>ピン・ポイントの、その場
>しのぎのバンド”、といった風情・
>印象だったんですけども、その
>予想は、大きくハズレました。
確かに、思ったより長く活動してましたけど、パープル再結成となるとあっさり解散しましたね。
>西城秀樹といえば彼は、彼の
>後楽園球場でのライブにおいて、
>実際にレインボーの楽曲を
>歌唱していたような気がする。
グラハム・ボネットの「ナイト・ゲームス」の日本語カバーを歌ってたのは覚えてるんですが...
>固唾を呑んで見守る中、女王が
>満を持して叩き込んできたのが、
>「タロット・ウーマン」。
>1点。
そんな事もありましたっけか。相変わらず、素晴らしい記憶力ですね。しりとりも随分ご無沙汰してます。再開のメドはついてませんが(苦笑)

♪陰陽師さま

>この調子で今後もお願いします(は?)。
やはり、世間がワタシに求めているのは、これなのでしょうか?(あー勘違い)

♪Kumaさん

>特に「嵐の支者」は、パープルのアルバムの中でも、音楽的にバラエティに飛んでるという点で、フェイバリットです
いやいや、同じ思いの方がいらして嬉しいです。ほんと、飽きないアルバムですよね。
>まあ、ライブ盤OnStageの意味合いを考えると、
>コージーが加入した段階で考えが変わったのかもしれませんが・・。
コージーが入ったから2ndが出来たのか、あの路線に進むためにコージーをスカウトしたのか、難しい所なんですが、後年産業ロック寄りにシフトして、コージーが辞めてますから、単にリッチーの気まぐれかもしれませんよね(笑)
>栗本薫の「僕らの~」シリーズも、読んでました
おお、意外と我々には共通項がありますね。映画音楽とか(笑)

♪PEPPER軍曹さん

>テスト中だったにもかかわらず勇んで出かけた'76年11月の初来日コンサート
おおっ、この時行かれたのですね! あの、「オーバー・ザ・レインボー」~「キル・ザ・キング」のオープニングを生で体験されたなんて、実に羨ましいです。
>当時「オン・ステージ」というライブ盤のタイトルを聞くと、西城秀樹とか演歌系の歌手しか思い浮かばなかったので
言われてみれば確かに(笑) 『エルビス・オン・ステージ』なんてのもありましたけど、ロックバンドのライブ盤とはイメージが違いますね。
>「虹を翔ける覇者」のデラエディもお金を貯めて早く買わなければ
僕もこれ欲しいです^^;
>レインボー特集の「レココレ」のバックナンバーも買わないと!
あれ、買ってなかったのですか! 出版元には多分バックナンバー残ってるはずですのでね問い合わせてみましょう!(笑)
>キャンディーズが表紙の今月号は迷わず買ったのに
その気持ち、よ~く分かります(笑)


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