日々の覚書

MFCオーナーのブログ

Once Upon A Time

2005年12月30日 00時34分45秒 | スポーツ

来年はFIFAワールドカップドイツ大会が開催される訳で、予選リーグの組み合わせ抽選会も行われ、日本はブラジル・クロアチア・オーストラリアと同組になる事が決まった。思えば因縁の組み合わせだなぁ。ブラジルとは、アトランタ五輪以来何故か同じ組になる事が多い。クロアチアとはフランス大会で同組だった(その時は0-1で負けた)。オーストラリアとは、アテネ五輪で2度対戦して2度負けた。って、それは野球だろっ!と自分でツッコミを入れつつ、天皇杯も決勝を残すのみとなり(浦和と清水の対戦だそうな)、イヤでも世間はサッカーネタで盛り上がっているのである(強引な展開)。加えて、当サイトで「人名(スポーツ)しりとり」が始まった事もあり(これも強引)、今回はせっかくなので自分とサッカーの関わりについて書いてみたい。

知ってる人は知ってるけど、僕は昔サッカーをやってた事がある。驚いたでしょ(笑) 小学5年から中学1年の頃までなので、ほんの2年程だが、地元のサッカースクール(みたいなもの)に入り、毎週日曜日は練習に出かけていた。月に一回くらいは試合があり、夏には合宿もあった。この2年間は、我が人生で最も健康的だった時期であり、トレーニングしてたから結構スマートでもあった。でも女の子にモテたという記憶はない。

後で知った事だけど、この時期日本サッカー界は冬の時代であった。1968年のメキシコ五輪の銅メダル以後、日本は国際大会で大した成績も残せず、ワールドカップはおろか五輪にすら出場出来なかった。そういう時期だから、サッカーは決して男の子たちに人気のスポーツという訳ではなかったと思う。そんな時に何故サッカーをやろうと思ったのか。思い起こしても大した理由はない。スポーツをすれば痩せて背も伸びてカッコ良くなれると信じ込んでいたので、何かスポーツをしたかったのだが、既に近眼だった僕は外野に上がったフライが見えないので野球は早々に諦め、丁度友人に誘われた事もあってサッカーを始める事にしたのだ。ま、運動音痴だけど走るのだけは早かったので、やれるかもしれない、なんて思ったのだね(笑)

とまあ、動機らしい動機もないまま、約2年間サッカーをしていたのである。僕のポジションは今風に言うなら右のサイドバック、当時はフルバックと呼ばれていた。つまりディフェンダーだったのだ。その頃のサッカーは近年と違い、攻撃と守備がはっきりと分かれており、ディフェンダーが自陣深くからボールを持って攻め上がるとか、コーナーキックの時に全員相手ゴール前に集まるとかいった事はまずなかった。僕らディフェンダーは試合中にセンターラインを越える事は許されなかったし。ま、ボールを奪ったら前にいる選手にパスするだけ(たまに前線へフィードする事もあったけど)、ディフェンス自体もマンツーマンで、相手FWに抜かれたらもうおしまい、というサッカーだった。ま、我々だけでなく、当時の日本ではそういうサッカーが行われていた、という事だったのだと思う。

僕は選手としては全くダメで、足が早い以外は見るべき物はなかった。ま、サッカーやってるくせにリフティングとドリブルが苦手だったのだから、これはもう選手失格である(爆) スクールの指導者(その辺のおじさんや大学生がボランティアでやってた)の方針が、勝ち負けより子供たちに楽しくサッカーをさせるという事だったので、試合には出させて貰ってたけどね。

そんな僕だったが、ある時目から鱗みたいな体験をした事がある。確か、中学一年の夏の合宿の時だったと思うのだが、よその大学生のお兄さんたちと練習試合をする事になった。こっちは11人だけどあちらは5~6人で、普通なら負ける事はない。が、試合が始まった途端、そのお兄さんたちはとんでもない行為に出た。一人がボールを持つと、全員がゴール前に集まって波状攻撃を仕掛けてきたのだ。セオリー無視の展開(少なくとも僕はそう感じた)に慌てふためき、僕らは防戦一方だったが、ようやくボールを奪い、前線にパスを送ると、なんと!センターラインの所に相手のゴールキーパーがいて、あっさりボールを取られてしまった。反則だがね(あ、当時名古屋に住んでました)とは思ったが、確かにキーパーがそんなとこにいちゃいけない、なんてルールはない。で、結局人数の少ないお兄さんチームに、僕たちはコテンパンにやられてしまった。試合終了後、あんなとこにキーパーがいるのはおかしい、と率直に言うと一人のお兄さんに「これからのサッカーは、全員で攻めるんだよ」と言われた。その時は納得したようなしなかったような(笑)

今思うと、70年代中頃は、オランダが提唱した「皆で攻め皆で守る」サッカーが脚光を浴びていた時だ。あのお兄さんたちもワールドカップ等を見て、大いに刺激されたのに違いない。でも、古いスタイルのサッカーしか知らない僕らには、意味不明のカルチャーショックみたいなものだった。コーチたちも、ああいうサッカーをやってみようとは言わなかったし。

この出来事からほどなくして、僕は転校する事になってスクールを辞めた。それ以来サッカーにはほとんど関心を持たず、ようやく1993年になってJリーグがスタートした頃に、またサッカーを見るようになる。その頃Jリーグで展開されていたサッカーは正に、中学の時に見た、お兄さんたちがやってたサッカーの発展形だった。あのお兄さんの言葉は正しかったのだ。

サッカーに限らずスポーツは、何をやってもダメな僕だったが、ただ走るだけでなく、もっと頭を使えば少しは上手になったのかもしれない、と思うこともある。でも、ショッキングなサッカーを見せられても、反則だぁとしか思えなかったんだから、やっぱり大した事はなかったんだな(笑)

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