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追悼:佐久間正英

2014年01月23日 23時58分32秒 | 時事・社会ネタ

日本が誇るべきロックバンド、四人囃子のメンバーであり、音楽プロデューサーとしても知られる佐久間正英氏が亡くなった。享年61歳。あまりにもやりきれない訃報である。慎んでご冥福をお祈り致します。

ご存知の人も多いと思うが、数ヶ月前、佐久間氏は自身のFacebookで、末期のスキルス胃癌だと告知された事、加えて脳腫瘍も見つかった事を公表している。このことは、同じ四人囃子のファンであるkemnpusさんが教えてくれた。僕はFacebookをやっていないのだが、kemnpusさんがコピーを送ってくれたので、その手記を読む事が出来た。そこには、もう長くは生きられないと覚悟を決めた男の心境が、清々しいまでに淡々と綴られていた。ショックというか、呆然としてたような気がする。

前述したが、佐久間氏はオリジナル・メンバーの中村真一の後任ベーシストとして四人囃子に加入し、リーダーだった森園勝敏が脱退すると、イニシアティブを取ってバンドを牽引するようになった。高度な演奏技術とセンスを武器に、「一触即発」という一大傑作を世に送り出した四人囃子は、当時日本のプログレとして高い評価を得ていたが、森園脱退後は音楽性を変化させ、もっとストレートでコンテンポラリーなロックを志向するようになる。そこで中心になったのが佐久間正英であり、1979年に解散するまで、四人囃子は彼のコンセプトの下で作品を作り続けた。この変化は、重厚長大を旨とした欧米のプログレ・バンドたちが、時代の流れと共に音楽性を変化させていった(変化せざるを得なかった)のと見事なまでに呼応しており、その動きを読み取っていた佐久間正英は、やはり只者ではなかったのである。以前にも書いたが、四人囃子のファンの多くは、森園在籍時のファンであり、当然の如く、佐久間主導になってからの変化を受け入れる事が出来ず、「佐久間が四人囃子をダメにした」などと言う者もいたようだが、プログレに限らず、当時のロックを取り巻く状況を考えればこうした変化は当然であり、四人囃子がよりプログレッシブなロックバンドとして進化していく為には必然だったのである。その後の70年代後半から80年代にかけての音楽状況を思い返してみれば、佐久間正英のコンセプトがいかに正しかったか、が分かろうというもの。残念なのは、その成果を見届けずに、四人囃子が解散してしまった事、そして最後まで商業的な成功を収める事が出来なかった事だ。

佐久間正英というか、アルバム『Printed Jelly』以後の四人囃子の功績は2つある。ひとつは、オーソドックスなロックバンドでありながら、デジタル時代の到来を予見していたこと。1978年の『包』の収録曲のいくつかには、当時あまり馴染みがなかったと思われるデジタル用語が歌詞に登場する。1979年の『Neo-N』は、今思うとかなり肉感的だが、ニューウェイブ的要素も取り込んだ、デジタルな触感のアルバムだった。四人囃子解散後、佐久間がプラスチックスのメンバーになったのも、機を見るに敏な彼らしい。そして、もうひとつは、日本語のロックの方法論として、主に歌詞の面で新たな切り口を提示した事だ。リズムに乗せる事に重きを置いているが、決して難解ではなく、言葉の意味よりもそれに喚起されるイメージを重視した歌詞、それが佐久間が主導した四人囃子の大きな特徴である。他に似たような事をしていた人を知らないので、かなり最先端な試みだったのではなかろうか。

四人囃子解散後、プラスチックスを経て、佐久間正英は歌謡曲のアレンジ(小泉今日子の「真っ赤な女の子」とか)など、裏方の仕事をしていたようだ。プロデューサーとしてBOØWYを手がけたのも、この時期らしい。「サウンドはロックだけど、メロディが歌謡曲っぽいのが面白いと思った」と、デビュー前のBOØWYについて語っていたのを、後年テレビで見た事がある。そして、1989年に四人囃子の再結成アルバム『DANCE』を発表する。バブル真っ只中の時代に、世紀末的デガダンな世界を提示した事でも、佐久間正英の非凡さが窺える傑作である。

90年代以降、J-POPが隆盛を極めるようになると、GLAY、JUDY AND MARY、HYSTERIC BLUE、といったバンドの成功で、佐久間正英は音楽プロデューサーとして、一般にも名前を知られるようになる。この時は、正直嬉しかった。やっと彼の功績が認められたような気がしたのだ。楽曲提供はせず、あくまでもプロデューサーとして、アーティストの持ち味を生かし、良い作品に仕上げていく、というスタンスも彼らしい、という感じ。前述した、BOØWYに関する発言にしても、佐久間がまず素材の持ち味を生かそうとしているのが、よく分かる。1999年には、JUDY AND MARYのYUKIやB-52'sのメンバーと、NiNAという日米混声バンドを作ったりしたが、これはそれほど面白くなかった。私見ですが。

プロデューサー業の傍ら、90年代以降はたびたび四人囃子としてライブをしたりして、充実した活動をしているように見えた矢先の訃報である。本当にやりきれない。プロデューサーとしてはともかく、四人囃子を含め、自身の音楽活動があまり高い評価や人気を得ていなかったようなのが、非常に残念だ。遅いと言えば遅過ぎるけど、これを機に、佐久間正英在籍時の四人囃子を聴いてみよう、という人が増えたら、こんなに嬉しい事はない。遅過ぎるけど。

それにしても、四人囃子の元メンバーで鬼籍に入ってしまったのは、茂木由多加、中村真一に続いて3人目だ。3人とも若くして逝ってしまった。高い評価を受けながら、商業的にはダメだったという点も含め、不運なバンドだったと思う。今後、四人囃子のライブが見られる事はないだろう。それはそれで仕方ないけど。

本当は、癌に打ち勝って欲しかった。癌に打ち勝って、『末期癌との戦いに勝った有名人』みたいなテレビ企画に出演して欲しい、なんて思ったりもしたけど、叶わぬ思いとなった。もっとも、そんな番組に佐久間氏が出演するとは思えないけど....

日本の音楽界は、またひとつ大きな才能を失った。気づいている人は少ないだろうね。

みんないつも待ってくれる
遠い空に橋を架けて
遠い空に橋を架けて...
by 佐久間正英

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2 コメント

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♪kemnpusさん (MFCオーナー)
2014-01-26 23:59:32
♪kemnpusさん

>本当に残念でしたね。
全くです。僕も、kemnpusさんと同様、克服する事を祈ってましたけど、本人の手記があまりにも達観してるというか悟ってるというか、そんな雰囲気だったので、覚悟は出来てるんだな、とも感じてました。とにかく残念でなりません。

>「自分の音楽人生」と言う言い方をするなら四人囃子は覚醒させられたという意味でかなり重要なポジションにいるバンドです。
そうですよね。僕も以前言いましたけど、似たような感じです。四人囃子は僕にとって理想のロックバンドでした。どんなバンドをやっても、四人囃子のようなバンドになる事を目指していました(音楽性云々ではないです)。もう四人囃子を見る事は出来ないかもしれませんが、彼らに対する思いは変わる事はないでしょう。永遠に。

合掌。
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本当に残念でしたね。 (kemnpus)
2014-01-26 22:38:49
本当に残念でしたね。
オーナーさんから佐久間さんが亡くなられたとメールを頂いた時は仕事中でしたが、しばらく運転が出来ないほどショックでした。
克服してくれることを祈っていたから余計に。

僕はプロでもなんでもないですが「自分の音楽人生」と言う言い方をするなら四人囃子は覚醒させられたという意味でかなり重要なポジションにいるバンドです。
それはこれからも変わらないでしょう。

合掌。
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