日々の覚書

MFCオーナーのブログ

オサリバンはオサリバン

2021年07月11日 00時16分31秒 | 音楽ネタ

少し前の事だが、ドラゴンズ、ファイターズで活躍した元プロ野球選手の大島康徳氏が亡くなった。享年70歳。癌で闘病中で、3~4年前に余命1年と宣告された、と本人が公表してた。今年になって、他にも転移してた事が分かったらしいが、結局力尽きてしまったようだ。残念である。謹んでご冥福をお祈り致します。

大島選手といえば、言うまでもないが、80年代のドラゴンズを支えた主力選手であった。世間的には一発長打の印象が強いと思うが、実はクレバーで状況を読んだバッティングをする人だったと思う。あの頃、ランナーを置いて大島、谷沢に打席が回ると、絶対何かが起きるとワクワしたものだ。個人的には、1984年のドラコンズが実はドラコンズ史上最も強かったチームだったのでは、と思っているが、その時の打線の中軸が大島だった。

大島選手で思い出すのは、1984年でなくて恐縮だが、優勝した1982年終盤に2試合続けてサヨナラヒットを放ったこと。ジャイアンツとデッドヒートを繰り広げていた頃だっただけに、間違いなくチームは上昇気流に乗って、セ・リーグ最終試合での優勝決定に繋がった。この2試合のサヨナラヒットのうち、2試合目の相手はジャイアンツで、6-2で江川が完投勝利目前の9回裏にドラゴンズが4点入れて同点に追いつき、10回裏に大島がサヨナラヒットで決めた、という伝説の試合であった。ほんと、あの時は大島に後光が差してたね。

また一人、古き良き時代のプロ野球人がいなくなった。

閑話休題。今回のお題は野球ではなく、何故かギルバート・オサリバンである。

ギルバート・オサリバンと言えば、やっぱり「アローン・アゲイン」であろう。オサリバンの代表曲であると同時に、1970年代をも代表するヒット曲だ。それ故、特定の世代にとっては「アローン・アゲイン」のインパクトが強過ぎて、他にもヒット曲があるのに、ギルバート・オサリバンを一発屋扱いする人もいたようだ。けど、ベスト盤でも何でもいいが、オサリバンのアルバムをじっくりと聴いてみれば、とても才能に溢れた人である事はすぐ分かる。決してギルバート・オサリバンは「アローン・アゲイン」だけの人ではない。

僕が中学生の時、1975年か76年頃と思うが、当時購読していた某FMfanという雑誌のグラビアにオサリバンが登場したのを見た。記憶が曖昧だけど、ゴルフ場のカート(のようなもの)に乗ったオサリバンの写真に、誰が書いたか分からないコメントが添えられていただけの、何の色気も変哲もないグラビアだったのだが(昔はそういうの多かった気がする)、そのコメントの筆者は、「アローン・アゲイン」で一躍時代の寵児になったものの、その後「アローン・アゲイン」を超えるヒット曲を生み出していないオサリバンに対して、焦る事はない、世間を気にする事なくマイペースで活動していれば、彼はまたいつか名曲をものにするだろう、だってオサリバンはオサリバンなのだから、とエールを送っていた。当時の僕はギルバート・オサリバンも「アローン・アゲイン」も知らなかったけど、この誰が書いたか分からないコメントを読んで、なんとなく感動したのを覚えている。”オサリバンはオサリバン”といういう部分が特に良かったな(笑)

そのグラビアを見てからしばらくして、オサリバンは「二人の願い(To Each His Own)」というシングルを出した。この曲を僕はとても気に入ってしまったのである。ラジオでも結構かかってたし、FM東京の『ポップス・ベスト10』にもランクインしてたと思う。明るく軽快な曲調で、歌い出しの「You say someday Ooh baby let's get away」という歌詞も覚えてしまうほど好きだったのだ。原題は知らなかったけどね(笑) その時点でもまだ「アローン・アゲイン」は知らなかったけど、「二人の願い」は「アローン・アゲイン」を超える名曲に違いない、と僕は思った。”オサリバンはオサリバン”と書いた人の気持ちが分かったような気がしたのである。

その後、残念ながらオサリバンはヒットに恵まれず、70年代終わり頃から80年代にかけては、すっかり地味な存在になってしまったけど、80年代後半になって、突如復活した。それも日本で。きっかけは、テレビドラマにオサリバンの曲が使われて注目され、その勢いで出した日本独自のベスト盤が結構売れた、という事だったらしい。オサリバンに注目したのは「アローン・アゲイン」なんて知らない若い世代で、彼らからすると、「アローン・アゲイン」も他の曲も、同じように良い曲であった訳で、先入観も何もなく、実に正当にオサリバンを評価した。つまり、オサリバンは初めて日本で正当な評価を受けたのである。再評価されたオサリバンは、80年代後半以降、日本公演も頻繁に行い、新作もコンスタントに発表して、すっかり日本でもお馴染みのアーティストとなった。今や、彼を一発屋と呼ぶ人はいないだろう。

という訳で、最近買ったCDから。

Southpaw/Gilbert O'Sullivan

オサリバンが1977年に発表した、通算5枚目のアルバムである。初めてオサリバン自身がプロデュースも手がけたアルバムで、「トゥモロウ・トゥデイ」とか「ミス・マイ・ラブ・トゥデイ」といった、後のベスト盤にも収録されることになる曲も含んでいる。僕が買ったのは、2012年に出たボーナストラックを加えたリマスター盤で、目当てはずばりボーナストラックとして収録された「二人の願い」である(笑)

実は、しばらく前から「二人の願い」がやたらと聴きたかったのである。曖昧な記憶だが、「二人の願い」は1976年から1977年にかけてヒットしていて、同じ頃のヒット曲としては、ブレッドの「愛のかけら」、レオ・セイヤーの「恋の魔法使い」といったところがあり、一緒に聴いてたような気がする。前述したように、「二人の願い」はとても好きな曲だったのだが、時期が過ぎると、記憶も薄れてしまった。ま、よくある話だ(笑)

その後、これまた前述したオサリバン再評価の際、僕もオサリバン聴いてみようかな、と日本編集の『アローン・アゲイン』というベスト盤を買ったのだが、それには「二人の願い」は含まれていなかった。僕も多少は期待したけど、原題も分からないし、まぁしょうがないか、と割にあっさりと諦めたりなんかして(笑) 後に、新たに編集されたベスト盤に「二人の願い」が入っている、なんて情報もあったが、さすがにほぼ同じ内容のCDをまた買う気もなく、そのまま時は流れたのであった。最近になって、何回目か分からないが「二人の願い」熱が再発して(笑)、調べたところ、『サウスポー』のリマスター&ボーナストラック盤に収録されている事を知り、紆余曲折を経て、ついに手に入れたのである(実際、『サウスポー』のリマスター盤は2012年頃に出ていたらしく、2021年の今となっては入手困難と思われた)。「二人の願い」とは実に44年ぶりくらいの再会であった(笑)

と、44年の時を経て改めて聴いた「二人の願い」、全く色褪せる事のない名曲であった。実に素晴らしい事なのだが、それ以上に素晴らしいのは、この『サウスポー』というアルバムの出来映えである。ゆったりとした雰囲気の曲とアップテンポのハードな曲が見事に共存し、収録曲全てが、いかにもイギリスらしい、ややウェットで洗練された、格調高い雰囲気に溢れている。これは、ウエストコースト系のシンガー・ソングライターには出せない味だろう。曲も佳曲揃いだし、クリス・スペディングらが参加した演奏も素晴らしい。ボーナストラックが「二人の願い」を含む9曲も収録されているのも良い。しかも、シングル曲のみならず、B面曲もクォリティ高いし。実は、というか、やはり、ギルバート・オサリバンは才能豊かな人だったのである。決して「アローン・アゲイン」だけの人ではない、というのは、このアルバムを聴けば誰でも分かるだろう。当時の評価が低かった、という事は、誰もちゃんとオサリバンを聴いてなかった、という事だ。ついでに言うと、ジャケットも良い。

そう、やはり、オサリバンはオサリバンなのである。これを書いたライター氏は正しかった。そして、後に正当に彼を評価した日本のファンも。

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