日々の覚書

MFCオーナーのブログ

まだまだ続くフュージョンの夏

2024年07月15日 11時19分36秒 | 時事・社会ネタ
まだ梅雨明けしてないのに(してないから?)既に日本は猛暑である。先週の月曜日(7月8日だったかな)なんてめちゃくちゃ暑くて、屋外はサウナみたいだった。これで梅雨が明けたら一体どうなるのだ? ま、確かに、ここ数年の傾向としては、梅雨明けすぐ猛暑日が続くけど、その後は割に普通の夏、というパターンが多いような気がしてたので、10年くらい前のように、2ヶ月近く猛暑日が続くという事ではなそさうではあるけどね。ま、なんというか、ここ10年ちょっとの間で暑さに慣れてしまって、最高気温30度くらいなら大した事ない、ってな感覚になってるのが怖い(笑) 年齢その他も鑑み、自分の体力・持久力等を過信しないようにして、慎重に行動しましょうね(笑)

今月初めは異常な暑さだったけど、そんな中、東京都知事選がミョーな盛り上がりを見せた。結果はともかく、当選した現職の小池百合子より、それ以外の立候補者に注目が集まる(投票前も投票後も)というのも、良いんだか悪いんだか(苦笑) ま、小池百合子からすると、その方が好都合だったのかもしれないが。

そうこう言ってるうちに、ショッキングなニュースだ。皆さん既にご存知と思うが、次期アメリカ大統領選の有力候補と言われている共和党のドナルド・トランプ氏が演説中に狙撃された。トランプ氏は弾が耳を貫通するという事態になったものの、命に別状はないそうだが、当日会場にいた聴衆のうち、1人が亡くなり、2人が重体とのこと。とんでもないことをしでかす奴がいたものだ。亡くなった方のご冥福をお祈り致します。

この手の事件は、単なる狙撃事件ではなく、標的からしても一種のテロであり、民主主義を根本から否定するものでもあり、断じて許すべきではない。しかも死者も出でいる。テロは絶対に許さない、我々は断固として戦う、今回の事件も徹底的に捜査し、バックにテロ組織があるのなら必ずぶっ潰す、くらいの国・政府の公式声明はあって然るべきだし、メディアもそういう論調になって当たり前だが、今回のトランプ狙撃事件に関しては、犯人に憤るとか死者を悼むどころか、この事件で大統領選はトランプ有利になるのでは、などと発言するキャスターや政治家もいたりなんかして、正に世も末である。メディアの連中は、トランプ死ねばよかったのに、と思ってるのが見え見えだ。安部元総理の時と同じ。狙撃されたのがトランプ氏ではなくバイデン氏だったら、メディアの論調は180度違うのだろうね。

という訳で、最近買ったCDから(やっぱり唐突)



まだフュージョンの夏は終わっていなかった(笑) 僕自身はあれからもフュージョンのマイ・ブームが続いていたりなんかする。

という訳で、70年代の渡辺香津美である。この『Village In Bubbles』は1978年発表、ニューヨーク録音とのことだが、再発CDのライナーにもあるが、前作『Lonesome Cat』に続く海外録音で、前作の時はほぼ武者修行みたいな感じで、現地のミュージシャンたちとのレコーディング・セッションも1日だけ、という慌ただしい状況だったが、今回の『Village In Bubbles』の時は、じっくり時間をかけて準備して、現地でも腰を落ち着けてのレコーディングになったらしい。『Lonesome Cat』は未聴ので何とも言えないが、色々なコメントからすると、緊張感漲る一発録りみたいなアルバムだったのでは、と思われるが、それに比べると『Village In Bubbles』は余裕が感じられる作りである。制作時の状況だけでなく、収録曲の雰囲気も違うせいだろう。

全体としては、とてもメロウなフュージョンである。全曲、渡辺香津美のオリジナルであるが、一曲目の「Park Of Avenue」のイントロなんて、フィリーソウルみたい。他の曲もストリングスを使ってゴージャスな感じに仕上がっており、その中で渡辺香津美が弾きまくっている。曲調のせいか、ナチュラルなトーンでの速弾きが目立つので、ほんと縦横無尽って感じだな(笑) ただ、全体にメロウな雰囲気ではあるが、ソウルやファンク、ラテンなどの要素も取れ入れ、聴きやすいけど演奏陣のレベルも高いという、正にフュージョンである。あまり目立たないけど、ソロのバックのリズム隊の演奏が、実に表情豊かでつい聴き惚れてしまう、という見かけはともかく、決して単なるBGMでは終わらせない、優れたフュージョンなのだ。いや素晴らしい。これこそが日本のフュージョンなのだ、と思わせる傑作であります。渡辺香津美も凄いな。ギタリストとしてはもちろんのこと、本作を聴いて、改めて作曲家としての力量にも感服しました。この翌年に『KYLYN』が出るのだが、全く『Village In Bubbles』とは違うアプローチのフュージョンであり、ここいらの切り替えのセンスも凄い。やっぱり凄い人なのだ。早く元気になって下さい。

続いては、



こちらも日本のフュージョンだが、渡辺香津美ほど有名ではないと思う(苦笑) 当時、ジャズのみならず幅広い分野で活動していたピアニストの佐藤允彦が、若手と結成したメディカル・シュガー・バンクの1stである。メンバーは佐藤允彦以下、清水靖晃(Sax)高水健司(Bs)山木秀夫(Ds)穴井忠臣(Perc)の5人で、なかなかに錚々たる顔ぶれだが、この頃はまだ"将来を嘱望される若手"という扱いだったように思う。ま、その後渡辺香津美のKAZUMI BANDに入るメンバーが3人もいる、というのを見ても、凄い顔ぶれであるのは間違いない(笑)

内容も素晴らしい。僕の印象としては、ジャズの人がやるフュージョン、って感じかな。テーマがあってアドリブもふんだんにあるというか。本作が出たのは1980年、それこそフュージョン全盛の頃で、流行りの音楽にアプローチしてみたというのはあると思うが、ジャズをベースにした独特の雰囲気と、高い演奏力(だけど、ひけらかさない)で、確実に他との差別化は成功していると思う。アップテンポでキメキメのフュージョン・チューンもあるが、印象的なのは、メロウでスタイリッシュに迫るややスローな曲の方で、なんたって清水靖晃のプレイが素晴らしい。すすり泣いたりブロウしたり、正に変幻自在。メロディ楽器はキーボード以外はサックスしかいないので、清水靖晃にかかる負担は大きくなるのだが、一人で難なくこなしているのは凄い。佐藤允彦もエレピを弾いてる曲の方が多いが、それがまた良い雰囲気なのだ。当時、僕はFMで本作を聴いて、すっかり気に入ってしまったのだが、今にして思うと、サックスやエレピがフューチャーされたスローな曲に惹かれていたのかも。「Saga Unknown」とか、たまりません(笑) 適度な緊張感もよろしい。

ところで、もうすぐパリ・オリンピックなんだけど、盛り上がりが今イチと思ってるのは僕だけ?^^;
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未来・過去

2024年06月30日 23時03分56秒 | 音楽ネタ
我らが中日ドラゴンズだが、6月も終わろうという今、相変わらずBクラスのままどころか、6月30日現在、74試合消化して31勝37敗6分けでセ・リーグ最下位に沈んでいる。定位置という声もあるが(苦笑)首位カープとのゲーム差は7。今月の戦績は10勝12敗1分け。なんか、3連戦1勝2敗ペースの無限ループに陥ってしまいそうで怖い(笑) ま、セ・リーグの混戦状態がまだ続いているのも、逆に言えば、スワローズとドラゴンズの下位2チームが、意外と踏ん張ってるからでもあって、この状態で喰らいついていれば、オールスター明け頃にはチャンスがある、と思っているのだが、明るい材料も少ないし、ファンとしては勝っても負けてもイライラが続く梅雨となりそう。

今朝ネットニュースを見たら、「ドラゴンズ68年振りの屈辱」なんて書いてあるもんで、一体何が起こったのか、と思ったら、ここ最近なんとドラコンズは10試合連続で2点以内しか得点出来ておらず、10試合というのは68年振りなんだそうな。誰が調べるのだ一体(苦笑) ま、今年のドラゴンズの特徴は投高打低、有体に言ってしまえば貧打であるので、こういう記録は仕方ないかも(笑)

ま、この10試合、ドラゴンズの戦績は3勝6敗1分け、正に1勝2敗ペース(爆) 10試合のうち、1点差ゲームが3試合で、あとは2点差以上つけられて負けている(言い忘れたが、1点差ゲームの3試合は、いずれもドラゴンズの勝ち)。10試合の前の試合は、ドラゴンズ4得点で勝っている(やっぱり1点差だけど) とにかく点が取れないのが今年のドラゴンズ、ついでに言うと、今シーズン、ドラゴンズが5点以上取ったのはわずか7試合、戦績は5勝1敗1分け、と、やはり点さえ取ればピッチャーが抑えてくれる、というのを体現してます(笑) 

ちなみに、10試合続いた2得点以下だが、6月30日のベイスターズ戦に3-0で勝って、連敗と2得点以下の両方を止めた。もし、2得点以下が11試合になると、球団記録を達成してしまうところだった。ま、貧打なら貧打で仕方ないけど、貧打ならではの試合の進め方もあるはず。くどいようだが、こんな状態でも、まだ首位とはたった7ゲームである。くじげずに頑張って下さい。

という訳で、最近買ったCDから(唐突)




何回か書いているが、僕はデュラン・デュランも結構好きなんである。ニュー・ロマンティックの旗手として登場した頃から、メンバー・チェンジを経てファンキーなサウンドを標榜した時期、打ち込みメインのエレポップ風だった時期、そして21世紀に入ってからのオリジナル・メンバー再集結、と一応彼らのキャリアは一通り追いかけているのだ。その間、デュラン・デュランは解散はもちろんだが、長期にわたる活動休止やブランクもなく、割に安定した活動を続けてきた。これは凄い事である。正直申し上げると、デビューから40年以上過ぎても第一線で活躍し続けるバンドになる、なんてあの頃は全く想像もしてなかった。見た目以上に、デュラン・テュランには音楽の才能と実力そして時代を見る目が備わっていたのである。そう、これは単純に凄い事なのだ。デュラン・デュランって実は凄いのだ(なんか、とても失礼な事を言ってる気が...笑)

と言いつつも、僕がデュラン・デュランのアルバムで最後に聴いたのは2007年の『レッド・カーペット・マサカー~美しき深紅~』で、それ以降はずっと遠ざかってた。別に、デュラン・デュランに興味がなくなった訳ではないし、コンスタントに新作を出しているのも知ってたが、とにかく遠ざかってたのだ。何故だろうね(笑)

で、これも何故だが分からないが、久々にデュラン・デュランを聴いてみようと思って買ったのが、この『フューチャー・パスト』である。2021年発表。これがなかなか良い出来だ。デジタルなビートやファンキーな音作りは影を潜めているが、相変わらず曲は良いし、ミステリアスな雰囲気がたまらんし、サイモン・ル・ボンの声や歌い方も全く変わってなくて、とにかく往年のファンなら満足のいく出来栄えではなかろうか。やはりデュラン・デュランは凄いのである。



引退という噂もあったシェリル・クロウだが、こうして新作が出たのはめでたい。まだまだ本人はやる気満々なのだろう、と思いたい(笑) シェリルは僕と同い年の62歳、この21世紀においては62歳なんて、まだ引退する年なんかではないのだ(笑) まだまだ続けて下さい。

で、前作『スレッド』以来の新作な訳だが、相変わらずアメリカン・ロックの王道を行く音作りが聴ける。ロック調もフォーク調も全てシェリルそのもの、本当にこの人に"はずれ"はない、と思わせる内容だ。後半、シェリル一人の弾き語りが続くのはちょっと、というのはあるけどね(苦笑)

ただ、気になる事もあって、僕にしては珍しく、シェリルの新作を歌詞カード見ながら聴いていたのだが、なんかヘンだな、と感じるのがあった。2曲目の「Do It Again [Explicit]」というフォーク調の曲で、かつての売れっ子プロデューサー、ジョン・シャンクスとの共作なのだが、出だしの歌詞が、

Well I've read some Eckhart Tolle
And Deepak Chopra, too
They say when you go pointing fingers
You get three pointing back at you
<MFCオーナーによる翻訳>
エックハルト・トールも読んだし、ディーパック・チョプラも読んだ。
人に後ろ指を指すと、3本の指があなたを指しているものよ

ま、自分はやましい事はしていない、だから人に批判される筋合いもない、だから私に対してああだこうだ言わないで、と解釈できるような歌詞と思うが(かなり意訳だな)、問題なのは、著作を読んでるとして名前が挙げられている人たちのことだ。ぜひ調べてみて欲しいが、ちょっと危ない雰囲気がある(考え過ぎ?)。昔からシェリルは政治的メッセージを自作曲に込めたりする人ではあったが、政治的メッセージはある意味分かりやすいけど、そうでないもの(スビリチュアル系とか)はちょっとね(笑)。シェリルがヘンな方向に進まない事を祈る(笑)



去年あたりから、僕にとってはちょっとした"中森明菜リバイバル"だったりするのだが、この『La Alteracion』は1995年発表。デビューからずっとワーナーパイオニア所属だった明菜が、90年代に入ってから移籍したMCAビクターからの第2弾アルバムである。当時、レンタルして聴いてたのを思い出す。ほんと、よく聴いたなぁ。なんというか、久々に明菜らしいアルバムという感じがして、気に入ってよく聴いてたのである。

音の感じとしては、サーフ系からスパニッシュ的なものやシティポップ風もハードロック調もあり、それらが"中森明菜"というフィルターを通して提示されることで、アルバム全体が統一感のあるものに仕上がっている。とにかく、どの曲も"中森明菜"以外の何物でもない。最近知ったのだが、本作制作時、明菜は珍しく何も言わずにスタッフに任せていたという。自分が口出ししたり要望を伝えるのは止めて、作り手たちが考える"中森明菜"的なものというのはどんなものなのか、それを知りたかったから、らしい。その試みは成功していると思う。出来上がった作品が"中森明菜"でしかない作品になっているからだ。しかも、マンネリやワンパターンではない。この時点でのベストの"中森明菜"なのである。素晴らしい。

明菜本人はどう思ってるか知らんが、この『La Alteracion』は明菜の代表作と言ってもいいアルバムと思うし、ある種のターニングポイントになったアルバムとも言える。"中森明菜"は"中森明菜"なのである、それを世間に知らしめたというか。ちなみに、アルバム・タイトルはスペイン語で「変化」という意味だそうな。なんかよく分からんけど(笑)、中森明菜の『La Alteracion』が名盤であるのは間違いない。
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凡人日記

2024年06月10日 22時11分45秒 | 与太話
褒められるような事かどうか不明だが、僕は意外と小さな習慣を長く続けていたりなんかする。例のU-500もそうだけど、電子家計簿も長く続いているし、CDや本を買うと必ず目録(もどき)を作るのも続けている。やや違うが、寝る前の腕立て伏せと腹筋も30年以上も欠かさず続けていた。強固な意志の下に始めた訳ではなく、誰かと競争していた訳でもない。何故続いているのか、よく分からないけど、"小さな(どうでもいい)"事であり、数値目標とかがあって一定期間後に発表しなければならない、というものでもなく、また、ここに到達すればorこれを達成すれば終わり、という明確なゴールもなく、全く圧力もかからず目標もない、という性格のものであるのも、長く続けられた理由だろう、と思う。まぁ、なんというか、何かの役に立つものではなく、もちろん人の為にもならないけど、それが良いのだろうね、継続するには(笑)

そんな、僕が長く続けている"どうでもいい"習慣のひとつに「日記」がある。と言っても、手帳の月ごとの予定を書くページに、その日の出来事をメモするだけの代物である。文字数にして数十字、たぶん100文字もないだろう。そういう短い日記というかメモを、2013年元日以来今日に至るまで、記録し続けている。11年と半年くらいになるのかな。日で言うと4195日くらい。ま、"大した事ではない"とは言え、よく続いたものだな、と自分でも感心する(笑)

毎日その日の出来事などを記録している訳だが、この11年間どんな事があったのか。今これを書いているのは2024年6月9日なのだが(投稿日はきっと違う)、この11年間の6月9日に何が記録されているのか、ちょっと紹介しましょう(笑)すべて原文のママです。

2013年・・鎌倉のビゴの店で朝食→中野ブロードウェイ、王将で昼食、その後秋葉原ソフマップでノートPC引き取ってもらう。その後台場や城南島ドライブ。夜、はなまる
2014年・・横浜や茅ヶ崎はそうでもなかったが、各地で大雨。林隆三死去。夜、納豆、生野菜、ごま豆腐など。
2015年・・昨日梅雨入りしてたらしい。今日傘持って出たけど、一度もささなかった。ビッグサイトの展示会行った。本部長からは新旧部長をフォローしろと言われた。近所に開店したお好み焼きは8時まで。
2016年・・コンプト8日目。レンタル携帯の請求額見てびっくり。ミラノのホテル、エレベーターはシンドラー社製
2017年・・ボーナス出た。〇〇君を一人で××に行かせて心配だったけど、うまくいったみたい。妻の歯医者のあと合流して××→××
2018年・・11時まで寝てしまった。それから出かけてステーキガストで昼食。それから東品川のイオン行った。夜ケンタッキー買ってきた。飲んだ。下りの新幹線で殺人事件。
2019年・・一泊2日で名古屋出張。5時起きで出発。名古屋はそこそこ雨降ってた。泊まりは東横イン名駅南。何もないところだった。
2020年・・ほぼ2ヶ月半振りの出張。名古屋方面に行った。新幹線も久々。空いてた。スマホのメール送信が出来なかった。設定変えたら直ったみたい。アベノマスク届いた。
2021年・・関西地区出張。××に行った。大阪で客先に行くのは久しぶり。宿泊は日本橋のホテル・ヒラリーズ。少々古い。安い。アクセラ車検。
2022年・・今日もアッという間に終わった気がする。やること多い。クレームもある。明日から火曜日まで会社にいないので、余計に焦る。ケンミンショーうまからスタミナグルメ
2023年・・雨降ったけど大したことなし。まぁ、色々と進めなければならないことがある。アストラッド・ジルベルト亡くなってた。

言うまでもなく、しょうもない内容ばかり(笑) おおっそういえば、と覚えてるのもあれば全く記憶にないのもある(苦笑) その時々で、書く内容や書き方に傾向があり、ひと頃は朝昼晩食べた物を詳細にメモしたりしてた。夕食の内容が非常に地味に思われるのもあるが(笑)、どうしても昼はガッツリとカロリー高い食事になってしまうので、夜はカロリー控えめで健康的にしよう、という深い事情に依るもので、決して金がないとか手抜きとかではありません(爆) あと、時事ネタも書いてるね。アベノマスクとか新幹線内での殺人事件とか、そういう事もあったなぁ、としみじみと思い出しました。伏字の部分は人物や企業などの実名になってます(笑)

11年間、この日記の為に、毎年暮れに新しい手帳を購入するのだが、同じ物を買っているつもりでも、ビミョーに違ってたりして、そこいらも今見ると面白い。よく似てるもんで違うメーカーの手帳を買ってしまった事もある(笑) 基本的に横書きだと日曜始まりのカレンダーが好きなのだが、うっかり月曜始まりのを買ってしまったとかね(笑)

この日記というかメモを記録し始めた理由は、ただなんとなく、その日の出来事をメモっておこう、とそれだけだった気がする。たまに数年前の手帳を読み返してみると、結構面白いもんで、以後ブログネタにも役立てよう、なんて思ったりして(笑) いつまで続けるかは分からないけど、会社勤めを止めても続けそうな気はする。ま、来る日も来る日も「特になし」しか書く事ない、なんて余生にならないようにしたいものだ(笑)



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中日ドラゴンズOB戦開催に思う

2024年06月09日 12時02分37秒 | スポーツ
知ってる人は知ってると思うが、プロ野球の中日ドラゴンズのOB戦が開催される。正確には「中日スポーツ創刊70周年記念 DRAGONS CLASSIC LEGEND GAME 2024」、まぁ、ドラゴンズ云々ではなく、中日スポーツの企画な訳だが、とにかくドラコンズのOBがバンテリンドームナゴヤに集まって試合をするのである。それに出場するOBの顔ぶれが以下。申し訳ないけど敬称略で、勝手に投手と野手に分けさせて頂きました^^;

総監督 法元英明
監督  権藤博、谷沢健一
投手  小松辰雄、山本昌、今中慎二、岩瀬仁紀、川上憲伸、松本幸行、鈴木孝政、都裕次郎
野手  山﨑武司、谷繁元信、福留孝介、荒木雅博、島谷金二、正岡真二、田尾安志、平野謙、中尾孝義、
    宇野勝、上川誠二

なかなかに錚々たる顔ぶれだ。前にも書いたと思うけど、僕が一番熱心にプロ野球そしてドラゴンズの試合を見ていたのが80年代なので、当然思い出の選手もその頃の人が多くて、そういう意味では嬉しい。ドラゴンズは80年代だと1982年と1988年に優勝しているが、やはり1982年のメンバーが目立つかな。そういう意味では、大島康徳にもいて欲しかったな(2021年逝去)。確かに、それ言い出したらきりがないんだけどね。星野仙一、高木守道、大豊泰昭、三沢淳....見たくても見れない人が大勢いる。

存命の人でも、いろいろな事情で出場しない人も多いようだ。監督やコーチをしてる人は出れないのかな。それなら立浪和義や井端弘和がいないのは分かる。落合博満は、OB会について聞かれた際、自分とこには連絡来てない、と言ったらしい。このあたり、OB会の関係だろうか、色々とキナ臭いというかドロドロしたものを感じるなぁ(笑) 

80年代のレジェンドというなら、牛島和彦、中村武志がいないのは解せない。彦野利勝、小野和幸がいないのも残念だ。郭源治、ケン・モッカは外人枠だからダメなのか。90年代以降だと、野口茂樹の名前がないのも淋しい。

と、色々と不満はあるが(笑)、こういった顔ぶれが集まって、再びプレーを見せてくれる、というのはファンにとっては嬉しいもの。聞くところによると、現在ドラゴンズのOB会長は小松辰雄で、色々としがらみもあり、今回のメンバー選考にも影響してるらしいが、ま、深くは追求すまい(笑)

これまた以前書いた気がするが、僕は1984年のチームが、ドラゴンズ史上最強だったと思っている。その時の主力がほとんど顔を揃えているので、満足といえば満足(笑) で、今回のメンバーの中で意外だったのは、松本幸行が入っていること。ご存知、70年代のドラゴンズのエースである。このころのドラゴンズのピッチャーといえば、右の星野・左の松本が2枚看板だった。どうしても熱血漢・星野が注目される事が多かったが、通の間では寡黙に飄々と投げる松本が支持されていたらしい。お立ち台に上がっても、あまり面白い事は言わず、完投勝ちした試合のヒーローインタビューで「これからどうしますか?」と聞かれて「帰って飯食います」と答えた、なんて逸話もある。でも、1974年には20勝を挙げて最多勝利投手となり、セーブ王となった星野とともに、ドラゴンズ20年振りのセ・リーグ優勝に貢献した。引退後は野球と離れた生活をしていたそうで、もちろんメディアに登場することもなかったが、どういう経緯か知らないけど、今回のOB戦には堂々と出場することになった訳で、本人曰く「キャッチボール始めてます」、いやほんと楽しみだな。

とは言ってるけど、このドラゴンズOB戦、開催は平日だし場所は名古屋だし、関東ではテレビ中継もないだろうし、僕はたぶん見れない(笑) 見たいんだけどね。レジェンドたちが無様な姿をさらしたとしても(笑)

OBではない現役のドラゴンズだが、相変わらず浮上のきっかけを掴めてない。6月8日現在、24勝29敗5引き分けのセ・リーグ4位。5月終わりから始まった交流戦も4勝7敗、一昨日からの楽天イーグルス相手の3連戦なんて、一昨日は涌井の好投むなしく0-2で完封され、昨日は5点差つけられて連敗。はっきり言うと、今のドラゴンズに5点差をひっくり返す打力はない。最少得点をピッチャーが守り抜く、という野球でないと勝てないドラゴンズなのだが、このままでは投手陣に負担がかかり過ぎてシーズン終わりまでもたないような気がするし、せめてピッチャーの疲労が溜まると言われる夏場だけでも打線爆発を期待したい。わりに長打力もあり、そこそこ勝負強い外国人3人を上手く使って欲しいなと思う。4位とはいえ、1位のカープとのゲーム差はわずか4.5である。まだまだ挽回出来る。往年のレジェンドたちに魔法を伝授して貰って頑張って上を目指して下さい。

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フュージョンの夏・日本の夏

2024年05月25日 16時49分52秒 | 音楽ネタ


唐突だが、最新のレコード・コレクターズ(以下レココレ)の特集は、2号続けてフュージョンである。なぜいまフュージョンなのかは不明だが(笑)、いつも通り、レココレのライター諸氏がフュージョンの名盤を30枚づつリストアップし、それを編集部が集計してランキングを決める、という毎度お馴染みの企画であり、先月は洋楽、今月は邦楽のフュージョン名盤100枚のランキングなのである。まぁ、いつもの事ではあるが、かつてフュージョンと呼ばれた音楽に、短期間とはいえハマった事のある僕からすると、なかなかに興味深い内容だし、言いたい事も多い(笑) 今回は長くなりそうだ(爆)

ほとんどのポピュラー音楽に於ける、いわゆる"ジャンル分け”というのは定義が曖昧で、ライターが100人いれば100通りの"ジャンル分け"が存在したりするので、要するに"ジャンル分け"なんてものは不毛なんである。フュージョンも同様で、今回のレココレの特集に於いても、1969年から1989年の間に発表された"フュージョン"のアルバムからリストアップする、というルールになっていて、1969年と限定している事に編集部の意図を感じ取るライターもいるが、ま、とにかく、様々な解釈が乱れ飛んでいる。僕個人の感覚だと、後にフュージョンと呼ばれるようになった音楽は、それ以前はクロスオーバー或いはソフト・アンド・メロウと呼ばれていた。70年代半ば頃、主にジャズ系のミュージシャンたちが、ジャズだけでなく、ファンクやソウル、後のワールド・ミュージックといった、様々な音楽の要素を取り入れ、(やや矛盾するが)ジャンル分け不能な音楽を志向するようになり、ブラック系やロック系のミュージシャンたちもこの動きに呼応して一大ムーブメントとなって、それらを当時"クロスオーバー"と呼んだのである。1975年頃の音楽雑誌の広告には、あこちでクロスオーバーの文字が躍っており、アーティストでいうと、チック・コリア、ボブ・ジェームス、ハービー・ハンコックといったジャズ系だけでなく、アース、ウィンド&ファイアあたりも、当時はクロスオーバーとして紹介されていた。その後、ジョージ・ベンソンや渡辺香津美が登場すると、彼らをソフト・アンド・メロウと呼ぶようになり、ま、敢えて言うと、クロスオーバーという言葉から連想されるエキサイティングな雰囲気がジョージ・ベンソンあたりにはあまりなく、けど、新しい流れではあったので、違う言葉でジャンル分けしようとしたのだろう。そういう流れもあり、僕が最初にフュージョンと認識したのは、実はリー・リトナーあたりではないかと思っているが、フュージョンを確立させたのは、実は日本のミュージシャンたちではないのか、とも考えている。

という訳で、まずはレココレのフュージョン・アルバム・ランキングの上位10枚を紹介させて頂く。

フュージョン(洋楽)
1位・・・ヘッド・ハンターズ/ハービー・ハンコック
2位・・・リターン・トゥー・フォーエバー/チック・コリア
3位・・・ブリージン/ジョージ・ベンソン
4位・・・ヘビー・ウェザー/ウェザー・リポート
5位・・・イン・ア・サイレント・ウェイ/マイルス・デイビス
6位・・・スタッフ!!/スタッフ
7位・・・ジャコ・パストリアスの世界/ジャコ・パストリアス
8位・・・ビッチェズ・ブリュー/マイルス・デイビス
9位・・・ナイト・バーズ/シャカタク
10位・・・オン・ザ・コーナー/マイルス・デイビス

フュージョン(邦楽)
1位・・・ススト/菊地雅章
2位・・・KYLYN/渡辺香津美
3位・・・ネイティブ・サン/ネイティブ・サン
4位・・・シティ・コネクション/日野皓正
5位・・・カリフォルニア・シャワー/渡辺貞夫
6位・・・ミント・ジャムス/カシオペア
7位・・・オン・ザ・ムーブ/深町純
8位・・・プリズム/プリズム
9位・・・SEYCHELLES/高中正義
10位・・・JOLY JIVE/高中正義

能書きたれるより、こういうのを見て頂く方が、ずっと話が早い(笑) 稚拙ながら僕が感じている事を分かって頂けたかと(笑) 10位までのランキング、洋楽の10枚は、僕的には"クロスオーバー"に分類されるものが大半で、逆に邦楽の10枚は正に"フュージョン"である。

ランキング作成にあたり、1969年~1989年と期間を限定したのは何故か、特に1969年にどういう意味があるのか、というと、この1969年はマイルス・デイビスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』が発表された記念すべき年らしい。いわゆる、電化マイルスの幕開けとなった重要作であり、言うならばフュージョンはここから始まったのだそうな。ここでのマイルス・デイビスのアプローチがどれだけ衝撃的だったか、というのは、『イン・ア・サイレント・ウェイ』をはじめ、『ビッチェズ・ブリュー』『オン・ザ・コーナー』と、電化マイルス期の作品が10位内に3枚もランクインしている事からも窺える。まさに、新たなジャズいや音楽のスタイルを提示した問題作たちであり、先駆けとなった『イン・ア・サイレント・ウェイ』には、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・ザビヌル、ジョン・マクラフリン等々、後のジャズ(フュージョン)シーンを牽引していく錚々たるメンバーが参加している事もあり、とにかく、この頃のマイルスは凄かったのだ、というのは間違いないと思う。僕はマイルスはほとんど聴いてないけど(笑)

ウェザー・リポートは、よく聴いてたけど、実はジャコ期のアルバムしか聴いてない、というのに最近気づいた(笑) 曲の良さと構成力そしてスリリングなアンサンブルがウェザー・リポートの魅力と思っているので、4位に入った『ヘビー・ウェザー』は正に代表作と言えるし、確かに名盤である。でも、フュージョンとは違うなぁ。ジョージ・ベンソンやスタッフは、確かにフュージョン的かも。シャカタクが10位内にランクインしたのは、はっきり言って無茶苦茶意外。ま、総じて、フュージョンというよりクロスオーバーでしょ、って感じの顔ぶれと言えるかな。

前述したが、僕はフュージョンというと日本の方が印象深い。マイルスをはじめとするジャズ・ミュージシャンたちがクロスオーバー化していた頃、日本ではどんな動きだったのか、実は何も知らない(爆) ただ、フュージョンなんて呼び名もない頃、サディスティック・ミカ・バンドの1975年作『HOT! MENU』では、フュージョン的アプローチのインストが聴けるし、四人囃子の1976年作『ゴールデン・ピクニックス』には、正にフュージョンとか言いようのない「レディ・バイオレッタ」が収録されていたりなんかして、海外のクロスオーバー化の影響は、日本のミュージシャンにも及んでいたと思われる。そして、渡辺香津美や高中正義が台頭し、ネイティブ・サン、渡辺貞夫、日野皓正といったベテランがCM絡みとはいえヒットを出す事で、フュージョンは呼び名も音楽スタイルもすっかり定着した。1979年から1980年にかけてのことと記憶しているが、このころ流行った"フュージョン"は、実は日本特有のものだったのではないか、とひそかに僕は思っている。

いや、それにしても、あの頃のフージョン・ブームは凄かった。猫も杓子もフュージョンって感じだったなぁ。ジャズ畑の人たちだけでなく、森園勝敏とか山岸潤史とか竹田和夫とかのロック系もフュージョンに参入してた。高中正義だって元々はロックの人だ。また、そういった、すでに実績のあった人たちだけでなく、カシオペアやスクェアのように、最初からフュージョンとしてデビューする人たちも現れ、そういう様々な出自の人たちが、それぞれの主張を盛り込んだフュージョンをやる事で、シーンが活性化し、聴き手の裾野を広げ、日本のフュージョンを盛り上げていたのだ。今思うと、なんか、この頃は楽しかった気がする(笑) 個人的には渡辺香津美をよく聴いてたけど、FMで何回か耳にした佐藤允彦とメディカル・シュガー・バンクも気になるバンドだったな。あと、本多俊之も一時期聴いてた。

フュージョン・ブームの2年くらい前、渋谷陽一が『ヤング・ジョッキー』でスティーリー・ダンの『Aja』の曲をかけた時、日本人はブルースやハードロックより、この手の音楽をやる方が向いているのではないか、という発言をしていたのを覚えている。さすが渋谷陽一、やっぱりこの人は慧眼だ。その後、日本のミュージシャンたちは、海外の影響を受けつつも、日本ならではのフュージョンを作り上げてしまうのである。正に、模倣の中からオリジナルを生み出す日本人の面目躍如。クロスオーバーの概念や精神はそのまま踏襲して、さらに新たな魅力を追加した親しみやすい音楽、それがフュージョンだった。曲もわかりやすくメロディックで、いろいろな要素を取り込んだ演奏も刺激的、強靭でしなやかなグルーブを叩き出すリズム・セクション、流麗にメロディを奏でるギターやシンセ、曲も演奏もスタイリッシュでカッコよく、けど決して小難しくはなく、さりげなく高度なテクニックもひけらかしたりするなんかする(笑)、そんな日本のフュージョンは海外でも勝負出来る日本発信の文化、いわばクール・ジャパンだったのだ。インストだから言葉の壁もないし(笑) 実際、当時もカシオペアとかは海外進出もしていた。レココレによると、当時も今も海外のクラブでは日本のフュージョンは結構人気らしい。ここ数年海外で人気だというシティ・ポップにも通じるな。

ただ、そんな一大ムーブメントだったフュージョンも、80年代半ばあたりから、勢いを失ったような気がする。いや、フュージョン人気が衰えたというのではなく、最初の頃の刺激が薄れたのではないか、と僕は思う。僕自身も70年代から80年代にかけての頃、フュージョンにハマって、聴くだけでなく、ドラムを始めた頃だったので、必死でマネしたりしていたけど、徐々に興味を失っていった。早い話、飽きたのかも(笑) ま、衝撃的に登場し、一大ムーブメントとなった音楽ジャンルであればあるほど、注目されて売れて確固たる地位を築き、フォロワーや参入者が増えてくると、スタート時の精神はどこへやら、次第にスタイルの模倣と焼き直しにすぎなくなり、次第に形骸化して廃れていく。これはポピュラー音楽の常で、モダン・ジャズもビーバップもロックンロールもプログレもパンクもみんなそう。フュージョンも例外ではない。今回のレココレで、とあるライターが昔書いたフュージョン批判がネタにされているが、ちょっと長いが引用すると

ツルツルに磨き上げられたアルト・サックス、型通りのチョッパー・ベース、個性のないギター、空間をべったりと埋め尽くす均質的なデジタル・シンセサイザー。陰影というものがまるでなく、耳当たりの良さだけを注意して作られたようなのっぺりした楽器の音色と録音。決定的に思えるのは、すべてが計算づくで、ディテールまでプログラムされたように型通り演奏が進行していくスリルのなさだ。ソロは奏でられるが、そのすべては決められたように空虚で、人間臭さが欠如しているように聞こえる。」 

まぁ、言いたい事はよく分かる。ここで俎上に載せられた音楽こそが、正に形骸化したフュージョンなんである。こういうフュージョンの形骸化は、80年代半ば頃には始まっていたと思う。前述の文章は、すばりTスクエアを槍玉に上げているのだが、実は僕もスクエアのあのF1のテーマがどうも好きではなく、フュージョンもつまらなくなった、と当時感じていたくらいで、やはりこの頃すでに、大半のフュージョンはただのBGMになっていたのだ。思い起こしてみると、フュージョン・プームを作ったベテランたちは、早々と新たなスタイルを模索していたし、誰もが認める第一人者の渡辺香津美も、『TO CHI KA』を最後に、フュージョンとは別次元の世界に向かっていた。80年代半ばには、フュージョンは終わっていたのである。

その後主要なミュージシャンの顔ぶれも変わり、1991年にマイルス・デイビスが亡くなったのも影響したのか、、ジャズやクロスオーバー(この言葉も90年代には完全に死後になってた気がする)はかつてのように刺激的な音楽ではなくなった。もちろんフュージョンなんて、名前も音楽もどこかへ行ってしまった。全盛期の盛り上がりぶりからすると、嘘のようにアッと言う間にフュージョンは消えてしまったのだ。実に残念なことではある。でも、僕自身は90年代以降のフュージョンの動向(特に日本)には、冷たいようだが全く興味がなく、何も知らなかったけど、その路線をずっと追求してた人たちはいたのだろう。そういえば、2003年か4年頃、テレビで偶然現代(当時)のフュージョン・バンドのライブを見た事がある。敢えてフュージョンを標榜していると語った彼らがやってたのは、正に往年のフュージョンであり、21世紀にかつて世間を席巻したフュージョンを現代風に再現していた。不勉強ながら、ドラムの沼澤尚以外は知らない人ばかりだったけど、こういう人たちがいるのなら、頑張って欲しいものだ、と当時思ったけど、その後彼らはどうしているのだろう?

という訳で、レココレ見てたら買ってしまいました(笑)



前述のとおり、レココレ・フュージョン・ランキング洋楽部門で堂々の一位である。意外なような当然のような、不思議な感覚もあり、聴いてみたくなって買ってしまった。なかなかにすごい作品である。

以前にも書いたと思うが、ジャズ系の中でも、ハービー・ハンコックという人は、我々ロック側からしても名前を知られている人だ。やはり、その活動が多彩だからだろう。僕がその名を知ったのは、ハービー・ハンコックが映画音楽を結構手掛けていたからだ。クロスオーバーという言葉が登場する前後から、彼はサウンドトラックに於いては、ジャズともロックともファンクともつかない、正にクロスオーバーとしか言いようのない音楽を作っていた。また、ロック・ミュージシャンとの交流も多く、セッション参加も多い。80年代になってからは、ヒップポップの台頭とMTVの流行の両方に目配りした「ロックイット」を発表したりもしてた。

そのハンコックの代表作にして問題作『ヘッド・ハンターズ』なのである。レココレの解説にもある通り、とにかくやってる事はひたすらファンク。同じリズム・パターンやベースのリフが延々と繰り返され、それに鍵盤やホーンの音がコーティングされる、といった感じで曲は進行する。が、意外と退屈ではない。同じパターンが繰り返されるのは確かだけど、コーティングされる音がバラエティ豊富で、これはこれで慣れてくると結構楽しい。クセになる(笑) エレピの音やフレーズが、ジェフ・ベックの『Blow By Blow』を連想させたりもなんかして、やはりそれなりに影響されていた(していた)のかな、なんて思わせる。今聴いても刺激的なアルバムではないかな。

続いて、



渡辺香津美が日本のフュージョン界いやポピュラー音楽界を代表するギタリストである事に異論はないだろう。その渡辺香津美だが、今年の2月自宅で倒れ、現在も治療中らしい。聞くところによると、病名は脳幹出血というらしく、それだけでも実に危険な状態なのでは、と非常に心配になるが、何とか克服してまた元気でギターを弾く姿を見せて欲しい、と痛切に願うものである。

その渡辺香津美は、天才少年として有名で十代でレコード・デビューした。最初のリーダー・アルバムを出したのは17歳の時で、そのころは比較的オーソドックスなジャズをやっていたらしいが、1977年、渡辺香津美24歳の時に発表した本作で、一躍クロスオーバーの騎手として、一般にも名前が知れ渡るようになる。実は、恥を忍んで告白するが(笑)、僕は昔渡辺香津美をよく聴いてて、フュージョンが好きなのではなく、実は渡辺香津美が好きなのではないか、と思ったりもするのだが、にもかかわらず、実はこの『Olive's Step』は今まで聴いていなかった(恥)。もちろん、当時から知ってたんだけど、どういう訳か聴いてなかったのだ。すいません(誰に謝ってるのか。笑)

この『Olive's Step』、当時は"ソフト・アンド・メロウ"という言葉で紹介されていたように思う。ここで展開される音楽は、正に後の"フュージョン"なのだが、1977年当時はフュージョンという言葉もなく、でもクロスオーバーではない、という事で、ソフト・アンド・メロウと呼ばれたのであろう、と僕は思っている。言うならば、日本初の本格的フュージョン・アルバムなのである。

という訳で、フュージョンである。スタイリッシュな曲構成といい、流麗なメロディといい、ファンキーなバッキングといい(Keyはクラビネットを多用してるのがポイント高い)、正にフュージョンである。これ以前の渡辺香津美を聴いた事ないのでよくわからないが、突然変異的にこの路線になったのか、それとも何か兆候はあったのか、非常に興味深いとこだが、1977年という時代を考えると、本作こそフュージョンのプロトタイプという気がする。やっぱり凄い人だ。LPでいうA面とB面とで、曲調はあまり変わらないけど、ミュージシャンが違っていて、つのだひろ・坂本龍一・後藤次利が参加したA面はかなりロック的。いつものライブのメンバーとレコーデングしたB面の方が広い意味でフュージョンっぽい。どちらも素晴らしいけど。

てな訳で、この『Olive's Step』日本のフュージョン黎明期の名盤というか、フュージョンはここから始まったと言っていい重要作である。前日のレココレのランキングでは42位で、まぁ意外と低い(笑) 渡辺香津美はこのフュージョンベスト100に5枚ランクインされてて、2位の『KYLYN』はもちろん、11位になった『TO CHI KA』も、個人的には忘れえぬ名盤であり、高校生の頃何度聴いたか分からないが、僕からすると、フュージョンは突き詰めていくとこの2作なのではないか、と思ってしまうくらいのアルバムであり、やっぱり渡辺香津美は凄い人なのである。この時期、早くも「フュージョン後」を見据えた創作活動をしていたのも凄い。

早く元気になって下さい^^

これだけ書いたのに、まだ書き足りない気がする(爆) 続きはまた今度(いねーよ)
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