~新しい扉の向こうへ~

スピリチュアルな世界と地球文明の真実を学びたい。目に見えるものだけが全てではないのだから。

★サウル〜あなた方一人一人の中に「全宇宙」が存在します。 2016年7月10日

2016年07月17日 | ☆サウル

ソウルカメラのblog より転載させて頂きます。



サウル〜あなた方一人一人の中に「全宇宙」が存在します。
2016年7月10日 ジョン・スモールマン経由


「One is all there is / ワン・イズ・オール・ゼア・イズ」。他に何もありません! (訳注;"One is all there is":直訳すれば「『一つ』で『在りて在る全て』である」〜意味としては、「『在りてある一者』のみが存在する」「『存在せし全て』は『存在せし全て』である」「『個』は『全体』を含む」「人はあるがままが全てである」「全ては(人は)あるがままで完全である」、など。「全ては一つ」の別の言い回し)
何故ならば、「神」(「全て」である「ソース」)とともに在って、その「ソース」によって創造されし万物が、荘厳で永遠の神々しい調和のうちに永久に存在するのですから。

「人間」としてあなた方は、あなた方自身の選択によって「肉体が課す過酷な限界」を体験します。つまりあなた方には、「私のことなど完全に知る由もないこの広大な物質宇宙で、私はちっぽけな取るに足らない存在なのだ」というように見えます;「ともあれ私は存在している」という事実に、しばしばあなた方は「感心」してしまうというワケです。「幻想」は、あなた方が「分離ゲームを遊ぶことが出来るように」構築した、「見事ではあるが幻影的な」構成概念です。「分離ごっこ」をお遊戯中には、あなた方は自分の「本当の性格/本性」 ー それは「神と一つ」なので苦しむことも害されることもあり得ません ー と一体化する代わりに、自分の「体とエゴ」 ー それは激しい痛みと苦しみを味わうことがあり得ます ー と一体化してしまうので、「ゲーム(幻想)」が強烈に「リアル(本物の現実)」であるようなのです。

さぁ、あなた方が「ごっこゲーム」を遊び終えて、覚醒する瞬間がやって参りました。それら「ごっこゲーム」であなた方がお召し上がりになる「ショック」と「苦しみ」が、実に全く「圧倒的」なものになってしまいました。そして、それら「ごっこゲーム」が日々あなた方に紹介する「一見終わりのない裏切りや対立」にあなた方は全員「満腹」であり、「おかわり」の余地はありません。

「目覚める/覚醒すること」とは、「私のこだわり(信条/観念)を手放すこと」に他なりません。それらの「全て」をです! そう申しますと、狂気の沙汰のように聞こえることでしょう。あなたは叫びます、「何かを信じないことには私はやっていけません」。ところが全くのところ、あなた方の「信条/観念」というのは、全部「幻想の側面」なのであり、したがって「非現実」なのです。「『私の信条』に対する『私のこだわり』」を手放す時、あなた方は、あなた方が許しさえすればその姿を見せる「Reality ー 本当の現実」に出現の余地を与えます。ところが、あなたがマインドをクリアにする(心をスッキリさせる)と、しばしばその空いたスペースを「恐怖」が侵略します。それは何故かというと、「気付き」が生じると、次第に、あなた方が構築した幻想の主要な特徴である「私は孤独で見捨てられている」という思いが頭をもたげるからなのです。幻想は、あなた方がひとえに「ソース」からの分離を体験するために、構築したものです。

「ソース(本源/神)と一体」であるのが、あなたの「自然なありさま」、あなたの「唯一のありさま」、あなたの「本当のありさま」です。そして、もしあなたに「分離することが出来る」ならば ー それは不可能なのですが ー あなたは「存在することを止める」ことでしょう。あなた方は深い部分でこのことを知っているのですが、忘れます。というより、「『神』、したがって私たちの一人一人は、『一つ』として永遠に存在するので、分離は不可能である」という「気付き」を失ってしまうのです。

「恐怖」を見つめてください。「恐怖」を見抜いて、その先にある「無限の平和」を見てください。「恐怖/恐れ」というのは、あなた方が自分達と「本当の現実」との間に置いた「ぼんやりとした亡霊」に過ぎません。その中を、向こう側に待つ「神の愛の眩しい光」に向けて歩いてください。そうすれば、「恐怖」は二度とあなたに対して支配力を持ちません。

身体が危険を感知する時、瞬間的な恐怖が生じます。そしてそれが普通のことです。恐怖の機能は、「身体に対するどんな危険からも避けたり遠ざかったりするために必要な処置が取れるように、あなたの注意を得ること」です。その後、通常その恐怖は消え失せます。とはいえ、もしあなたがその恐怖を引き起こした出来事をマインドで追憶し続けるならば、「非常な不安」に置き換わり得ます。それは、「今この瞬間の生命/唯一「在る」瞬間」から気を散らす、エゴの雑念です。

あなたのエゴは、あなたに恐れに満ちていてもらうのが好きなのです。何故ならば、あなたが恐れに満ちていれば、エゴはあなたを支配することが出来ますから。その時エゴは、あなたを不適当な思考、言葉、行動に向けて導くことが出来ます。あなた自身の身体か他の人の身体に対して害となる行動をするように、あなたを導くことが出来るというワケです。そしてそこから、苦しみやさらなる恐怖が生じます。そしてそれがさらにあなたのエゴを強化する、というワケです。「苦しむ」ことが出来るのは、「身体」だけです。そしてあなたは「あなたの身体」よりも、はるかにそれ以上の存在なのです。

あなた方一人一人の内側に、「全宇宙」が存在します。あなたが体験する全ては、あなたの「内部」からやってくるのです。「外部」は皆無です。だからこそ、あなたには「自分が体験することを変える」力がある、というワケなのです。

物質的(肉体的)に起こることは、「集合的ヒューマン・マインド(人間心)」の投影(予測)の、一つの結果なのです。ですが、「起こること」をあなたがどのように体験するかは、その瞬間にあなたが行う「個人的な選択」に依ります。困難な状況、または身体的に危険な状況にある人々が、それぞれ違った対処の仕方で応じるのは、あなた方全員が知るところです。他の皆がパニックで我先にと逃げる中、ある人達は勇敢で、困っている人達を助けます。そしてまた、「うろたえて逃げる」にしろ「勇敢に他を助ける」にしろ、「どちらが正しい反応であるか」を判断する/裁くことは、不適当です。何故ならば「人々が何に緊迫させられているのか」は、あなたには全く検討がつき得ないのですから。

あなた方が理解する必要があるのは、「『あらゆる瞬間に選択する力』があなたにはある」ということであり、「どんな選択をしても、それは『自分の力の完全に有効な行使』である」ということです。あなたが自分の俗世の人生のレッスンの間に行う一つ一つの選択から、「自分が体験したいこと」が生起します。それはしばしば明らかではありません。そして、レッスンが目に見えず、認識されておらず、習得されていない場合、そのレッスンが何度も何度も紹介されます。あなたが自分のスピリチュアルな道程を前進することが出来るようにそれを学ぶまでは、同じレッスンが何度も何度も紹介されるというワケです。時々人々は、「レッスンが自分に紹介されつつある」ということをより穏やかに示す「お知らせ」を受けていながらそれを認識しなかったばかりに、私的に壊滅的な出来事を体験します。

あなたの「俗世間の人生」の間に起こるあらゆる出来事、あらゆる体験には、一つの目的(あなたが学びたかったレッスンがあなたに紹介されるように、あなたが予定を組んだ目的)があります。「不意の事故」や「偶然」はありません。何故ならば、あなたは自分が転生する前に、周到な配慮で自分の俗世の人生の道程を計画したのですから。もし、人生が自分にとって滑らかに流れていないというのであれば(自分が到達しようと着手したものに到達することから妨害されているようであり続けているならば)、それは、「自分に紹介されるように選択したレッスンを、あなたは認識していませんよ」ということを意味するのです。「カルマ」というのは、あなたが「慧眼な智慧」と「あなたのスピリチュアル領域の師による案内」でこの生涯の間に学ぶことを決めたレッスンの、「ご紹介」なのです。

それら(レッスン)を認識して学ぶのに失敗することを、心配しないでください。レッスンを見逃したからといって「汚名の烙印」を押されることはありません。「また別のチャンス」が常にあります。あなたが自分で選んだ学習の通り道を辿ると、あなたの俗世のレッスンが適切な瞬間に紹介されます。あなたがそれを学ぶと、平和と満足があとに続きます。もしあなたが自分の人生に満足を感じておらずに、心穏やかでないというのであれば、「起こる状況に対して、私はどのように振る舞って、どのように反応しているか」を見つめてください。そして、「私はそれらに対して、優しく、誠実に、そして純然たる高潔さをもって関わっているかどうか」を自問してください。思い出してください。「愛」があらゆる状況における「答え」です。そしてあなたはそれを知っています!

自分の全てを投げ打って他の人達を援助し、他の人達を慰め、他の人達に忠告する人々を、時々あなた方は目にすることでしょう。が、それでも彼ら自身の人生は非常にストレスを感じていて不幸であるように見えます。彼らに、密かに控えめに、愛を送ってください。そして、知っていてください。彼らは、今のところ、「自分に対して紹介されているレッスンを完全には認識していない」か、または、「より多くの援助を必要として『祈り』を通じてそれを要請した他の人達とともにある手段として、険しい道程を選んだ」かの、どちらかなのです。常に、あらゆる「祈り」や「助けの要請」は聞き届けられて、必ずや応えられます。

そして、私はいつもの通りに、あなた方に次のことを思い出させて、このメッセージを終えましょう。毎日内側に入ってください。そこであなたは、あなた方一人一人の中に在る「愛」の聖火にアクセスすることが出来ます。「愛」の聖火が、「私を抱きしめてください」というあなたのお招きを待っています。あなたが体験している状況がどんなに苦しいものであっても、あなたは決して孤独ではありません。あなたはあらゆる状況下で無限に愛されていることを知っていてください。そして、あなたを慰めてアドヴァイスしてくれるように、「愛」を招いてください。

とてもとてもたくさんの愛を込めて、サウル。

https://johnsmallman.wordpress.com/2016/07/10/within-each-one-of-you-the-whole-universe-is-present/



翻訳 ソウルカメラ
http://blog.livedoor.jp/sourukamera/archives/49098651.html







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