いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

石巻のいま(2)・・・海岸沿いの市街地は、さらに大きな被害を受けていました。

2011年06月02日 00時42分27秒 | 日記

 石巻の報告の2回目です。

 5月28日の土曜日、石巻港を取材したあと、海岸沿いに
展開する石巻の市街地に向かいました。
 ここの市街地の被害の大きさ、被害の深刻さは、まるで
規模が違います。

 津波が家という家をさらっていき、がれきだらけです。

 あの日からもう2か月半たつので、がれきは、かなり撤
去したのでしょう。震災直後に報道された写真と比べる限
り、確かに、がれきの撤去は進んできたようです。
 しかし、それはあくまでも、震災直後との比較です。
 いま現在の状況を、比較などせずに、「いま」として見
ると、ひと目、それはもう、とんでもない状況です。

 道路以外は、すべて、がれきで覆われています。
 がれきで覆われた写真を、何枚か、見てください。


 ここには、3月11日まで、人々の暮らしがあったので
す。






 この写真に見えるのは、オーディオのアンプの残骸です。

 オーディオマニアの方が愛用していたのでしょう。
 しかし、このアンプだって、津波によって、どこか別の
家のあった場所から、ここに運ばれたものなのでしょう。

 自衛隊の車だけが目立ちます。


 
 たまに、家が残っています。
 しかし、近寄ってみると、残った家は、すべて、一階、
二階が、津波にごそっと持っていかれています。残ってい
るのは、家の骨組みだけです。

 その骨組みも傾いています。

残った家の写真を、何枚か、掲載します。






 これはガソリンスタンドです。
 というより、ガソリンスタンドの残骸です。


 写真を撮ったあと、ひとりで、黙祷を捧げました。
 せめて黙祷を捧げなければーーそう思わせるなにものか
があります。

 市街地を離れ、日本製紙の工場に向かうと、道路に
大きな赤いものがありました。

 寄ってみると、どうやら、大きな赤い缶です。

 東京に帰るときに、石巻の地元紙「石巻日々新聞」を買
って読んでみると、やはり、缶です。地元の製缶工場が、
シンボルとして飾っていた巨大な缶ですが、津波によって、
1キロほど運ばれてしまったそうです。ちょうど、幹線道
路の中央分離帯に横たわっています。
 津波の被害のすごさを示すものとして、残したらどうか
という声も出ているそうです。

 日本製紙の工場に着きました。
 紙の最新鋭の工場で、この工場が被災したため、出版業界
にも大きな影響が出たのです。

 少し遠くから見ると大丈夫なように見えましたが、近寄
ってみると、やはり、あちこちに破壊のあとがあります。


 

 市内を車で走っていて、気がついたことがあります。
 同じ市街地でも、ちょっと高台にある住宅は、どうやら、
津波の被害をまぬがれたようなのです。
 この写真をみてください。

 手前は、津波に襲われたあとです。がれきの山です。
 しかし、その奥に、数軒の住宅が見えます。この数軒は、
ちょっと高くなったところに建っていたのです。もちろん、
地震の被害は受けたでしょう。しかし、どうやら、津波に
は、さらわれずに済んだようです。
 ちょっとしたことが、明暗を分けたようです。
 
     ********

 石巻の報告は、ここまでです。
改めて黙祷を捧げます。

 次回は、塩釜の被災地と、避難所になっている小学校、
それに、仙台空港の状況を報告します。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿