イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

雨の日の牧場

2008年03月20日 21時48分03秒 | Weblog
雨――。憂鬱な一日だ。よく、雨が降ったら気分が落ち込む、と聞くけど、それを自分のこととして実感したのは、初めてかもしれない。確かに晴れたら気持ちいい。けど、雨が降ったから気分がよくないなんてはっきりと自覚したことはなかったような気がする。たぶん、これまでも雨の日に憂鬱な気持ちになったことはたくさんあったはずだ。だけど、なぜかそれを意識したことはなかった。小さな発見に驚く。これは、いろんな意味で今、危機に瀕しているかもしれない自分の心身からのSOSなのだろうか? それに気づいたのは、深刻さの度合いが増したから? それとも、自分のアンテナの感度が上がったから? よくわからない。雨は降り続け、窓を打つ。水滴がガラスを伝って落ちていく。家の前の国道から、車が雨水をはねながら行き来する音がずっと聞こえている。拗ねてばかりの、鈍いこの心の窓には、雨を拭うワイパーも動いてはいない。

雨降りの窓から外を見るばかり 拗ねた心にワイパー動かず

調べてみると、一般的に人間というのは、雨が降ると副交感神経が優位になって、鬱状態になるということらしい。雨の日は、行動的になってうろうろ外をほっつき歩くと普段より危険が多いから、木の下でじっとしていたほうがいい。そのために、自然とそういう心身の状態になるのだという。なるほど。自然の摂理かもしれない。だからといって沈んだ気分がどうなるわけでもないのだけど。

ある人によれば、僕は創造性があって活発なところがよい(逆に言うと落ち着きがなくて飽きっぽい)らしいのだけど、逆にそれが強まりすぎるとよくないのだと言われた。確かにそうかもしれない。ついつい無理しちゃうので、休息することが大事らしい。そういう意味で、雨降りというのは、意識的に休息を取る日と考えるのも悪くないかもしれない。不安も孤独も憂鬱も、結局何をしたって消えることはない。やるべきことをやったのなら、しかたない。たまにはじっくりこうしたネガティブな自分と向き合うのも必要なのかもしれない。雨の日の牧場にいる。そして、不安とか孤独とか憂鬱とかいう名前の羊たちの番をしている。なんというかそんな感じだ。

雨降りの牧場に立ち羊らを見守る不安と孤独と憂鬱

雨降りだからミステリでも勉強しよう――という植草甚一さんの名言があるけれど、そんな気になる日でもある。残念ながら別件があって今日はミステリは読めない。もっともっと読みたいし、読まなくちゃいけないんだけれども。